新たに新書を買って読むのは半年ぶりくらいだ。
本屋でふと気になってぱらぱらとめくってみたら、神社の配置の見取図みたいなのがいっぱい載っていたので思わず買ってしまったのだ。城の縄張りなんかが好きな自分は、一も二もなく飛びついてしまった。
この本は、自然暦の視点から神社の系譜について考える、という本だ。「自然暦」といってもピンと来ないが、自然の動きによって季節の変化を感じとる暦というところか。
「まえがき」には、古代人が、こうした太陽の動きを、神の宿る「神社」の配置に応用したのがいわゆる「自然暦」である
とある(4頁)。つまり、この本では太陽の動きと方角に限定した暦になっている。・・・ん? つうか、これって「こよみ」とは違うんじゃないの?
と、のっけから疑問が吹き出すのだったが、神社が方位や日の出・日没の方向によって配置されている例が日本全国に見られるという見方じたいはおもしろい。
中でも、出雲大社や豊国神社の項はおもしろく読めた。鹿島神宮から日御碕を通って韓国の慶州に連なる線は壮大で、歴史上の解釈にも符合するというのは興味深い。読んでいて、それほど長大な線を測量する技術が古代にあったのかと疑問を持ったので、Google Earth で飛んでみたら、さすがにずれてはいたものの結構いい線いってたので感心した。まあ、こじつけにすぎない、という穿った見方もできるのだが。
また、豊臣氏の滅亡後、家康が豊国神社の東西線を分断するために智積院を配置したというのもおもしろかった。
ただ、最初のうちはいちいち「おおー」と感心しながら読んでいたが、だんだん食傷気味になってきて「だからなんなの」と思うようになってしまった。
それは、社寺の配置と方角の関連が、豊国神社のようにはっきりと示されている例が少ないからだろう。ただ単に、○○神社から見て夏至の日の出の方向に△△神社があります、という事柄の報告になってしまっているのだ。で、だからなんなの、となってしまうのである。
このへんは佐々木昇さんの「読書日記」と同じ感想を持った。不完全燃焼だ。着想がユニークなだけに、残念に思った。
あと、文中で、平将門だけ「公」付けなのが気になってしょうがなかった。作者は将門を尊敬しているのか、あるいは祟りでも恐れているのだろうか?
(宮元健次著・2006年)(2007年11月29日読了)このエントリのトラックバックURL: http://katzlin.asablo.jp/blog/2007/12/09/6654487/tb