KATZLIN'S blog

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写楽展2011-06-01 22:45

相棒は大の写楽ファン、自分は第1期だけが好きなまあまあの写楽ファン。写楽の確認されている145作品のうち、ほぼすべての140作品が揃うということで、早割ペアチケットを購入して楽しみにしていた展覧会。当初4月初旬から開催の予定だったのが震災の影響で延期になった。

展覧会のチケットをインターネットで買ったのは初めてだった。クリッククリックであっさり購入完了。あとは紙に印刷して当日持っていく、というシステムらしい。こんなんでホントに大丈夫なのかなあと不安に思ってしまう。引き換えにチケットが届くとかなら違和感はないのだが、自分で印刷して持っていくとか、昭和な自分には展開が未来的すぎてわけがわからない。


9時20分くらいに着くと、ちょうど門が開いて入場が始まったところだった。印刷して持ってきたA4のチケットを門番氏におそるおそる見せると通してもらえた。しかしまだ建物には入れず、庭に行列を作る。恐れていたほどの混雑はなく、薬師寺とか北斎に比べると楽勝ムードだったが、これは会期中盤だからなのか、それとも主催に大新聞がからんでいないからなのか。さすがにもうあの自粛ムードではないだろう。
よく晴れていて、遮るもののない庭では初夏の日差しが暑かった。

入館が始まり、いよいよ自分たちの番がやってきた。インターネットチケットは普通のチケットとは別の専用ゲートに行く。バーコードでナンバーを読み取り・確認して、晴れて入場となるのだが・・・予想通り、自分たちのはバーコード読み取りができず。印刷品質をエコノミーにしたせいかもしれない。受付のおねえさんが2度、3度と機械をかざしているうちに、隣の紙チケットゲートからはどんどん人々が入ってゆく。結局、バーコードの下に打ってある数字を打ち込んで確認がとれ、ようやく入場できた。
おねえさん曰く「よくあることですよ」
って、そんな・・・
なお、印刷してきた紙はここで没収されて、半券と交換された。半券の下部には会期変更の黄色いシールが貼ってあった。
写楽展半券

公式サイトの「混雑状況」のページに会場の見取り図があったので、事前に見たいところはチェック済み。最初の方は写楽以外の作品ばかりなので後回しにして、いきなり第4コーナー「版の比較」から見た。これは、同じ作品を並べてみて、保存状態などの違いを比べてみようという企画だ。まだここまで到達している人は少なくて、会場はがらがら。

二代目嵐龍三の金かし石部の金吉」は、着物の模様がはっきりと違うのがよく分かる。
谷村虎蔵の鷲塚八平次」も、着物の色がまったく違う。また、月代の色が残っているものとそうでないものがあり、それだけでもまったく雰囲気が違う。
三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵女房おしづ」は、個人蔵のものの美しさが際立っていた。色合いはもちろん、色の塗られていない部分がとてもきれい。紙が焼けていない感じで、まるで復刻版のようだ。よほど保存状態がよいのに違いない。

上記は保存状態の違いだが、「初代尾上松助の松下造酒之進」は、家紋が違う。尾上松助の家紋は扇の中に○で囲った松の字というデザインなのだが、一方はその○が塗りつぶされていて●になっており、もう一方はちゃんと○に松だ。どうやら前者は、彫師の彫り忘れなんじゃないかということらしい。後から彫り直したというのだ。それでも、よぅく見てみると、塗りつぶされた中に松の字がうっすらと見えるのがわかる。
こんなようなことが分かるのも、現物ならではだと思うのだ。

第5コーナーからは「写楽の全貌」ということで、写楽の全作品を年代順に並べたもの。
やはり第1期が白眉。自分にはあとはイマイチだった。よく言われることだが、2期以降、どうしてこうも変わってしまったのだろうと思ってしまう。

第6コーナーが「写楽の残影」で、写楽に影響を受けたと思しき浮世絵師の作品。展示数自体は少ない。
歌舞伎堂艶鏡とか歌川国政とか、聞いたことない絵師の作品は、確かに写楽っぽいけど、どうにも下手くそでしかたない。クレヨンしんちゃんとかみたいに、絵が破綻している。同じように描いてもちゃんとしている写楽がいかに凄かったか、ということか。
そこ行くと、豊国はさすがだ。「四代目市川団蔵の毛谷村六助」なんかは、ぎょろ目とぶっとい線の迫力が素晴らしい。自分は豊国という絵師が結構好きだから、贔屓目に見てしまうのかもしれないが。

