ファミリー劇場で再放送中の'84年の大河ドラマ「山河燃ゆ」は終盤にさしかかり、いよいよ東京裁判が始まった。で、思ったのは「自分は東京裁判のことを知らなすぎる」ということだった。清瀬弁護人が裁判長に動議をするも、それにどんな意味があるのか。「これは FBI のやりかただ!」とか言ってても、何が『FBI的』なのか。佐藤慶の演じる田中隆吉がなんだか意味ありげだが、どんな人物なのか。どれもこれもさっぱりわからない。
そんな単純な動機から読みはじめたのだが、なんとか放送終了前に読み終えることができ、予備知識を得たことで、ドラマの今後の展開がますます楽しみになってきた。
著者は「あとがき」で公判記録と書証を主にして、あたかも判事の一人がおこなうのと同じように裁判を見渡す形となった
と述べているが、実際にそんな印象を受けた。検事・弁護のどちらの側にも立つことなく出来事を端的に述べている。
奇をてらうことなくきちんと時系列に沿った叙述はオーソドックスな歴史書として非常にわかりやすいし、東京裁判でなにが行われたのか裏工作も含めて記されているのはドキュメンタリーとしてもとても面白いし、巣鴨プリズンでの獄中生活の描写なんかは物語的な興味もあるしで(自殺防止のための毎日の所持品検査が肛門にまで及んでいたとは!!)、自分のような、東京裁判についてまったく知識のない人間の入門としては最適だと思った。終盤、判決から死刑執行に至るあたりでは読んでいてさすがに気分が重苦しくなったが、それでも、ごく控えめに言って、とてもおもしろかった。
ちゃんと『FBI的』な方法についても書かれていてちょっと感動した。「山河燃ゆ」(二つの祖国)の原作者の山崎豊子もこの本を読んだに違いない。というよりも、取材先が同じなのだろう。
清瀬弁護人の忌避動議も田中隆吉の登場も、この本の(というより東京裁判じたいの)ヤマ場のひとつとなっていて、よく理解できた。
やはりまったく知らなかったのだが、東京裁判は自分の生まれ育った横浜にも縁があった。戦犯として逮捕された人たちは、巣鴨にうつる前は横浜刑務所におり、A級戦犯のうち死刑になった7人は久保山火葬場で荼毘に付された。
久保山は実家のわりと近くだし、興福寺なんてずいぶん懐かしい。子どもの頃はあのへんで遊んだりしたもんだ。・・・と思ったがなんか違和感がある。そうだ、「こうふくじ」って、「興福寺」じゃなくて「洪福寺」じゃん。これは著者の間違いだろう。
とにかく、久々に、おもしろい本を読んだときの喜びを感じた。どっしりとした、読み応えのある本だった。
自分が学生だった20年ほど前は、新書といえば岩波・中公・講談社くらいしかなかった。それが何時の間にやら各出版社から新書が乱発行されるようになり、つまらない本が増殖してきた。新書が対象にするようなネタはもう尽きてしまっているのかもしれない。この本は1971年初刷で、2006年で37刷と長きに渡って読まれている。これだけ読み継がれてきたのはやはり理由があるのだと思った。
サブタイトルは『アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち』ということで、ルソーだけではなく、素朴派と呼ばれる作家たちと、ルソーが日本美術に与えた影響もあわせて見てみようという企画だ。
なんとなくB級な感じが漂うので観に行こうかどうしようか迷っていたが、美術展系のブログを閲覧するとかなり評判が高いので行ってみることにした。
会期もほとんど終盤なので混雑することを予想し早めにでかけた。用賀駅から直通バスで美術館に着いたのは開場20分前の9:40。そのときはまだ1グループしかいなかったが、開場直前になるとかなりの列ができあがった。
以下に印象に残ったものを。
ルソーが与えた影響を見る、という企画意図は当たりだと思ったが、いかんせん、ルソー以外の素朴派と日本画が、作品じたいが激しくつまらなかった。そんなせいか、なんだかちょっと消化不良でがっかりした感じ。期待しすぎたのが仇になったのかもしれない。
絵はがきを3枚買ったが、図録は買わなかった。『フリュマンス・ビッシュの肖像』の絵はがきは、ルソー自身があしらったという額の模様がはいっていなかったのがちょっぴり残念。
