かつて話題になった本。1985年に週刊ポストに連載され、その翌年単行本化されて、大宅宗一ノンフィクション賞を受賞した。自分の読んだのは、その第1部『プリンスホテルの謎』を独立させて、1991年に「小学館ライブラリー」シリーズの第1号として発刊されたものだ。(あの頃は、岩波が同時代ライブラリーなんてものを出してから、同じく「ライブラリー」と銘打った大型の文庫が乱発されてたっけ。)
当時、話題の本が手軽に読めるというので買ってみたものの、内容が『プリンスホテルの謎』だけだと知ったのは読後、著者による「あとがき」を読んでからだった。奥付のとこにもはっきりそう書いてあるんだけど、その時は気づかなかったわけで。
だが結局この『プリンスホテルの謎』だけでとても面白くて、これで充分だと思った。それは今回14年ぶりに読みかえしてみても同じだった。主役が西武の堤康次郎となって焦点がはっきりするからかもしれない。
内容を忘れていた部分が結構多かったが、プリンスホテルという名前の由来を知ったときの興奮はまだ覚えていて、期待しながら読んだらやっぱりおもしろかった。
特に興味深く感じたのは第四章の『避暑地軽井沢と八瀬童子』だった。明治維新以降、地名を変えたりして波に乗り発展していった地域と、うまく乗り切れずに没落していった地域の対比がドラマチックだ。平成の大合併で市町村の名前がやたらと変わっていることを連想してしまったが、うまく波に乗れているところはあるのだろうか。
また、内容をすっかり忘れていたのは『天皇裕仁のゴルフコース』の章だった。皇太子時代の昭和天皇は新宿御苑でゴルフに興じていたんだとか。戦前の新宿御苑は皇族専用のゴルフコースとなっていて、昭和天皇に限らず皇族がゴルフに明け暮れていた。昔の皇族の力がそれだけ強かったというエピソードだ。
文中では昭和天皇を「天皇」、当時皇太子だった今上天皇を「皇太子」と記している。小学館ライブラリーとして出版された1991年にはすでに世代交代があったわけだが、「あとがき」によるとあえて初版当時のままにしてあるんだとか。おかげで、ちょっと混乱してしまう。
(猪瀬直樹著・1991年)(2007年10月3日読了)『劔岳 点の記』が映画化されるという話にちょっと興味をもって、原作を読もうと本屋に行くと売り切れだった。で、同じ新田次郎のこの本を代わりに買ってしまったのだった。
どうして剱岳が富士山になってしまったのかというと、NHKのプロジェクトXで見覚えがあったからというただそれだけのことだった。
新田次郎といえば映画『八甲田山』の原作者、という程度の貧困な知識しか持っていなかった。その後プロジェクトXの富士山レーダー建設の話を見て、その総責任者が新田次郎だったということを知り、知識が2倍に増えた(恥)。で、偶然本屋で見かけたこの本は、その富士山レーダー建設の話だったのだ。
気軽に読み始めたが、わりと最初の方から引き込まれて一気に読んでしまった。特にクライマックスのひとつであるヘリコプターによるドームの運搬シーンは興奮もので、通勤電車で読んでいたのだがちょうどいいところで乗換駅が近づいてきてしまい、電車が故障したらいいのにと本気で思ってしまった。
題材は山だが、純粋な山岳小説とは言えない感じだ。作者自身の体験をもとにしていると言っても、私小説とも違う。尾崎秀樹による巻末の解説には企業小説的なおもしろみをもっている
(235頁)とあるが、それが一番近いように思った。
読後にビデオでプロジェクトXを見直してみたら、食い違いがあったりしておもしろかった。建設中のホテルがレーダーを操作する電波の障害になるかもしれないというエピソードは、プロジェクトXでは現場に藤原課長(新田次郎)が「怒鳴り込んできた」と言っていたが、小説の葛木課長は足が慄えるほど衝撃を受け、「暗い気持ちで」おそるおそる現場に向かっていた。小説だから脚色があって当たり前で、ストーリー上もこの方がよいのだが、あまりにも真逆なので可笑しかった。
(新田次郎著・1974年)(2007年10月11日読了)『富士山頂』を読んでいる数日間に本屋を何軒かまわってようやく買うことができた。
この『劔岳 点の記』が映画化されるという話に興味をもったのは、ロケがほんとうに剱岳周辺で行われている、ということを知ったからだ(ネットでも目撃情報多数)。また、測量官の柴崎芳太郎という人は、BS-iの番組『剱岳 百年目の真実』(剱の再測量は北岳とともに話題になったっけ)で名前と業績は知っていたし、彼が山頂で発見した平安時代の錫杖が重要文化財に指定されていることから、山好き・地図好きな文化財ヲタクの自分にはまさに神のような存在なのだ。
登頂に関するちゃんとした記録は残っていないだろうし、エピソードの類はだいたい作り話なのだろうと思いつつ読み進んだが、最後の「越中劒岳を見詰めながら」という後書きとも別稿のエッセイともとれる章を読むと、著者は柴崎本人から裏話を聞いたという人に取材しているらしい。ってことは、実際にあったことなのか。そうと知っていればもっと真剣に読んだのに。とは思っても後の祭り。まあ、先入観を持って小説を読むとつまらなくなる、ということだ。
また、ストーリーの流れと地名から、どこが登頂ルートなのかが事前にわかってしまったのがちょっと残念だった。
読み終えてから冷静に考えてみると、『富士山頂』もそうだったが、クライマックスが結構早めにやってきてあとがだらだらと続き、結末になんだか締まりがないように思った。
また、ずっと柴崎芳太郎の目線で進んできた話の最中に突然作者による登頂日の謎解き(314-316頁)があったりするのは小説としてどうなのかなあとも思ったりもした。これをわざわざこのタイミングで挿入する意図がわからない。これこそ、結末とか後書きにすれば最後がきっちり締まるように思えるのだが。
それでも登頂を果たすシーンには感動した。これは自分が山登りをするということも大きい。長い縦走を経てようやくたどり着いた山頂で感じるあのなんとも言えない満ち足りた感動を、この小説を読んだだけで味わうことができた。剱岳には登ったことがないのに。
なお、冒頭に記したテレビ番組『剱岳 百年目の真実』で、柴崎芳太郎が実際に作成した点の記や、山頂で発見された平安時代の錫杖などを見ることができる。
(新田次郎著・2006年新装版)(2007年10月24日読了)