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最澄と天台の国宝2006-04-16 23:10

最澄と天台の国宝展
最澄と空海関連の展覧会が繰り返されている昨今。で、これも、「また最澄か、いいかげんにしろ」と思ってまったく行く気のなかった展覧会。しかし相棒が新聞でチェックしたところ、かなりのお宝が出てるんだとか。で、念のため出品目録をあたってみると、実は凄かった。
聖衆来迎寺の六道絵が全幅揃うことが呼び物となっているが、他にも非公開のため滅多にお目にかかれない兵庫県一乗寺の「聖徳太子及び天台高僧像」が出品されているのが、国宝ヲタクにとっては高ポイントだ。

六道絵の展示は4/16(日)まで。金曜夜に割引券をダウンロード・印刷して、土曜の朝に出かけた。


激混みなんじゃないかとビクビクしながら上野に行った。博物館到着は9:15頃。割引券用の窓口は3組しか並んでいず、すでにチケットを持っている人の列も、門から前の道路まで直線に並びきってしまうくらいの短さだった。これならじっくり鑑賞できそうだ。
門内に入ってから平成館まで歩く間に年配の観客をゴボウ抜きにして入場。今回は会場の順序が変則的で、3室から入って4室→1室→2室という流れだった。先に六道絵を観ようかと考えたが、この観客数ならヘタな小細工はしなくて済みそうなので、順路にしたがうことにした。
では、以下にインプレを。

聖徳太子及び天台高僧像(一乗寺蔵・国宝)
No.5。会期の前期では湛然が出品されている。入口を入ってすぐにある。単純に、きれいな絵だと思った。仏画は、炎があるか暗かったりするかで色彩的には赤や茶色のようなイメージをもっている。そんなこともあってあまり好きではないのだが、これは華やかで、良い。目がやらしいのが気になった。
書跡
前の「書の至宝展」はむちゃくちゃ混んだらしいが(それがイヤで自分は観なかった)、この書跡コーナーをみんなすっ飛ばしていくのはどういうわけなんだろう。貴重な嵯峨天皇や小野道風の真筆が置いてあるのに、あっさりと通過していくようだ。最澄の筆は相変わらず神経質そうだ。それでも延暦寺の宝物殿には読み下し文があって親しみやすかったが、ここでは通り一遍の解説だけで、ツンとすましているようだった。
維摩居士坐像(延暦寺蔵・重文)
No.37。財津一郎に似ている。しかもピースサインなんかしている。
慈恵大師自筆遺告(ゆいごう)(廬山寺蔵・国宝)
No.40。病床で、自身の死後のことを細かく書いた、つまり遺言。筆の乱れは瀕死の状態で書いたからか。苦しみながらも座して筆をとる老僧の姿を想像し感動に打ち震えたわけであるが、帰宅後調べてみたら本人はなんとこのあと13年も生きたのだとか。がっくし。
法華経(浅草寺蔵・国宝)
No.57。見返しや料紙に金が散らしてあって美しい。巻き軸も凝っていて、螺鈿で装飾されている(ただし、貝は欠落しているようだ)。
一字蓮台法華経(龍興寺蔵・国宝)
No.58。経文の一字一字が蓮台に乗っているというもの。若い女性(非常に少なかったが)からは「かわいぃ~」という声があがっていた。デザイン的にも秀逸で、蓮台には5色の色が塗ってあり、同色が斜めに配置されていた。また、経文の本文と呪文とで違う蓮台だったりする。
法華経一品経(慈光寺蔵・国宝)
No.64。巌王品(ごんのうぼん)が展示されている。これまた見返し絵・料紙ともに美しい。No.57がひたすら華麗なのに対し、こちらはさらに重厚さも加わっているようだ。さすが、三大装飾経のひとつに数えられるだけのことはある。こうやってお経を装飾することが功徳となり、それを積み重ねれば浄土に行けると信じられていたわけで、No.57・58もそうだが、そのためにここまで手の込んだものを造ってしまうという、信仰心のパワーを感じたのだった。
第4室に行くと仏像がうじゃうじゃおわします。
聖観音菩薩立像(延暦寺蔵・重文)
No.116。横川(よかわ)中堂の本尊で、チケットやチラシ、看板に使われている仏像。実にいい顔だし、体の曲線が美しい。相棒は、この展覧会の最大のヒットはこの観音を観られたことだと言っていた。
薬師如来坐像(善水寺蔵・重文)
No.112。これも呼び物のひとつの仏像で、寺の本尊。50年に一度だけ開帳される秘仏を拝めるとは。正面からだとちょっとずんぐりして見えるが、斜め45度くらいから見るときりっと引き締まって見えるのが不思議だ。背が反り返っていてやたらと目線が下向きなので、ひょっとしてと思い中腰になって下から見上げるように見てみたら、えらく堂々として見えた。かなり上方に安置することを想定して造ってあるのかもしれないと思った。善水寺には2年ちょっと前に行ったことがあるが、厨子がそんなに高いところにあったかどうか、思い出せない。
七仏薬師如来像(松虫寺蔵・重文)
No.113。中尊が座し、左右に3体ずつ立像が並んでいて、全員で右手を軽く挙げて「ハーイ」とやっている感じが愉快。
四天王立像(黒石寺蔵・重文)
No.129。平泉が栄えるよりずっと前の平安時代前期、田舎のはずの東北に、こんな仏像があったとはと驚いた。頭と体のバランスがちょっと崩れているのがユーモラスというか素朴というか。
4室を出て1室へ。
獅子吼(ししく)菩薩坐像(即成院蔵・重文)
No.99。口を開けて笑ってる仏像は珍しい。
六道絵(聖衆来迎寺蔵・国宝)
No.109。実に細かく描かれている。展示室のガラス面と作品との距離が遠く、肉眼では細かいところまで味わえない。単眼鏡必須だ。地獄の絵では、画面のいたるところで責め苦 が展開されており、人間の想像力の豊かさが感じられた。余談だが、これらの絵はベルギー中世の画家・ブリューゲルを連想させる。
「人道不浄相」の巻は人が死んでから朽ちていくまでのさま(九相)を描いていて、内臓が飛び散っていたりしてなかなかグロい。怖いもの見たさか、結構人だかりがしていて、みんな唸っていた。九相あるはずなのにどうしてこの絵は場面が8しかないんだろうと考えていたが、帰宅して「九相詩絵巻」の画集を見てみたら、生前の相が抜けているためだと気付いた。ちなみに、グロさでは九相詩絵巻の方が圧倒的に凌駕している。

上には挙げなかったが、蒔絵の経箱(No.79)や、横蔵寺の大日如来坐像(No.115)なんかも良かった。逆に上野寛永寺の本尊(No.114)はあまり感心しなかった。
図録を買い、11:30頃に平成館を出た。朝に比べれば混雑はしていたが、入場制限はなかった。土曜日の特別展としては空いている方だと言えるのではないか。
後期には、曼殊院の「黄不動」と一乗寺の「聖徳太子及び天台高僧像」の残り3幅が出るので、それを目当てにもう一度行くことに決めた。平常展はそのときゆっくり見ればいいということで今日はパスし、11:45に会場を後にした。池之端の伊豆栄で昼食を食べてから帰った。
伊豆栄のうな重
(東京国立博物館・2006年4月15日)

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