山ノボラーには定番の小説だが、初めて読んだ。自分の場合、凄い登山家の事績には興味がない。だってあまりにも自分とかけ離れているんだもの。
でもこの本はおもしろかった。結末を知っているのにこれほど読ませる小説はそうそうないのではないかと思った。というより、結末を知っていて、そこに向かって突き進んでいく過程に引き込まれてしまうのだろう。単独行への終生の誓い(上巻395頁)といった伏線や、幸せそのものの結婚生活も、痛々しく感じながら読んだ。山のシーンと街のシーンが交互に描かれる構成もよかった。
前半の、まだ単独行に対する姿勢が確立していないあたりの心理描写では、頷けるところが多かった。
自分はかつて単独で山を歩いていた。相棒と歩くようになったのは10数年前からだが、それ以後も、彼女以外の人と山歩きをしたことはない。だから単独行と同じようなものだと思う。他の人と歩いたら、おそらく息が詰まることだろう。休みたいところで休めないだろうし、立ち止まって写真を撮りたくなっても歩き続けなければならないかもしれない。そんな可能性を考えるだけでもうんざりしてしまう。
だから、主人公が感じた、他人と歩くことに対する戸惑いがよくわかった。
しかし、最後の山行での宮村とのやりとりには嫌悪感すら覚えた。強引な宮村に対して何も言えない主人公にいらだちを感じた。そもそも、他人の意見に盲目的に従うような人は単独行を続けられないと思う。主人公の登山歴からしてこれはあり得ないと思うのだ。
それに、宮村の豹変ぶりだってちょっとおかしい。まあ、それほど失恋の痛手が大きかったということなのかもしれないが。
こういった点は、ちょっとリアリティに欠けると思った。
主人公に加藤文太郎という本名を使っているので(夫人のたっての希望だとか)、実際のできごとばかりのように思ってしまうのだが、事実を元にしたフィクションと考えるべきだろう。
今の登山者にもなじみのある赤沼とか穂苅といった名前を除いては、だいたいの登場人物は仮名のようだし、なにより、主人公が最後の山行までずっと単独を通していたというところが加藤文太郎本人とは違うようだ。このあたりは本人の書いた『単独行』を見ればわかる(青空文庫で読むことができるのは嬉しい)。
実際の事件を元にしたフィクション。映画化されて一気に有名になった。まだ子どもだったが、『天は我々を見放した』という台詞が流行ったのをよく覚えている。
その映画『八甲田山』は大人になってからテレビで見たのだが、雪の中の進軍の描写は小説の方が上だと思った。重たい外套が凍り付いていて、それをまとった兵士がマイケル・ジャクソンのスリラーのようにさまよっている姿が目に浮かぶようだ。ちょうどこれを読んでいる頃から、この冬最初の強い寒気団が下りてきたこともあって、もう寒くて寒くてしかたなかった。
『剱岳 点の記』同様、クライマックスが早めに訪れてしまい、あとはだらだらと書き連ねてあるのがまた奇妙な感じ。とくに終章がわけわからん。
作中の登場人物がすべて仮名なのに、終章の5つめのチャプターでとつぜん本名が混交してくる。この終章5が要らない。終章4の終わりは二人の聯隊長が別れるところでまとまりもいいのだから、ここで終わりならよかったのに。
おかげで読後感はビミョーなものに。内容がおもしろかっただけにちょっぴり残念だ。新田次郎の小説を続けて4作品読んだが、小説らしい終わり方なのは『孤高の人』だけだと感じた。