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江戸のマスコミ「かわら版」-「寺子屋式」で原文から読んでみる(光文社新書)2004-10-09 15:28

学生時代、古文書学を2年間聴講していた。当時は2週おきくらいに新しいテキストを読んでいたわけだが、卒業すると、博物館で目にする程度になってしまった。読む力は落ちていく一方だ。

この本はかわら版を含めた江戸時代の刷り物を、原文のまま読もうというものだ。かわら版紹介の本は何冊か読んだが、それらはかわら版を歴史・民俗の資料として紹介しているもので、その解説が中心。読み下し文も申し訳程度についているか、モノによってはなかったりする。読む練習に飢えている自分は少なからず不満だった。
この本を本屋で手に取ったときは、ようやく探していた本に出会えた気がして嬉しかった。何年も探していた本を古本屋で見つけたときのような気分だった。


読む練習だけでなく、豊富な刷り物の世界を楽しめた。読みながら、かわら版に抱いていた「ニュース」のイメージが粉々に吹き飛んだ。
たとえば「なまず絵」は、地震直後のものなのに災害を嘆くものがないという。なるほどギャグばかりだ。筆者は「なまず絵」に、 災害の恐れ・悲しみ・絶望を笑いとばして生き抜こうとする民衆の力強さを感じます という。これを読んでいた9月は、台風やハリケーンの大きな被害が連日のように報じられていた。死者も出ているし、笑える状況ではない。こんな「なまず絵」みたいな報道は許されないだろう。

「読み」が中心なので歴史探求には物足りないが、それは百も承知。
いちおう初心者向けに、最初に変体仮名(筆者は「江戸かな」と呼ぶ主義らしい)の読みの練習をして、それから実際に読み下していく構成になっている。しかし、かわら版を読むには変体仮名がわからないとどうしようもないのは確かだが、それだけでは不十分だと思う。独特の言い回し、たとえば難しいというときの「六ヶ敷むつかしき」とか、漢文的にひっくり返った「可致候いたすべくそうろう」とか、そういう読み方の知識も必要だ。そのへんに一言も触れられていないのがちょっと意外な気がした。(2004年10月8日読了)

(吉田豊著、2003年)

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