ところで、鑑賞中は、大声でしゃべる中高年グループや泣きわめく子どもがいたりと騒々しかったので(そういえばなんだか不思議な客層だった)、ずっと iPod を聴いていた。BGM には Archie Shepp が Coltrane に捧げたフリー・ジャズの名盤「Life At The Donaueschingen Music Festival(邦題:ワン・フォー・ザ・トレーン)」をチョイス。これがなかなかこの展覧会に合ったので、ルソー一派(?)は前衛芸術と認定することにした。
11時に会場を出たあとは、併設のレストラン「ル・ジャルダン」で食事をした。ルソー展特別ランチはサーモンのソテーで、東博法隆寺宝物館に入っている某店と違って焼き具合はちょうど良く、なかなか美味であった。値段がちょっと高めだが、ルソー展ランチは展覧会の入場半券で10%オフになった。
ランチのあと時間が余ったので、美術館の2階で開催されているもうひとつの展覧会、「日本のパブリックアート展」を観ることにした。(世田谷美術館・2006年12月3日観覧)
ルソー展を見終えて、ミュージアム・ショップで絵はがきなどを物色していたとき、同時に開催されているこの展覧会の図録があったのでぱらぱらめくって見たところ、モエレ沼公園やらのきれいな写真が載っていた。で、結構面白そうに思えたので、ついでに観ていくことにした。ルソー展とは別料金で600円だが、ルソー展の入場半券を提示すればぐっと安くなって、団体料金の480円で観ることができたのも理由のひとつだ。
どーせ写真ばっかのパネル展みたいな感じだろう、とあまり期待せずに入った。が、細かい解説があったり、太陽の塔なんかの図面があったりと、意外なほどの展示量で驚いた。モエレ沼公園のジオラマがあったりして、子どもが熱心に見入っていた。
自分は城郭ファンで、特に縄張が好きだ。建築と景観が織りなす、機能的でありながら官能的なあの空間にクラクラきてしまう。子どもの頃から、おえかきちょうに城やら地図やらを描くのが大好きだった。
おそらくそういう趣味(性癖というべきか・・・)からきているのだと思うが、空間デザインみたいなものにも関心があって、広島平和記念公園とかモエレ沼公園なんかはもう萌え萌えなのである。というわけで、展示前半の第1章「エポックメイキング・プロジェクト」に紹介されている展示がおもしろかった。へえー、こんなところがあるのか、という感じで、室生山上公園なんかは実際に行ってみたくなった。
自分の場合は、公共スペースのこういった展示というと、周辺(景観)との調和というのが鑑賞の際の非常に大きな要素であって、そういう意味で「首都圏の再整備」の事例には大いに不満を覚えた。たとえば六本木ヒルズのへんな蜘蛛の彫刻なんかは明らかに周囲から孤立している。いくらアーティスティックなものでも、自分はこの違和感を不快に感じる(逆にその違和感こそが狙いなのかもしれないが)。いずれにしても不特定多数の目にふれる展示は、「彫刻公害」という言葉もあるように、展示方法ひとつとってもたいへんむずかしいものだと思った。
そこいくと札幌芸術の森野外美術館は、ほとんどの作品が、作家がこの地を実際に訪れ、地形や周囲の状況、札幌の気候などをもとに新たに制作されたもの
ということで、さすがに落ち着きを感じた。そこまで徹底するんだったら日本庭園の借景のような考えの作品があってもいいのではないかという気もしたが、札幌というロケーションでは富士山のようなランドマークもないし、ちょっと無理かな。
で、感想を一言でいうと「ごった煮」という感じ。「弐代目・青い日記帳」のTakさんが指摘されているように、対象が絞りきれていないのだ。
『パブリック・アート』というと自分はなんとなく『公共スペースに展示されている(誰でも楽しめる)芸術』と連想してしまう。だから、箱根彫刻の森美術館や、上述の札幌芸術の森美術館のような、金とって見せてるところは違うんじゃないの? と、Takさんとは別の意味で違和感を覚えた。で、自分の身近で『パブリック・アート』として真っ先に思い浮かべるのはいつも、横浜桜木町のガード下の落書きで、まったくの対象外。そう、この展覧会は彫刻とかオブジェばかりが対象になっているのだ。『アート』なんだから絵画も入れてもいいんじゃないの?
