KATZLIN'S blog

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糸のみほとけ --国宝 綴織當麻曼荼羅と繍仏2018-08-07 15:49

當麻曼荼羅なんて、非公開で、一生お目にかかることはないだろうとずっと思っていたのだが、稀に展示されることがあることを知ったのはここ数年のこと。じゃあいつかは見られる日が来るのかなあ、とぼんやり思っていたところ、意外に早くその日がやって来た。早割ペア券を買って心待ちにしていた。
それにしても、どういう都合か知らないが、展覧会期間が夏休み期間とは。織物には暑さと湿気がよろしくないんじゃないだろうか、と相棒に言ったら、冷房効いてるから大丈夫なんじゃない、と言う。そらそうだ。


朝6時半の新幹線で新横浜を出て、京都で近鉄特急に乗り換えて、近鉄奈良へ。酷暑の中を10分ほど歩いて博物館に着いたのは9時40分。大混雑だったらどうしよう、と思っていたが、拍子抜けするくらいひっそりとしていた。平日朝の恩恵か、それともさすがに繍仏はマニアック過ぎるのか。
糸のみほとけ展看板
新館のスロープを進み、2階が展覧会場だ。年配の客が多かった。

天寿国繍帳(中宮寺・国宝)
No.3-1。会場に入るとすぐに天寿国繍帳が。京都の国宝展で見たばかりと思ったが、よく考えたらあれからもう8カ月くらい経っている。 壁面の展示ケースではなく、四角柱のケースに展示されていたため、ガラスから作品がそんなに離れていなかったので、京都のときよりも間近に観ることができた。四角柱ケースの他の面には見所の説明パネルが。鎌倉時代の補修より、飛鳥時代のオリジナルの方が色が褪せずにいるのは京都で学んだ。
天寿国繍帳残欠(中宮寺・国宝)
No.3-2。天寿国繍帳の切れ端がたくさん展示されていた。切れ端と言えど色鮮やかなのは、飛鳥時代の織だからなのだろう。
上宮聖徳法王帝説(知恩院・国宝)
No.12。未見の文書なのだが、これがなぜ「糸のみほとけ」展に出るのか。事前に解説本を見てもわからずモヤモヤしていた。正解は、文中に天寿国繍帳に関する記述があるからとのことだった。この文書は聖徳太子に関するもの。天寿国繍帳は聖徳太子を偲んで作られたものなので、なるほどなのだった。
綴織當麻曼荼羅(當麻寺・国宝)
No.30。ふと見上げると、壁面に巨大な茶色い四角が。心の準備ができる前に不意に遭遇してしまった。予想通り、何が描いてあるんだかよく見えない。中央の如来のお顔と、その下部に中品上生とか下品上生とかいう字が見て取れるくらいだった。双眼鏡で見たが、それでもよくわからない。
そもそも綴織とはどういう織なのか。その解説が向かって左にあった。綴織ならではのなめらかな表面のせいで、かつてはこの曼荼羅が織物ではなく絵画なのではないかという論争もあったという。確かに絵のように見えなくもない。何百年も経って傷んで識別が困難だったのだ。でも今の技術で細部を拡大して見ると、菩薩の鼻梁あたりにいかにも織物らしいギザギザが確認できる(写真が展示されている)。で、そのつもりで再び曼荼羅を双眼鏡で見てみる。でも結局、双眼鏡のレベルじゃそこまでわからなかった。
綴織當麻曼荼羅 部分復元模造(川島織物セルコン)
No.31。現代の職人が綴織の技法で當麻曼荼羅の一部を復元。美しい。願わくば全体を、と思ったが、この菩薩頭部だけでも40日かかっており、全体となると8年かかるとか。それを考えると、たった一晩で織り上げた中将姫の技術はまさに神業だ。なお、この製作作業のようす(つまりメイキング映像だ)が映像コーナーで見られた。
刺繍釈迦如来説法図(奈良国立博物館・国宝)
No.41。反対側の隅に、もう一つのお目当ての刺繍釈迦如来説法図があった。こちらは綴織とは違う織の技術(鎖繍とか相良繍とか)が使われていて、立体感があった。後光の色のグラデーションが素晴らしかった。これは見に来た甲斐があるというものだ。
刺繍普賢十羅刹女像(宝厳寺・重文)、普賢菩薩像(奈良国立博物館・重文)
No.43、44。繍仏じゃない絵の普賢菩薩(No.44)がなぜ展示されてるんだろう、と思ったら、すぐ隣の43との比較なのだった。背景の細かな違いはあれど、仏本体のサイズがまったく同じ。どちらかが一方を模写したのは明らかだ。
刺繍文殊菩薩騎獅像(大和文華館・重文)
No.47。獅子のたてがみが刺繍で立体的に見える。文殊の繍仏はこの1枚しか現存しないのだという。
髪繍阿弥陀聖衆来迎図(金剛寺)
No.102。阿弥陀からビームが発射されている普通の来迎図のように見える。が、如来の螺髪と菩薩たちの輪郭線は髪の毛を縫い込んで描かれていて、立体的だ。
展覧会では、髪の縫い込む繍仏でも1コーナーできていた。つまりそれほど遺例があるということだ。
刺繍當麻曼荼羅(真正極楽寺)
No.105。當麻曼荼羅を江戸時代に刺繍で復元したもの。刺繍なので本来の綴織と違って表面が凸凹しているのだが、曼荼羅の全体をつかむのによい。

