KATZLIN'S blog

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空海と密教美術展2011-09-05 23:39

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西洋美術のピカソや印象派と同様に、空海関連の展覧会は食傷気味だ。企画を知ったとき「また空海かよ」と思った。しかし「国宝・重要文化財98.9%」を謳っているので、しかたなく早割チケットを購入しておいた。夏は山登りをするのでなかなか観に行けなかったが、9月に入ってようやく時間ができた。

正直言ってまったく期待していなくて、東寺の仏像を間近に見られるという一点だけが興味の元だった。なわけで、いつもは美術系のブログなどで情報収集してから出かけるのだが、今回はまったくそんなこともせず、PDFの作品目録も事前にダウンロードしたのだが、あまりの見難さに読みもせず。
電車の時間も調べずにテキトーに出かけたら上野駅に着いたのは9時半を少し過ぎたころだった。台風接近の最中という影響もあるのか、電車は結構すいていた。


電車もそうだが、博物館もさほど混んでいなかった。平成館の入場口も人は少なかった。今回はペアチケットの紙はファインモードで印刷してきたので、バーコード読み取りもスムーズだった。
どうやら聾瞽指帰やら風信帖やらが出ているらしいが、典籍は今更感がたっぷりで、優先順位は低い。第一会場の終わりの方に仏像があるっぽかったので、とりあえずそちらから入ってみた。

女神坐像(東寺)
No.50。神像にはあんまり興味がないのだが、その最古の遺例と言われると、印象も違ってくる。女神は2体あって、手の形とかが微妙に違う。今回はそのうち1体が出展されている。過去にも1体見たことがあるのだが、果たしてどっちがどっちだったやら。
薬師如来坐像(獅子窟寺)
No.88。今回見たなかで一番感銘を受けた。こんなにいい仏像があったなんて。今まで完全ノーチェックだった。
正面から見ると違和感を感じるのは、おそらく下から見上げるように造られているからだろうと思った。そこで、少しかがんで見てみると、実に慈悲深いいい顔になった。また、向かって斜め左から見ると、おっそろしく切れ長の眼が引き立って美しかった。唇から頬にかけては観心寺の如意輪観音と似ているというが、一緒に見た相棒は、吉本新喜劇の烏川耕一の唇に似ていると言っていた。
とにかく、この像を見たとき、この展覧会を見にきてよかったと思った。帰宅してから早速図鑑類を見てみたが、本物のあの雰囲気は感じられなかった。そういえば、お土産コーナーの絵はがきも、あの素晴らしさは微塵もなかった。きっと、カメラの前ではオーラを消し去る術を身につけているのだろう。
法界虚空蔵菩薩・蓮華虚空蔵菩薩坐像(観智院)
No.94,95。唐から将来したもの、らしい。他に居並ぶ像と顔がまったく違う不思議な雰囲気の像だ。
降三世明王立像(東寺)
No.61。明王よりも踏みつけられているシヴァ神とその妻に目がいった。シヴァの方は、明王の持った錫杖で頭をカッコンされている。
増長天立像(東寺)
No.66。これまた踏みつけられている邪鬼に目がいった。2体の邪鬼のうち、向かって右のやつは後ろ向きなので、このような360度から見回せる機会がないと見ることができない。で、この後ろ向きのやつの顔がもうとんでもなくブサイクなのだった。
帝釈天騎象像(東寺)
No.64。東博内の看板にも使われている。すげースカしているが、憎いほどのイケメン像だ。胸板が異様に厚いだけの梵天よりは、現代風でよっぽどいい男だと思うのだがどうだろう。
象の耳がおもしろい。きっと、象なんて見たこともない人が、絵とかを参考にして作ったからだろう。それでもそこそこのずっしり感があるのは、表現力があるからなのだろうか?
兜跋毘沙門天立像(東寺)
No.24。東寺の像の中でも好きなもののひとつだ。関根勤に似ていると思っている。服装の模様がかなり変わっている。これまた唐からの将来品らしい。

帰り際に第1章の部屋にも入ったが、人が多くてやはり典籍類はよく見られなかった。聾瞽指帰が1巻まるまる全部を展示してあったのには驚いた。
仏像の展示は、へんな立体曼荼羅がどうとかよりも、ライティングがよかったと思った。陰影もあまりくどくなく、双眼鏡で見ると立体感がいや増す。

法隆寺館のオークラで早めのランチを食べて、法隆寺館・本館をのんびり見てまわった。
法隆寺館のお面の部屋は開いていた。本館は2階の貴賓室が特別に開いていて、中を見ることができた。相変わらず刀のコレクションが良かった。ちょっと意外だったのは、数年前オークションで巨額で落札されて有名になった運慶作の大日如来像が展示してあったこと。どうやら東博に寄託されているようだ。
(東京国立博物館・2011年9月3日観覧)