もう1回「写楽の全貌」をまわってから、第1・第2コーナーに行ったときには、もうこちらは大混雑で見る気が起きなかった。よくよく見たら、歌麻呂の有名な「三美人」とか「ぽっぺんの女」とか「山姥と金太郎」とかがあったが、もう写楽でお腹いっぱいだった。

お土産は奮発して、第1期全28枚絵はがきセットと、「谷村虎蔵の鷲塚八平次」の扇子と、大谷鬼次の目などがデザインされた風呂敷と、付箋と、図録を買った。図録の巻頭言には、震災のお悔やみと、会期延長のお詫びが載っていた。よく間に合わせたもんだと思った。

9時半に入場して、平成館を出たのは12時ちょっと前。さすがに疲れた。とりあえず昼食に東洋館の精養軒に行ってみたら、いつの間にかオークラのレストランに変わってた。初めて東博に来たのは高校時代だから、かれこれ四半世紀も前になるが、その頃すでにここは精養軒で、名物のハヤシライスは結構好きだった。一抹の寂しさを覚えつつも注文した写楽展限定煮込みハンバーグセットはなかなか美味だった。煮込みと言えばデミグラが定番だが、これはトマトがかなり効いているのが面白い。

ところで、会場のどこを見回しても写楽展のちらしが見当たらず、もしかして会期が変更になって撤収してしまったのかと思ったら、このレストランでようやく発見できた。ひょっとしたら、会期半ばを過ぎて、すでに貴重品となっているのだろうか。
写楽展ちらし表 写楽展ちらし裏
食事後は、本館の「写楽に挑戦!」とかいうコーナーで多色刷りを体験。これがなかなか難しい。
写楽に挑戦
さらに法隆寺宝物館の季節限定のお面の部屋を満喫。ここのひっそりとした雰囲気は最高に素晴らしい。
博物館を出てから、御徒町で買い物などをして帰った。
(東京国立博物館・2011年5月21日観覧)

パウル・クレー | おわらないアトリエ2011-06-13 23:55

クレー単体の展覧会を観るのは、1993年 Bunkamura の「パウル・クレーの芸術」以来だ。このときは、時系列展示のオーソドックスな回顧展だったと記憶している。死の直前の作品のいくつかが、特に印象に残っている。図録と絵はがきを買って、今でも時折見返している。
今回の展覧会はちょっと趣向が変わっていて、クレーの作品製作過程にスポットをあてているんだとか。前売券もきっちり買って開催を待ちわびていた。

この日は晴れたら山登り・雨だったらクレー展と決めていたが、週間予報は7日前からブレることなく雨を予告。当日、予報はぴたりと的中して朝から本降りの雨だったので、予定どおり竹橋へ出かけた。
国立近代美術館に入るのは、よくよく考えてみたら20年ぶりのような気がする。そのときはルドン展だった。


主催が日経新聞で宣伝もあまり目立たないし、そのうえ雨降りなので、どうせそんなに混んでいないだろうと適当な時間に家を出たら、竹橋に着いたのは10時半近くになっていた。
駅の出口でなんか胡散臭いおっさんが立ってタバコを吸っていたので、迷惑ジジイどっか行けと思って睨んだら、にこやかに「ほら、これ、放射能測定器」とか言って傍らを指差すので見てみると、三脚にビデオカメラみたいなのが設置してあった。そこで、つい、思わず、うっかり、口がすべって、「タバコの方が危ないんじゃないの」とか言ってしまった。するとジジイは烈火のごとく怒り出して「そうじゃないんだよ!!」などと怒鳴りだした。ヤベー。こういう連中と関わり合いになると大変なので、慌てて逃げた。後ろでまだ「危なくなんかねーよ!!」「バッカじゃねーの!!」とか叫んでいるのが聞こえた。信号を渡ってから振り返るとジジイはタバコを道路脇の排水口に捨てていた。

のっけからヘンなものを見て気が重くなったが、美術館に入り、相棒がトイレに行っている間に入口付近にある革のイスに腰かけたら、座り心地がとってもよくて、気分が晴れた。東博の法隆寺宝物館にあるのと同じイスだ。マリオ・ベリーニという人のキャブ・チェアというものらしい。