1周して気付いたら昼間近だった。来る前は1時間くらいでさっさと見終えてどこか寺でも拝観に行こうと思っていたが、それは甘かった。展覧会ちらしには「織物や刺繍で仏の姿や浄土を表した作品があることをご存知ですか」とあるが、當麻曼荼羅と刺繍釈迦説法図くらいしか知らなかった。それがひとつの展覧会が開けるくらいたくさんあることを知ったのは、大きな収穫だ。
気付いたら会場は外国人だらけだった。東洋人だけでなく白人も多かった。彼らは日本人ですらろくに知らない繍仏(そもそもこの「しゅうぶつ」という単語だって、フツーは知らないだろう)を日本の想い出として持ち帰るのだろう。帰国した彼らは知人に「日本って、刺繍のブッダがいっぱいあるんだぜ」とか言うのだろうか。
全体をもう1周したあと、さらに當麻曼荼羅と刺繍釈迦説法図をもう一度見直してから会場を出た。絵ハガキを5枚買った。アップのものは繍い目がよく見えてイイ。

時刻は正午を過ぎていた。奈良博の食堂はカレーとオムライスくらいしかなさそうだったので、激烈な暑さの中を夢風ひろばまで行き、黒川本家で「葛匠」ランチセットを食した。
黒川本家「葛匠」ランチ
ビールを飲みたかったが、この暑さでは熱中症が心配なので我慢した。そういえば今回帽子を持ってくるのを忘れた。すぐ目の前にモンベルの店があったので帽子を買った。再び博物館に戻り、仏像館の仏像を見た。岡寺所蔵の義淵僧正坐像(国宝)が初見だった。大好きな室生寺の釈迦如来像(国宝)も昨年から同じ場所のままにおわした。
15時過ぎまで博物館にいて遠出ができなくなったので、すぐ近くの興福寺国宝館に寄ってから宿に向かった。
(奈良国立博物館・2018年7月27日観覧)

特別展 平安の秘仏-滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち2016-10-22 14:22

櫟野寺展看板
近年、「みちのくの仏像」などの小規模(の割には観覧料の高い)展覧会の会場として使われている東博本館1階第5室。今回は滋賀の櫟野寺らくやじという寺の秘仏が出開帳にお出ましなさるという。やってくる20体の仏像は、全て重文なんだとか。前売券を買って開催を楽しみにしていた。


家を朝9時ちょい前に出て、東博には10時過ぎに着いた。平日朝の上野は、白人旅行者と、年寄りが多かった。
東博本館と櫟野寺展の巨大垂れ幕
博物館に入っても同様だった。本館の向かって右にはどでかい垂れ幕がさがっていたが、入口が補修工事中だったのはちと興ざめな感じがした。そして第5室に入ると、白人はいなくなり、年寄りだらけになった。

十一面観音菩薩坐像
No.1。会場の中央に鎮座まします、この展覧会のメインの像。秘仏だけあって彩色がきれいに残り、鈷杵やら転法輪の模様がよく見えた。流れるような光背も美しい。像の周りは360度周れるが、暴悪大笑面はこの光背があるため正面からは見えずに横から見える形だった。全ての面の写真が会場の解説板に載っていた。
チラシに「高さ5mの大迫力」とかなんとか書いてあって、その文句を鵜呑みにしたせいか、それほど大きくもないような、いや、大きいんだけど、これくらいの大きさなら他にもあるよなあとか、なんかちょっと思っていたのと違うような気がしてしまった。部屋広すぎ・天井高すぎなのかもしれない。迫力よりも美しさとか荘厳さの方が強く感じられた。実に素晴らしい仏像だ。
観音菩薩立像
No.6。丸顔であどけない表情。ひと目見て気に入った。解説板には鉈彫と書いてあり、確かに、顔はきれいで体に彫りが残ってる。鉈彫は東日本固有のものだと思ってたが、西にもあるのか。西の鉈彫だからなのかどうか、彫りもちょっと浅いように感じられた。だからなのかどうか、鉈彫というよりは作りかけの未完成品のような気がした。櫟野寺公式サイトの解説では、鉈彫像は関東以北にみる様式化された像が多く、また、足先は共木から刻み出すが、形を彫るだけで完全な足とはしていないことなど、鉈彫か未完成品かといった問題を考える上でも重要な像と言う。
観音菩薩立像
No.7。目が釣り上がった細身の像。このタイプは甲賀地方に独特で、「甲賀様式」と言うんだとか。会場内をぐるりと囲む小像のうちでは、これが一番上手かった。
薬師如来坐像
No.9。いかにも平安時代なおおらかな像。これくらいの大きさの像が最大で且つ本尊、と言う寺も多いだろう。やはり秘仏十一面観音の大きさは特筆すべきことなのだろう。
観音菩薩立像
No.12。タレ目の像。ふにゃんとした雰囲気がなんともいえず、イイ。No.6の観音像と並び、この展覧会のお気に入りとなった。
地蔵菩薩坐像
No.16。頭まで金ピカの地蔵。地蔵像って木肌剥き出しの茶色いイメージがあって、こんな金ピカ像はちょっと記憶にない。そばで見ていたおばさんも「頭まで金ピカよ」と言っているのが聞こえた。みんな同じ印象らしい。
地蔵菩薩立像
No.18。薄い笑み、体の厚みが薄いのは平安後期の特徴的な作例という。襞のない衣は本地仏の影響との解説であった。

場内をぐるぐる回っているうちにやや混んできたので会場を出た。すぐ隣の部屋がグッズショップになっており、絵ハガキを5枚買った。あと、「櫟」普及委員会の「櫟」Tシャツをつい買ってしまった。背中に「since792」とあるのは、ちょっと前にタモリ倶楽部でシンスブームを披瀝していたみうらじゅんの仕業に違いない。
櫟Tシャツ
本館をひととおり周ると11時半になったので、最後にもう一度櫟野寺展に再入場してひとまわりしてから、東博を出た。あとから展覧会公式サイトにある「甲賀・櫟野寺ルポ漫画」を見て知ったのだが、次に寺で拝観できるのは2年後だとか。いやあ、今回、観といてよかった。

