KATZLIN'S blog

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植民地朝鮮の日本人(岩波新書)2004-03-11 00:59

1876年日朝修好条規から1945年敗戦までの、朝鮮における日本人の歴史について述べた本。朝鮮に渡った日本の庶民が植民地支配においてどのような役割を果たしたかを、数多くの文献を参照しながら読み解いていく。
果たして日本人は朝鮮半島において何をしたのだろうか?


私の場合、日韓・日朝関係というと、強制連行のような、日本の朝鮮に対する「略奪」というイメージを持っていた。
そして、本書を読み終えてまず思ったのは、日本人が朝鮮で行ったのは、やはり略奪であるということだった。それは庶民の手で行われた。朝鮮に渡った人は高利貸となって金を奪い、土地を奪ったのだ。筆者は冒頭で次のように述べている。

日本による朝鮮侵略は、軍人たちによってのみ行われたわけではなかった。むしろ、名もない人々の「草の根の侵略」「草の根の植民地支配」によって支えられていたのである。

この考えが全編を貫いており、自分と同じ普通の庶民の行動が批判的に暴かれていく。まともに朝鮮のために働いた日本人は浅川巧ひとりくらいしかいないのではないか。

なかなかヘビーな読後感だった。羅列的な引用のために、通史としてはポイントを絞りにくいのが難点か。

(高崎宗司著、2002年)(2004年3月10日読了)

無限論の教室(講談社現代新書)2004-03-24 00:52

ケーキを半分だけ食べるのが好きだった。残った半分をまた半分だけ食べる。その残りの半分をまた半分だけ、そのまた残りを・・・こうするとケーキは半分ずつ、いつまでも食べられるのだ!!

子供の頃、そんな空想に耽るのが好きだったが、もちろんそれは不可能で、現実には小さくなってしまったケーキをいつかはバクっといってしまう。この本で無限について語るとき、同じ例があるところに親近感を覚えて読んでみたのだった。


今まで漠然と考えてきた「無限」が、対角線論法などによって論理的に説明されるのが気持ちよい。読み進むとどうやら私は「可能無限」の立場であったことがわかった。タジマ先生と同じく少数派だったのか。なんだか複雑な気分だ。

円周率の英語での記憶法など、トリビア的読み物としても気楽に楽しめる。それというのも、通常の哲学書と違って物語形式になっているからだろう。こんなふうに気楽に読み進んでいくと、文中で「ぼく」が感想を漏らしているように、哲学っていうのは、ひどく能天気なものなのかもしれないと思うのだ。

(野矢茂樹著、1998年)(2004年3月19日読了)