題名を見て単純に「なぜだろう」と思い、読んでみた。どうして、狸とか他の動物じゃなくて狐なんだろう。
しかしそうした疑問への答えはこの本にはなかった。主題は「なぜ(どうして)狐を信仰するのか」ではなく、エジプトのアヌビス神などと稲荷狐との共通点を探り「信仰において狐はどういった役割を果たしているのか」を探ることだったのだ(この共通点として挙げられている「三つ組の構造」が弁証法の焼直しに見えてしかたないのだが・・・)。
本書の結論は、233ページにあるように稲荷狐とは「異界との接点」
である、ということだ。でも狐がお稲荷さんのお使いだということを知っていると、「そりゃあそうだろうなあ」くらいの感想しかない。どうして狐なのか、狸でも鶴でもいいん
じゃないのか。狐が選ばれたのにはわけがあるんじゃないのか。俺は題名を見て、そこに疑問を感じて、答えを知りたいと思ったから読んだのに。というわけで、へもへも紹介板にあるように、「あれあれあれ」になってしまったのだった。
とはいえ、日本以外にも狐が同じような役割をしている信仰があるという点は面白かった。
なんというか、散文的で脈絡がなくて読みにくかった(のわりには目次を見ると章建てなんかがしっかりしているのが不思議だ)。筆者の、土地神様が夢に出てきたという体験談なんかがあってドン引きしてしまったせいかもしれない。
(松村潔著、2006年)(2006年8月30日読了)題名と目次を見て即買い。なんと、法隆寺中門の真ん中の柱をはじめとした数々の謎を解くっていうんだから、これは歴史ファンであり古建築ファンであり奈良ファンでもある自分としては堪らないのである。筆者が建築畑の人だということにも興味をそそられた。
いきなり筆者のインドでの体験から始まるので、物語的に話は進むのかと思ったがそれは導入部だけだった。ここでいきなり核心にちょっと触れているので、中門に開口部が2つあるのは入口と出口だと言いたいのだと分かってしまったのが、ちょっと残念といえば残念だ。でもそこまでこじつけ論理付けていく過程もおもしろく読めたのでよかった。歴史書なんかだとこのような帰納的な方法で書かれることが少ないので新鮮な感じがした。
中門を入ったときに視点が定まらないとかなんとかいう話は、人によって感じかたも違うだろうし、実際にその場で見てみないと同感するまでには至らないと思う。ただ、空間に着目するあたりはさすがに建築家の目線だなあと思った。
また、プラダクシナー・パタ(めぐる作法)については、ただ単にインドと似ているというだけでなく、五重塔初層のジオラマと合わせて考えるとなるほどと思う。感覚的な説だけじゃなくて、ちゃんと説得力もあるところに好感を持った。
この本の謎解きの中で一番おもしろかったのが法隆寺「新創建」という考え方だった。
現在の法隆寺は再建された建物なのだが、これは火事で焼けちゃった若草伽藍を建て直したものだ、と考えられているようだ。だがそれでは木材の伐採年などから辻褄が合わず、どうも焼ける前に今の伽藍が建立されているのではないかという説もある。筆者は後者を支持し、これに説明を与えている(だいぶ推測が多いが)。五重塔の心柱は掘建て棒として祀られていたものを流用したのではないかという説も飛び出して実にユニークだ。
最後の方はなんか冗長に感じた。終章は話が広がりすぎて、なかった方がすっきり終われたような気がする。そういえばエンタシスの話も尻切れとんぼだ。
(武澤秀一著、2006年)(2006年9月21日読了)自分は、展覧会の図録以外では、画集は4冊しか持っていない。そのうちの2冊はブリューゲルとマグリット。その両者が揃ってやってくるというので、楽しみにしていた展覧会だ。
朝9:10に会場の西洋美術館に到着するとすでに10数人が並んでいた。開場する頃には50人くらいは並んでいたのではないだろうか。前売券を持っていたのでスムーズに入場できた。
当初の期待どおり楽しめた展覧会だったが、図録は買わなかった。代わりに絵はがきを7枚買った。スワーネンブルフの怪物の絵はがきがあったのが嬉しくて思わず買ってしまったが、はがきサイズだと細部がなんだかよくわからないのは残念(泣)。
イカロスは、全体はもちろんあったが、佐清のアップが単体で売られていた。また、ベルギーつながりということで、ビール関連の商品(グラスやコースター)とチョコレートまでもが売られていた。
常設展をちらっと見てから、池ノ端にほど近い洋食の有名店「黒船亭」で食事をした。11:30開店なのだが、35分頃に行ったら空いていたテーブルはもう最後のひとつだった。自分は詰物をした豚肉の煮込み、相棒はシチューを食べた。まさに洋食の王道といった味だった。
食後、3つ揃い踏みの「風神雷神図屏風」でも見に行こうかと出光美術館に行ったらなんと帝劇前の道路にまで溢れる行列。あきらめて帰宅したのだった。(国立西洋美術館・2006年9月24日)