昼食は12時前に店に入りたい。久々に伊豆栄の鰻を食うことに決めたが、本店まで行くと昼を回ってしまいそうなので、東照宮そばの梅川亭という支店に行った。美味であった。
伊豆栄梅川亭の鰻重
東京駅に移動し、大丸の世界のワインフェアでしこたま呑んで買い物をしてから帰った。今回平日に休みをとって出てきたのは、このワインフェアの週末の混雑を避けるためなのだった。
(東京国立博物館・2016年10月13日観覧)

慈光寺 --国宝法華経一品経を守り伝える古刹2015-11-10 22:21

慈光寺展
埼玉県にある慈光寺の国宝一品経が、修理完了記念とかで全33巻が一挙公開されるという。これは大チャンスでぜひ見てみたいが、慈光寺とか遠そうだしどうしようとか思っていたら、大宮にある埼玉県立歴史と民俗の博物館での展示だとか。大宮なら日帰りでじゅうぶん行ける。
展示は前後期で半分ずつという。前後期とも観るのが最良だが、どうしたものか。後期にだけ行って「あー前期も見ておけばよかった」となるよりはと、まずは前期に行くことにした。


家から大宮までは電車を乗り継いで2時間くらいかかる。開館はなんと朝9時だが、いくらなんでもそれは早すぎる。上野とかの大展覧会と違ってそんなに混んでないだろうと、家を8時に出て10時くらいの到着を目指した。大宮で東武野田線に乗り換え、大宮公園なる駅で降りた。大宮公園駅は、大宮駅からわずか2駅なのに、見るからに地方の駅といった雰囲気の閑散とした小駅だった。博物館へは案内看板があって道の心配はなかった。そば屋の角を曲がり、ラブホの前を通って公園の隅っこにある博物館に着いた。

いかにも70年代ころの公立の建物っぽい博物館は(前川國男設計だと後から知って、なるほど、と思った)、異様に静まりかえっていた。そう、がらっがらなのだ。ほどほどの広さの展示室には観覧客は10人もいなかった。

修理を終えた装飾経は美しかった。先頭は序品で、金の料紙に金泥で経文が書いてあった。
特に気に入ったのは序品のほか、シックな色合いに派手な金泥の勧持品。あと、行と行の境界線が二重になってたりする提婆達多品。このデザインは今風で斬新な印象を受けた。
いくつかの巻が失われたのは残念だが、江戸時代に田安家が追補したとかで、そういった巻は見返しがただの金箔になっていた。後期に展示予定の巻は廊下にパネルで掲示されており、楽しみではある。

常設展ではなんと岩佐又兵衛が描いた三十六歌仙額絵(重文)が展示されていた。この絵が奉納されている拝殿は通常は閉めきっているからか、保存状態が素晴らしかった。またそのため、普段滅多にお目にかかれない代物なのではないかとも思った。36枚を12枚ずつ3回に分けての展示。この日は中期の12枚だった。
岩佐又兵衛を意識して見るようになったのは漫画「へうげもの」を読んでからだが、やっぱり奴は天才だ。輪郭線がくっきりとしているのが現代の漫画にも通じるような気がする。これ見ると、へうげものの作品中の又兵衛の絵が本物を踏まえて描かれていることがよくわかった。
他の展示もなかなかのボリュームだったが、展示品のほっとんどが複製品だったのはいただけない。そんな中で、縄文時代の埼玉に海があったことを知ったのは大収穫だった。

思わず図録を買ってしまった。なんだかんだで博物館を出たのは12時過ぎ。え、2時間もいたのか。

天ぷら蕎麦
往きに通った角のそば屋「あざみ」で埼玉の酒「神亀」をちょい呑みしつつ蕎麦を食ったあと(旨かった)、ぶらぶら歩いて鉄道博物館に行った。

鉄道博物館は一度は行ってみたかったところ。0系新幹線以外にも、ゴッパチやらロクロクがあって懐かしかった。実家が東海道線沿いで、近所の子供たちは、こういった電気機関車(が牽いていた貨物列車)を眺めていたものだ。手を振って、運転手に振り返してもらうとそれはそれは嬉しかった。
ロクロク
ランチトレインにはディスカバージャパンの頃のキャンペーン広告が貼られていて、鎌倉の旅の広告が「冷房車が走っています」というのが新鮮だった。ここにも結局17時半までいて、新宿で食事をしてから帰宅したのは23時近くになってしまった。
(埼玉県立歴史と民俗の博物館・2015年10月24日観覧)

特別展「鳥獣戯画-京都 高山寺の至宝-」2015-05-10 23:35

鳥獣人物戯画は、前年の京都展のとき、京都に行って見ようかと思っていたところ、上野にも来るというので思いとどまった経緯がある。しかし京都での大混雑を知り、そんなんなら行かなくていいや、というヌルい考えでいた。

ところが、鳥獣人物戯画とは関係ないところで、東博本館の新指定国宝・重文展示に病草紙がお目見えという。
自分は美術好きではあるが、画集はたった4冊しか持っていない。で、そのうち2冊が日本の絵巻シリーズ「鳥獣人物戯画」と「餓鬼草紙・地獄草紙・病草紙・九相詩絵巻」である。つまり、東博で、この2つが同時に見られるということなのだ。なんか、見に行くほうがいいような気がしてきた。
(ちなみに、残りの2冊の画集はマグリットとブリューゲルで、2015年5月は、なんとこの4冊すべての絵が東京で展示されるという、個人的には惑星直列なみの巡りあわせの月なのである)