『日本の屋外彫刻』とかいう題名だったらしっくりくるかというとそうでもなくて、第2章「ユニーク・プロジェクト」には津和野川護岸整備とかあったりするのでもうわけわかんない。
とまあ文句もあるけど、期待しすぎてちょっぴりがっかりした本命のルソー展に反して、まったく期待せずに寄ってみたら意外にも楽しめてしまった展覧会だった。「ついで」だったのが良かったのかもしれない。ちなみに、会場はまあまあの入りだった。ついでに見ていく人が結構いるらしい。
図録はちょっとした美術書みたいなデザインで、表紙を眺めているだけでも楽しい。DVD付きということもあって、思わず買ってしまった。DVDは会場でも上映していた。
帰りは用賀駅まで歩いたのであるが、遊歩道のオブジェを眺めながら「これもパブリック・アートじゃん」とか今さらながらに思ったりして、街歩きをするときの目線がちょっと変わりそうな予感。(世田谷美術館・2006年12月3日観覧)
会場がアレなのであまり見る気がおきなかった展覧会だが、相棒がかなり乗り気。そこでネットで評判を調べてみる。なかなかよい感想が多く(ブログでは悪く書く人が少ないせいもあるが)、どうも北斎がイイらしい。相棒は北斎ファン。まあ行ってみてもいいかな、という気になってきた。
今週末が最後の土日で、激込みの予感。しかたがないので、急遽風邪をひいて平日にでかけることにした。
両国に着いたのは10時ごろ。なんだかすごい人ごみで、年寄りばっかりだ。どっかの歴史愛好会みたいなのが団体で押し寄せてきたらしい。みんな「ちゃんこで忘年会」とか書かれた、遠足のちらしみたいなのを持っている。せっかく平日に来たのに、なんと運の悪いことだろう・・・
どうもネットで見た感じでは美人画がイイらしいが、自分は浮世絵では風景と役者絵のファンで、あのダイナミックな構図が好きなのだ。お気に入りの絵師は広重とか写楽とか国芳など。そんなヤツが風俗画や美人画を見たって面白いはずがない。
入場券が自動改札用の情けないチケットでいきなり出ばなをくじかれる。半券を見て期待が高まるっつうのに、これじゃ・・・
入っていきなり北斎の「朱鍾馗図幟」(No. 17)があったが、ふうんという感じ。特別感想もないまま風俗画の中を突き進む。まるで興味なし。そのまま美人画に突入。ほとんど興味を持てず、漫然と流す。着物から出てる手がピグモンみたいで気持ち悪い。
なにしろつまんない。このままじゃ入場料ドブに捨てたのとおんなじことになる、と危機感が増してきたそのとき、豊国が目に入った。そこからようやくおもしろくなった。
展示は、時系列あるいは絵師ごとにカテゴライズしたほうがわかりやすかったと思う。出品作品数が少ないうえに、同じ絵師の品があっちにあったりこっちにあったりして、なんだか散漫な印象を受けた。で、北斎だけちょっと異質なもんだから目立っちゃう。
会場はなにしろ年寄りが多くて、シップ薬のかほりがほのかに漂う展覧会となった。まあそれはいいとしても、こういう展覧会をあまり観ない人が多いのだろう、堂々と絵を撮影して係員に注意され不満気にデジカメをしまう爺様や、場内のソファに腰かけペットボトルのお茶を飲もうとして係員に注意され恥ずかしそうにお茶をしまう婆様などがいたりして、やはり江戸東京博物館じゃこんなもんかなと思ったしだい。だってみんな(もちろん全員ではないけど)絵が見たくて来てるんじゃなくて、東京見物のついでに寄ってるだけなんだもの。いくら名品そろえたって、これじゃあもったいない。ウィーン・フィルとか呼んどいて、居酒屋で演奏させてるようなもんじゃないのか。