会場内はまあまあの混み具合だった。

花ひらいて(1934,199)
No.022-R。チケットにあしらわれている作品。また、公式サイトのトップも飾っているところからして、展覧会の一番のウリの作品ということだろう。カラフルでリズミカルで、いかにもクレー的なコンポジション。1993年展ではこの前作の『花ひらく木』(1925,119)だけが出品されていた(今回は両方出ている)。1934,199 は、1925,119 よりも色調が明るくて好感度抜群。いったいどうして、こんなジグソーパズルみたいな絵が心に響くのか不思議でしょうがない。
1925,119 を横にして拡大するとこの 1934,199 になり、それは時間を経ているから4次元的な表現だとかなんとか解説があったが、そういう解釈とかはコジツケくさくてなんか好きになれない。
プロセス1 | 写して/塗って/写して || 油彩転写の作品
本展の目玉である、クレーの作品製作過程を検証したコーナー。これは感心した。クレーは、黒い油絵の具を塗った紙を、裏返してカーボン紙のように使って、素描を転写していくというテクを使っているという。実際にその素描と、転写した色付きの作品が並んでいるのでよくわかり、面白い。
反面、後のプロセス2と3は、どうかなあと思った。作品を切って分割することで儲かるからやったんじゃないかと思ってしまうのだ。まあ、どこで切っても作品としてなりたってしまうところが凄いのかなとも思う。
襲われた場所(1922,109)
No.163。横の縞々や矢印を見て、ジャン・ミシェル・フォロンを思い出してしまい、フォロンはさぞかしクレーから影響を受けたのだろうなあと思ったが、帰宅してフォロンの画集を見てみると全然違ってた。フォロンの方がずっとポップだ。テレ東系『美の巨人たち』の7月2日O.A.分はこの作品がテーマになるらしいのでちょっと楽しみだ。
余談だが、この絵の邦題は1993年展では『当惑する場所』となっていた。しかし、原題の『Betroffener Ort』を翻訳サイトで訳してみても、「襲う」も「当惑」も出てこなかった。
山のカーニバル(1924,114)
No.166。これ、水彩だっていうことだけど、線がもの凄く細かい。毛の筆じゃないように思えるけど、どうやって描いたんだろうか。
嘆き悲しんで(1934,8)
No.177。1993年展で見て印象の強かった作品。微妙なグラデーションが美しい。明らかに人の顔なんだけど、これって具象なんだろうか、抽象なんだろうか。
ちなみに、この作品も1993年展は邦題が違っていて、『喪に服して』というものだった。

なんだかんだ言って、結局印象に残った作品は最後の「"特別クラス"の作品たち」のものが多かった。また、コンポジションをいくつか見ていて、3年前に観たエミリー・ウングワレーを思い出した。もちろん、クレーとエミリーとはなんの関連性もない。不思議なものだ。
総じておもしろい展覧会だったが、通常の展覧会とちょっと違って気になった点がある。それは、

  • 作品の観覧順序がひっじょうにわかりにくい
  • 会場内にはイスが一切ない
ということ。特に前者は深刻で、入場口に置いてある作品リストに載っている会場レイアウト図でまず最初に確認しておかないと混乱すること請け合いだ。周りの人は「なんで順番じゃないんだよ」「え、次、どこどこ」とか言っている人が結構いて、で、それを聞いた人が「やっぱりみんな同じこと言ってる(笑)」とか。とにかく、これほど混乱したのは、横浜港北ニュータウンの IKEA 以来だ。
公式サイトの東京展会場風景にはデザイナーさんのイラストやメモなんかがある。たしかに、行ったり戻ったり自由なところはクレーの作品のイメージと似ているかもしれない。自分はどちらかというと、作品さえ見られれば順番なんかどうでもいいよ、というタイプだから、このコンセプトには賛成できる。けれど、現実にはそんなこと言ってられなくて、自分が今どこにいるのかとか、全作品をちゃんと見終えたのかとか、そんな程度のことが分からなくなってしまう。たとえば壁の色をプロセスごとに統一したりすれば、もうちょっと迷子が減るんじゃないかと思うが、まあそんなことも考えたうえでのこの仕様なんだろう。

絵はがきを10枚ほど買って会場を出た。その後は2階のレストラン「アクア」に入った。自分は鶏肉チーズ焼き、相棒はベトナム風サラダを注文。スパークリングワインと白ワインをグラスで飲んだ。美術館のレストランにしてはなかなかだったが、ちょっと塩が薄かったり、野菜が水っぽいような気がした。どちらかというと薄味が好みな自分がこう思ったのだから、普通の人には物足りない味なのではないだろうか。

レストランを出るとちょうど雨があがったところだったので、皇居東御苑をぶらつくことにした。タイサンボクの花の香りを楽しみつつ、天守台から二の丸・三の丸と歩き、最後に大手門近くの切込みはぎ石垣の美しい模様を見たとたん、クレーのコンポジションを思い出した。
江戸城石垣
(国立近代美術館・2011年6月11日観覧)