しかも、よくよく調べたら、鳥獣人物戯画については、前期だけだけど、断簡が勢揃いするという話。どうやらアメリカに渡ったものも里帰りするという。これってすっごいチャンスなのでは。
特に相棒は鳥獣人物戯画を見る気満々で、金曜の夜間開館を狙えばいいんじゃないかという話になり、仕事を早退けして上野に行くこととなった。


表慶館と看板
東博入館は17時半頃。会場の平成館への入場制限はなかった。半券を提示すれば再入場は可能というので、とりあえず鳥獣戯画展に入場。いつもは2階の南側のホールにある展覧会グッズ売り場は1階に置き、替わりに内臓のようにぐねぐねとした甲巻待ちの行列ができていた。
甲巻は120分、丁丙乙巻(ヘンテコだがこの順序に並んでいる)は30分の待ち列となっていたので、列のないものから見ることにした。やや遅れて相棒が到着した。華厳宗祖師絵伝といった国宝もあるが、鳥獣戯画の行列を考えると、なんか気が散ってしまう。

華厳宗祖師絵伝 義湘絵(高山寺・国宝)
No.105。一部屋丸々がこの絵巻の展示だった。絵もそんなに上手くないせいもあって、全場面展示は冗長すぎて、名シーンだけでいいと思ってしまった。だから空いているのかも、という気がしないでもない。そういう意味では、鳥獣人物戯画の引き立て役となってしまっているかもしれない。鳥獣人物戯画が気になったこともあるが、ここはすっ飛ばしてしまった。
鳥獣人物戯画断簡(東京国立博物館)
No.118。ずいぶん前だが東洋館の地下で見た記憶がある。田楽を描く甲巻16紙の前に入るという。この他にも失われた図があるという。この断簡を欠いて甲巻を継ぎ合わせた編集者が上手いなあと思うのだった。
鳥獣人物戯画断簡(個人)
No.119。益田家旧蔵。益田って?? と調べたら、実業家にして茶人の益田鈍翁とのこと。軸装としては横長すぎるという。レースで劣勢の猿が兎の耳を引っ張っちゃう描写なんかは、もう名人芸だ。こういう「あるある」な感じが、この絵巻の(特に甲巻の)魅力なんだろう。そういや甲巻の兎と蛙の相撲シーンでも、兎は耳をかじられているが、やっぱり弱点なのか。
鳥獣人物戯画断簡(個人)
No.120。アメリカからの里帰り断簡。鹿に振り落とされた猿のこの表情はどうだ。そういや甲巻で背中を痛めて柄杓の水で冷やしてもらっているのも猿だっけ。
鳥獣人物戯画断簡(MIHO MUSEUM)
No.121。この断簡は親子の描写が多いという。確かに。蛙親子の肩車がほんわかして凄くイイ。蛙の子ならオタマジャクシじゃないとおかしいとか、そういうツッコミは無粋である。昭和に発行された当家所蔵ウチの画集には「東京某家蔵」とあり、No.120とのつながりを暗示している。曰く、中央の驚いた猿の視線の先にはNo.120で猿を振り落とした鹿がいるというのだ。
鳥獣人物戯画断簡(MIHO MUSEUM)
No.122。丁巻の断簡。これは昭和の当家所蔵の画集には載ってない。4つの甲巻の断簡に比べると、やはり面白みに欠ける。
明恵上人樹上座禅像(高山寺・国宝)
No.25。自分にとっては、どっかで見たはずだが思い出せない、もしかしたら見たことないのかも知れない、という印象の絵。有名な隠れリスの居場所は解説パネルでばっちり分かっちゃうので謎解き的な趣向はイマイチなのだけど、リスがいる理由についても書いてあったのでまあいいか。
仏眼仏母像(高山寺・国宝)
No.49。白い美しい絵。余白の讃がどうとかはあまり興味がない。

18時過ぎに平成館を出て本館に行き、通常展と平成27年新指定国宝・重文の展示を鑑賞。彫刻部門が素晴らしいが、やっぱり鳥獣戯画展を考えて気が散ってしまった。

木造虚空蔵菩薩立像(醍醐寺・国宝)
平安時代の檀像。衣紋が見事。でっぷりとした躰がいかにも平安な仏像だ。どっかで見たことあるなあと思ったら、過去に東博「仏像展」でも見た、今まで聖観音として知られていた仏像のようだ。このときのチラシに横顔が載っている。
木造弥勒仏坐像(東大寺・国宝)
「試みの大仏」として有名な像。これまた平安仏っぽいおおらかさがイイ。これまた過去に東博「仏像展」でも見た。これまたチラシに横顔が載っている。ん、てことはこれまた一木なのか。
木造二天王立像(荒茂毘沙門堂管理組合・重文)
これも平安時代の仏像。平安期の天部の像はそんなに怖くないような気がする。にしても、これだけの平安仏が並ぶと、特別展のようなクオリティになってしまうのが凄い。まあ、だからこそ文化財に指定されたってことなんだろうけど。
病草紙断簡(文化庁、九博・重文)
全5点。当家所蔵の画集によると、病草紙には22編があるようだ(最近の説では21か?)。で、この展示はすべて画集にはないものばかりだった。なわけで、見て「あれ、知らないのばっかり」と、がっかりしたような、逆に新たなものを知って嬉しいような。「口より屎をする男」の詞書はまあまあ読めたものの、あとはちょっと難しかった。
土偶(富士見町井戸尻考古館・重文)
なんとも愛らしい土偶。先般の日本国宝展で土偶がフィーチャーされた記憶も新しいので、ちょっとツボにきた。重文指定の理由のひとつに保存状態がよいことがあげられている。
法隆寺金堂壁画写真ガラス原版(法隆寺・重文)
仏像写真では有名な便利堂の撮影した写真の原版。このまま焼失した壁画の画集が出版できそうな。
ヱーセルテレカラフ(個人蔵・重文)
幕末のもので、最古の国産電信機とのこと。電信機ってことはモールス信号とか、電報みたいなことができるわけ? それが幕末に、国内で作られていたってこと? ん、電信ってことは電気はどうしたんだろう?
いろいろ疑問や興味が湧いてはくるものの、モノが置いてあるだけで仕組みが分からない。管理している諫早市美術・歴史館ではレプリカを動かせるらしい。そういえばファクス機を実用化したのって日本が最初なんだったっけ。そういう技術の系譜の始まりってことなんだろうか。

