KATZLIN'S blog

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マグリット展 と ルーブル美術館展2015-06-14 22:49

マグリット展

またマグリットかよ、と今さら感たっぷりな気がしたが、回顧展は実は13年ぶりなんだとか。そうか、シュルレアリスム展とかそういうので数枚見たりしてただけで、ちゃんとしたマグリット専門のはやってなかったんだ。むう、では、見なければなるまい。
前売券をネットで購入し、開催を待つこととした。

朝、出かける間際にチケットをプリントしてよく見たら、土日は混むから平日又は夜間がおすすめと備考欄に書いてあった。夜間は金曜だけじゃなくて、日は限られているが、土日にもあった。お、ちょうど今日、夜間開館日じゃん。というわけで、勧められるままに、夜間に行くことにした。
半券の提示で同時開催のルーブル美術館展が100円引きになる。そっちはすげー混んでそうだけど、夜、もし空いてたらついでに見てみるか。


美術館には16時過ぎに着いた。ルーブル展の入場待ちの行列が、1階を埋め尽くしていた。ちょっと喉が渇いたので地下に行ってアイスコーヒーなどを飲んでから、会場に入った。中はさほど混んでいなかったが、とにかく寒かった。係員が巡回しながらショールを貸し出しているくらいだ。
お馴染みのマグリットである。がっつかずに、テキトーに流し見すればいい。大事なのは、このマグリットに囲まれた空間を楽しむことなのだ。などと呑気に考えていたら、のっけから見たことのない作品が並ぶ。内容も、油絵やグワッシュが並んで重厚だ。会場に入るまでは図録を買う気はなかったが、もう速攻で購入することに決めた。

初めて見た作品では、ガラスの鍵がとても気に入った。岩稜の並ぶ高山の奥にマグリット的な卵型の巨石が置いてある(というか、乗っているというか)図である。巨石のポジションがあまりにも自然すぎるのがツボにきた。マグリットの巨石といえば、画面の大半を占めていることが多いが、これはほどよいサイズで、そのためにそこにあるのが当たり前のように見える。高山の空気感もリアルだ。

他には、旅の想い出。室内に佇む人とライオン、その他すべてが石である。無機質なようでいて、不思議と温かみも感じる。石の質感の表現が上手いんだなあとあらためて思った。

見知った作品も多数。白紙委任状アルンハイムの領地大家族あたりの安定感はさすがだ。横浜美術館所蔵の青春の泉王様の美術館の2枚も、これほどの質量の展覧会の中でも存在感があった。
青春の泉

「光の帝国」は、22枚も描かれているが、今回来ている光の帝国IIはその中でも特に昼と夜のバランスが素晴らしいものだと思う。1994年展(新宿三越美術館)のは街灯が中央にあって構図が不安定だし、2002年展(Bunkamura)のは夜部分が多すぎて濃い。

これまた何枚も描かれているイメージの裏切りは会場の最後にひっそりと1枚。画中のキャプションは定番の Ceci n'est pas une pipe ではなく、Ceci continue de ne pas être une pipe だ。訳すと「これはいつまでもパイプではない」という感じだろうが、シュルレアリスム風に言うと「これはパイプではない続ける」だろうか。

一方で、自分の一番のお気に入りの心の琴線(山より大きなシャンパングラスに雲が入ってる)がなかったのは残念。そういえば、定番ものでもリンゴのモチーフがほとんどなかった。仮面を着けたリンゴとか、部屋いっぱいの巨大リンゴとか。

18時を過ぎるとめっきり人が減った。たっぷり2時間半かけてじっくり3周した。重厚なマグリット空間は素晴らしく、よい展覧会をじっくり見たあとの心地よい疲労を覚えた。それもそのはず、展示作品数は130近くもあったのだ。ちなみに過去の回顧展と比較しても、2002年展は93、1994年展は94(デッサンや瓶などを除いた数)で、今回が頭抜けて重い。
図録の他に、絵ハガキを3枚と、紳士型のブックマーク、トートバッグ、それに相棒のリクエストでゴルコンダのクッキーを買った。
19時に会場を出ると、長かったルーブル展の列が解消されていたので、当初の狙い通り、寄ってみることにした。


ルーブル美術館展

フェルメールは別に好きでないし、田園風景の絵にも興味なし。真の狙いは、ブリューゲル(父)である。マグリット展の半券で100円引きになるし、もし空いていたらついでにブリューゲルだけでも見てやるか、くらいな心構えだった。
新美術館に着いた16時ごろはチケット購入40分、入場40分の待ちであった。広々とした美術館の1階ロビーは、行列で埋め尽くされていた。
ルーブル美術館展の行列
マグリット展を見終えた19時には、行列は解消されていた。これなら合格だ。100円引きでチケットを買って、入場した。

それでも中はまあまあ混んでいた。行列とはいかないまでも、それぞれの作品の前には人だかりが出来ていて、中々近寄れない状況だった。やはりフェルメールは混んでいて、作品前では、遠目から動かずにじっくり見る人と、列を作って動きながら間近に見る人とに交通整理がされていた。とりあえず、動く方の列が短かったので、並んで近くで見た。
フェルメールは初めて見た(たぶん)。これはいい絵だ。「美の巨人たち」ではソフトフォーカスがどうとか言っていたが、確かにそんな感じの絵だった。正直言って何でフェルメールがやたらともてはやされるのか今までさっぱり分からなかったが、納得した。これは道理で人気があるわけだ。

ムリリョの有名な少年は、虫が結構グロかった。そして思ったよりも大きい絵だった。

徴税吏たちがあった。このひん曲がった口がいい。見覚えがあるが、どうして自分がこの絵を知っているのかが思い出せない。昔の友達に街でばったり会った感じだ。顔も名前もちゃんと覚えてるんだけど、えーっと、高校のクラスが一緒だったんだっけ、それとも委員会だったかな。散々考えたが思い出せず、帰って調べたら、どうやらリヒテンシュタイン展で見たのと同じだった。どっちかが模写してるのか。え、リヒテンシュタインのはマセイスですか。マセイスといえば、この展覧会の呼び物のひとつ、両替商とその妻の作者ではないですか。へえええ。

象狩りの象が笑える。眼が赤く光って、凶悪な顔付きなのだ。象の眼は顔の左右にあるはずだが、この絵では人間のように、正面に付いていた。画家が象を見たことないのは間違いない。そこいくと、本邦の普賢菩薩が乗ってる象はもっとちゃんと象っぽい気がするような。古の仏師たちだって、象は見ていないはずだ。

で、本当のお目当ては、ブリューゲルなのである。この物乞いたちは、ルーブルが持っている唯一のブリューゲルなんだとか。ウチの画集では白黒ページに載っているので、カラーは初めてだ。いざりというモチーフはブリューゲル作品にはよく登場するようで、広場でやたら大勢が描かれているような絵の隅っこにいたりするが、ここでは彼らが主役だ。19時半になると新規入店の人がいなくなり、入り口に近いこの作品を独り占めできた。

駆け足で2周したあと、19時40分ごろ会場を出た。フェルメールと両替商とブリューゲルの絵ハガキを買った。ショップはちょっぴり行列ができていた。
美術館のあとは、すぐ近くにある佐藤陽一ソムリエの店「マクシヴァン」で、ワインと料理を楽しんだ。
(国立新美術館・2015年5月30日観覧)