もともとあまり期待していなかっただけに「まあこんなもんかな」という感想。北斎は評判どおりで、豊国の歌右衛門と歌麿の2枚を見られたのが収穫だった。にしても1,300円は高すぎ。
絵はがきを4枚買って会場を後にした。もう会期終盤のせいか、チラシがなかったのが悲しかった。(江戸東京博物館・2006年12月7日観覧)
漢字の、日本での独特の変容について述べられた本。
文字じたいの変化も興味深いが、内容はそれだけにとどまらず、現代日本人の漢字に対する意識なんかにも触れられていて、トリビア満載のたいへんおもしろい本だった。日ごろ特に関心を払うこともなく使っている漢字の(ウェブサイトなんて作っていると時おり意識的になったりするときもあるけど)、なりたちや意味について改めて意識させられた。
家電製品のスイッチの「切」とか「強」とかを、心の中でどのように読んでいるか? 自分でそれらの字を見たときには、まったく読みを意識せず「ここがスイッチオフの位置」という記号のように感じている。そんなの人それぞれだし、決まった読みなんてないだろうが、それでも人に伝えるときに「きるにしといて」で充分通じると思う。そんなふうに、漢字は、発音記号であり、そのうえ意味を持ち、さらには単なる記号としても機能する。漢字って凄い、漢字をそんな風に使う日本語・日本人も凄い、と思った。
たとえば、日本で作られた漢字(国字という)があるということは知ってはいたが、じゃぁいつ誰が作ったのか、ということなんて考えもしなかった。
もちろん、そのほとんどは出自がはっきりしないが、たとえば「涙腺」とかいうときの『腺』の字は宇田川玄真という蘭方医が江戸時代に発明した字なんだとか。へぇ。同じ国字でも、「峠」みたいないかにも日本的な字と違って造りが中国古来の漢字っぽいから、日本人の発明だとは思いもよらなかった。「涙腺」「汗腺」のように、からだ(月「にくづき」)から泉のように液体が出てくるのだから、まさにドンピシャの字だ。
これだけ有名な(?)字の発明者なのに、ググってもヒット数がやたら少ないことに再度びっくりしたのだった。Wikiにもこの漢字のことは書かれていない。
また、同じ「にくづき」つながりでびっくりしたのは、人名用漢字を新規追加するときに「腥」「胱」といった字が要望に挙がったということ。筆者の推察では、どうも現代日本人の漢字のとらえかたは、字そのものの持つ意味よりもイメージ中心になりつつあるのではないか、という。なるほど、たしかにどっちの字も「月と星」「月と光」で、そう考えるとプラスのイメージだが・・・しかし、名前にこんな字を使われちゃぁかなわん。「ションベン」とか「きん○ま」とかあだ名つけられていじめられるのがオチだ。まあ漢字だけじゃない、
他にもいろんな漢字がある。自分の名前のために勝手に(?)漢字を作ったり、書き間違いが元で広まっちゃったりなどなど。だがそれもすべて「字」なのだ。ことばは、常に変わっていく。何が「正しい」のかなんて、誰にも決められない。「辞書に載ってないから間違い」なんじゃなくて、「世の中に通用している字を載せるのが辞書の役割」なのだ。
中国古代史を専攻し卒論を書いた経験から思ったことは、へんてこな誤字や、すでに廃れてしまった字を活字にして出版することは、筆者・印刷会社ともにたいへんな苦労があったろうということだった。
(笹原宏之著・2006年)(2006年12月27日読了)