本館を出て18時55分に平成館に戻ると、入場制限が始まっていた。
兎や猿の戯れる平成館前の池
入場に40分、甲巻が120分、丁丙乙巻も70分とか。全部見たらあと4時間弱かかる。最後は23時とか、これホントかね。もうこれで自分は鳥獣人物戯画は見る気がなくなった。係員は、20時を鳥獣戯画展への最終入場時間とすると案内していた。21時には他の展示は閉めるが、それまでに甲巻の列に並べば、見終わるまで開けているとのこと。だから、20時までに入って、まず他の展示を見てから最後に甲巻に並ぶように、と。

コーンがうら寂しい平成館前広場
入場には実際は30分もかからなかった。相棒が丁丙乙巻に並び、自分は別れて再び断簡を見た。このときは断簡前はほとんど人がいない状態で、心ゆくまで堪能できた。
またまた平成館を出て中庭で夜風にあたったあと、20時ちょっと前にまたまた平成館に戻った。このときはさすがにもう入場規制はなかった。2階に上がって待合のソファでまったりした。丁丙乙巻を見終えた相棒は20時24分に甲巻の待ち列についた。110分待ちの表示だった。ソファで本を読んだりしていたが、ふと、21時ぎりぎりに丁丙乙巻を見るといいんじゃね? と思い、20:50に行ってみたら、最後の10人くらいの固まりに入った。

鳥獣人物戯画 丁丙乙巻(高山寺・国宝)
No.117〜115。閉展間際ではあったが、じっくり鑑賞できたのはよかった。甲巻は数回は見た記憶・記録があるが、もしかしたら丁丙乙巻を見たのは初めてなのではないかという疑惑が生じた。甲巻に比べて影が薄くて覚えてないだけかもしれないけど。
特に丁巻が良かった。実物の筆使いによるものなのか、それともやっとの思いで見た絵巻に対する個人的な感傷なのか、写真だと落書きに見えるが(実際、落書きなんだろうけど)、実物を見ると生き生きとしていてなかなかイイのだ。これまで丁巻には興味が持てなかったけど、結構好きになった。

21時10分には丁丙乙巻を見終わり、またソファに座って閲覧用図録を眺めたりしていた。21時20分ごろ、ようやく相棒が甲巻の展示室に吸い込まれていくのが見えた。つまり、2階南側のホールに内臓のように並んでいた時間は1時間近かったわけだ。
さすがに手持ち無沙汰になったので、1階に降り、ショップで竹マグネット4種と絵ハガキ3枚を買って、博物館を出た。グッズも甲巻推しだった。先に帰るにも中途半端な時間なので、上野公園で音楽を聞きながら本を読んだり(電子書籍は暗くても読めるのがいいところだ)して相棒を待っていると、22時39分に相棒から甲巻を見終わったと連絡が入った。相棒の後ろにも大勢の人が並んでいたが、いったい最後は何時になっただろう。

夕食をとっていなかったので、売店でサンドイッチを買って小田急特急の車内で食べた。家に着いたのは0時を過ぎていた。
後期は、断簡も半分なくなっちゃうし、新指定国宝もないし、法隆寺宝物館は休館。しかし蛙と兎の相撲という超有名シーンが展示される。さてどうしよう。
(東京国立博物館・2015年5月8日観覧)

特別展 東日本大震災復興祈念「みちのくの観音さま - 人に寄り添うみほとけ -」2015-03-09 23:52

秋田県大仙市にある水神社の線刻千手観音等鏡像は県内唯一の国宝で、年に1度だけ、8月17日の祭礼の日に公開される。そのレアな国宝が、宮城県多賀城市にある東北歴史博物館の展覧会に出品されるという。これは大チャンス。

ただ、展覧会だけだと時間を持て余してしまうだろう。どっか他にいいとこないかな、と別冊太陽「みちのくの仏像」を眺めると、同じ宮城県の角田市にある高蔵寺阿弥陀堂(重文)が目についた。なになに、東北三大阿弥陀堂とされ、東北地方に3つだけ残る平安時代の建物のひとつとな(他は中尊寺金色堂と白水阿弥陀堂でいずれも国宝)。堂内の阿弥陀像(重文)もなかなか良さそげ。よし、行ってみよう。

高蔵寺の内部拝観は事前予約が必要とのことなので、前日に電話して10時にお願いした。博物館はそのあとのんびり行くことにした。折角だから1泊して他も見ようと思ったが、翌日が雨でしかも寒いという予報だったので、結局日帰りすることにした。


早朝の新幹線に乗り、白石蔵王で下車、タクシーで高蔵寺に向かうが、9時半に着いてしまった。駅から20分弱で3,000円でおつりがきた。それにしても、いくらなんでも早過ぎる。寺の境内は自由なので、阿弥陀堂を外から眺めたり、すぐ近くに移築保存されている旧佐藤家住宅(重文)を見学したりして時間を潰した。

阿弥陀堂は方三間の簡素な建物で、かやの林に囲まれていた。榧の木と言えば一木造の仏像に多く用いられるが、日本固有の木で、屋久島から東北南部にかけて分布しており、つまりこの付近は北限にあたるという。榧の実を好むヤマガラやシジュウカラなどの小鳥たちが忙しく飛び交っていた。
高蔵寺阿弥陀堂

10時ちょっと前になって寺務所に声をかけ、いよいよ阿弥陀堂の拝観。中に入ると、堂内は真っ暗だった。前面の両脇扉を開放すると、薄く自然光が入った。徐々に目が慣れてくると、思いのほか大きな仏像が、光背が天井に付かんばかりの大きさで鎮座ましましていることが分かった。感嘆して、思わず声をあげてしまった。
住職氏は我々を仏前に招き入れると、並んで共に合掌・一礼したあとは、縁側に出てしまった。おかげでじっくり鑑賞できた。
阿弥陀如来は、いかにも平安仏な大らかな仏像だった。丈六というのがまたイイ。正面より斜めの方が顔立ちがいいが、右前と左前でも少し違った印象だ。
10分ほどしげしげと眺めてから、住職に礼を言い、寺を後にした。すっかり体が冷え切ってしまった。

タクシーで東北本線の大河原駅に出て、電車を仙台で乗り継いで、国府多賀城駅で降りた。目の前に東北歴史博物館があった。
ちょうど昼になったので、博物館1階のレストラン「グリーンゲイブル」で昼食をとった。どういうわけか、店内のオーディオがマニアックだった。腹を満たしたあとで、展覧会場に入った。
東北歴史博物館
入るとすぐに、半円形に並んだ立像群が我々を出迎えてくれた。しかもケースに入っていない。正直なところ、国宝の鏡像以外は全く興味がなかったのだが、これはなかなか面白そうだと直感した。

十一面観音菩薩立像(石巻市 長谷寺)
No.25。入ってすぐ左にのっぺりとした、顔がつるっつるの像があった。薄っぺらい体形が独特の像。
観音菩薩立像(陸前高田市 観音寺)
No.16。17年に一度しか開帳しないという秘仏で、寺外での公開も史上初なんだとか。像の脇に、寺で厨子に収まっている写真が展示してあったが、これは別冊太陽「みちのくの仏像」掲載のものと同じ写真か。その写真では剣と珠を持っているが、観音らしく見せるためなのか、この展示では素手だった。
それにしても、この腕のアンバランスの面白さ。二の腕よりも手首の方が太いくらいで、ダウンのジャンパーとか着るとこういう風になるよなあ、とか思ったりした。
十一面観音菩薩立像(大船渡市 長谷寺)
No.19。よしもと新喜劇の烏川耕一に似ていて笑った。くちびるが、ピューなのだ。相棒はオードリー春日と言っていた。
十一面観音菩薩立像(大船渡市 長谷寺)
No.18。これまた別冊太陽に載っている像で、通称猪川観音というそうな。実物は本の写真よりももっと顔が大きく黒く見えた。そのアンバランスな加減が絶妙にイイ感じ。
十一面観音菩薩立像(大仙市 小沼神社)
No.14。東博の「みちのくの仏像」展に雪ん子化仏の十一面観音が出展されていたが、それと同じ小沼神社の像。雪ん子っぽい化仏もちゃあんと載っていた。
十一面観音菩薩坐像御正躰(天童市 昌林寺・重文)
No.40。よくできた御正躰。というのも、これは木造なのだ。確かに、欠けたところなんかをよくよく見ると木だと分かるが、全体の雰囲気は鋳造されたものに見えてしかたない。
線刻千手観音等鏡像(大仙市 水神社・国宝)
No.28。仏像がずらりと並んだ部屋の隅の壁が切ってあり、薄暗い中に小さく「順路→」という札があった。考えなしにそこに入ったら、順路の途中ではなく行き止まりで、まったくの隠し部屋の様相だった。そして、そこにお目当ての鏡像があった。
これは実に素晴しい。14cmというから男性の掌よりちょっと大きいくらいの鏡だ。その鏡面に、細かい線で観音像などが彫られている。線刻像では最高レベルの出来という。単眼鏡を持ってこなかったことを後悔。江戸時代の新田造営の際に発見したというが、よくぞ見逃さずに拾いあげてくれた。
それにしても、この隠し部屋の入口が分かりにくくて、見逃した人が結構多いんじゃないかと推察した。

明治・大正の絵馬とかのコーナーもあったが、そちらにはまったく興味がわかなかったので、完全にスルーした。
東北の仏像の魅力は、言い方は悪いが、ヘタウマなのだと思う。技術的な点数は決して高いとは言えないし、洗練されているわけでもないし、でもそんな中に不思議な魅力があるし、だからと言って全てが下手くそだと油断していると、正しく「鄙にも稀な」素晴しいものがあったりと(高蔵寺の阿弥陀如来は正にそうだ)、とにかく予想外で面白いのだ。

博物館を出たのは14時過ぎ。帰るにはまだ早い。
そこで、近くにある国宝ということで、ン十年ぶりに瑞巌寺に行ってみた。するとなんと平成の大修理とかで、肝心の国宝本堂が見られなかった。宝物館の展示も本堂の扉以外はなんだかぱっとしない。通常非公開の庫裡(国宝)の内部が公開されていたのが唯一の収穫と言えるか。700円の高額拝観料は、修理代を寄進したと考えるべきだろう。
瑞巌寺庫裡
松島海岸から仙石線で仙台に戻り、駅3階の牛タン通りで食事をしてから20時半の新幹線で帰った。家に着いたのは23時を過ぎていた。
(東北歴史博物館・2015年3月6日観覧)

みちのくの仏像2015-03-01 20:43

昨年春に会津を旅行した際、勝常寺の住職が、「今度の冬に上野の博物館に薬師像を貸し出す」と言うのを聞いて以来、ずーーーっと楽しみにしてきた展覧会。しかも相棒がチケットをタダでゲットしてきて、もうテンション上がりまくりの日々であった。
気になるのは、会場が本館特別5室ということで、かなり狭いということだ。それはつまり展示数が少ないと言うことでもある。リストを見るとたったの19点。BS日テレ『ぶら美』で「仏像スペシャル」と銘打って法隆寺館とか東洋館に行っていたのは、1時間の放送枠を満足できなかったらに違いない。
みちのくの仏像展


どうせ人気なくて空いてるだろうと思ったが、念のため開館一番に行くことにした。9時半に着くと、案の定、人はさほど多くはなかった。ま、こんなもんだろうと思ったところ、特別5室の入り口はかなりの混雑。そう、人は少なくても、それ以上に、会場が狭いのだ。アブネー、早めに来てよかった。

聖観音菩薩立像(岩手 天台寺・重文)
No.1。美しい鉈彫りの仏が入り口で出迎えてくれた。正面から見るとスマートに見えるが、少し角度を変えると、意外なほどに腹部がぽってりしている。それもまた美しい。土偶もそうだが、東北って、独特の美意識というか文化が面白い。
薬師如来坐像(宮城 双林寺・重文)
No.6。優しい顔立ちの薬師像。一木なのにほとんどひび割れがないという稀有の仏像だ。
薬師如来坐像および両脇侍立像(福島 勝常寺・国宝)
No.8。博物館の照明のもとでじっくり鑑賞できた。防火と文化財保護の点から寺では宝物館に安置され本尊と離ればなれになっている脇侍がちゃんと脇に揃い、本来の三尊で拝めるのがいいところ。
薬師如来坐像(岩手 黒石寺・重文)
No.9。対面の双林寺の薬師と違って、目が吊り上がって一見怒っているように見える仏像。下から見上げると優しくなるに違いないと予想して屈んでいろんな角度で見てみたけど、そのままだった。
十二神将立像(丑神・寅神・卯神・酉神)(山形 本山慈恩寺・重文)
No.15。鎌倉期のリアル系仏像。卯神の頭のウサギがあまりにも可愛すぎて、怒れる神の形相とのギャップがおもしろい。
十一面観音菩薩立像(宮城 給分浜観音堂・重文)
No.16。頭に塔がにょきっと生えてるという、いっぷう変わった仏像。背の高さでは会場イチの巨像だ。ぱっと見で違和感を覚えるのは、体のバランスがひどいからだろう。しかしよくよく考えてみれば、法隆寺館に沢山おわします飛鳥時代の金銅仏なんかはみんなこんなバランスのような。岬の高台に安置されているということだが、これこそ、海から見上げるとちょうどよい姿になるのかも知れない。

あっという間に見終わった。人の動線がぐちゃぐちゃなうえに、みんな仏像を見上げながら移動するから、あちこちで人とぶつかりそうになった。再入場可能というので一度外に出て、本館を見学した。特集展示の水滴が面白かった。江戸時代の工芸はホントに奥が深い。
水滴
そのあとは法隆寺館に行き、1階のオークラでコエドビールを呑みながらまったりと昼食をとった。庭では冬鳥のシロハラも食餌をしていた。
食後に法隆寺館と東洋館を見学し、最後にまたみちのくの会場をぐるりと周り、絵ハガキを数枚と別冊太陽の東北仏像特集を買って帰った。
(東京国立博物館・2015年2月7日観覧)

特別展 動物礼讃 大英博物館から双羊尊がやってきた!2015-02-26 23:35

青銅器好きの自分がこの展示に魅かれたのは、なんといっても大英博物館の双羊尊だ。この特異な形の青銅器は世界にたった2つしか伝わっていない。その一方がロンドンからやってきて、もう一方の根津美術館のシンボルとも言える双羊尊と対面するというのだ。もしかすると、この2つが並ぶなんて歴史上初の大事件かも知れない。ああもう、居ても立ってもいられない。


催しじたいは、未年だからとイギリスの羊を呼んで、さらに展覧会としてテーマを打ち出すために「動物」関連の作品を集めたと推測。
まあ、こんなマニアックな展覧会は人も少ないに違いないと、テキトーな時間に家を出たら青山に着いたのは昼過ぎ。とりあえず美術館に入り、庭にあるネズカフェでミートパイを食べて腹を落ち着かせてからの鑑賞となった。

会場に入ると、あまりの驚きに思わず声をあげてしまった。京都の泉屋博古館の世界的名品、虎卣こゆうが目に飛びこんできたのだ!!!!!!!
なにしろ双羊尊にしか興味がなく、展示リストをロクに見ていなかったので、まったく知らなかったのだ(実は、よくよく見たら、事前に入手していたチラシの左上にちゃんと虎卣が載っているのだが)。この虎卣も泉屋以外にはフランスにしかないという珍品である。ぱっと見、人が食べられているように思えるが、人を守っているのだという解釈する人もいる。
そして部屋をくるっと見てみると、極上の青銅器がわんさかと、あるわあるわ。泉屋が冬季閉館中とはいえ、よくもこれだけ出してくれたものだと狂喜乱舞である。

そして双羊尊である。2つが隣りあって並んでいる姿を勝手に想像していたのだが、それぞれ別のケースで斜交いに置かれていた。みんな行き来して見比べていた。
双方は似ているようでいて、口やら髭やら腹やら体の模様やら、意外なほど違いが多く、よくよく考えてみると似ているのは大きさと雰囲気だけ、と言った感じ。ロンドンの方が緑青が多いように見え、そのぶん根津よりも古ぼけているように感じられた。近年では、2つは制作年代が違うのではないかという研究もあるらしい。

ミミズクを象った泉屋の戈卣かゆうと、つまみのへんてこな猿が愉快な根津の黄瀬戸獅子香炉の絵ハガキを買った。大英博物館の双羊尊はクリアファイルはあったが絵ハガキがなかったのが残念。
(根津美術館・2015年1月31日観覧)

高野山の名宝2014-12-18 23:55

高野山の八大童子が10年ぶりに8人揃って出開帳というので、早割ペア券を買って待ち構えていた。実は、我々はその10年前の展覧会(「空海と高野山」東京国立博物館)も見に行っていて、ちゃんと図録も買ってある。チケット購入後に発表された出品リストを見てみると、その展覧会とかなりダブっていて笑えた。でも8人揃って拝める機会はそれ以来というのだから、べつに構わない。
看板


のんびりめに家を出て、クリスマス飾りのミッドタウンに着いたのは11時過ぎ。前の週に見に行った職場の同僚によると「そんなに混んでない、作品数が少ないからすぐ見終わる」という話。しかし3階の会場入り口に到達すると、ロッカーに人だかりが。しまった、こりゃあ出遅れたか。
と、焦ったが、仏像などの大きなものがメインなので、作品前に大行列、というようなことはなかった。

記憶とは適当なもので、10年前に全員にお目にかかっているはずだが、チラシになったりするアイドル的な矜羯羅(こんがら)童子と制多伽(せいたか)童子以外は覚えがない。というわけで新鮮な気持ちでの対面だった。
やはり矜羯羅、制多伽は素晴らしい。あと、恵光(えこう)もなかなかよい姿。鎌倉仏ならではの描写に惚れ惚れしてしまう。よく見ると、みんなアンクレットなんか着けてたりして可愛らしかったりもする。

ところでこの展覧会のチラシには『運慶作の国宝、八大童子勢ぞろい』とある。まるで8体とも運慶作のような表現だが、指徳(しとく)童子と阿耨達(あのくた)童子は室町期の後補である。指徳童子なんか姿がまんま四天王だし、阿耨達童子はヘンテコな竜みたいなのに乗っちゃってるところからして明らかに他の皆さんと違う。2人ともどう見たって「童子」に見えない。それになんてったって、出来が悪い。これで国宝はありえないでしょ、とか話していたら、案の定、(つけたり)だった。そりゃそうだ、鎌倉時代より後の国宝仏なんて聞いたことないもの。まあ附も国宝には違いないんだろうけど、言うなれば「おまけ」なのだから、さも国宝本体のように堂々と名乗るのはどうかなあと思う。いや、それ以前に、運慶作を標榜しているのが気にいらないのだけど。で、新薬師寺の十二神将の宮毘羅大将が1人だけ国宝指定されていないことを大っぴらにしているのを思い出して調べてみたら、附どころか、そもそも文化財指定されていないのだった。
しかし一番驚いたのは、帰宅後に高野山公式サイトを見て知ったのだけれど、あの指徳童子と阿耨達童子のお姿は、「秘要法品」なる書物にそのまんま同じ見本が載っている、ということなのだった。

同僚の証言どおり、確かにすぐに見終わってしまった。もう一周してから会場を出た。図録は10年前のものがあるので買わなかった。8人勢揃いしている絵ハガキを買って、帰った。
(サントリー美術館・2014年11月30日観覧)

再び東山御物の美2014-11-28 23:24

後期の見所は、なんといっても徽宗皇帝筆の桃鳩図。公開が10年ぶりくらいというレアアイテムだ。で、さらに、公開期間がほんの1週間程度とさらにプレミア感に拍車がかかる。このお宝を拝むには、休日と合わせるとなると勤労感謝の3連休しかチャンスがない。
まあでも、前期に行った感じからするとどうせ空いているだろうと、土曜の午後に悠々と出かけることにした。


相棒と待ち合わせて昼食をとったあと、東京の三井本館に着いたのはもう3時近かった。
7階の美術館に直結するエレベータを降りると、1か月前と変わらない雰囲気。前回の半券を提示してリピーター割引でチケットを購入し、中に入ると、意外にも展示ケースに人が群がる状態で、明らかに前期よりも混んでいた。

徽宗筆 桃鳩図(個人蔵・国宝)
No.1。ケースの前が人だかりになっていた。とは言っても10人ほどが群がる程度で、どこぞの金印みたいな行列を作るとかそういうことではない。その10人とて波があり、うまく乗れれば間近でバッチリ見られるのだ。
かつて、同じ徽宗筆「五色鸚鵡図」を名古屋ボストン美術館で見たことがあるが、まあ暗いし薄いしで見難いことこのうえなかった。その先入観があったのだが、それを完全に吹き飛ばすくっきり度でびっくり。ハトの眼の周りの襞もよく見えた。この気品はどうだろう。前の日に見た東博の国宝展にも宋画のよいものがあったが、これも負けず劣らず素晴らしい。凄くよいものを見た気がしたのだった。
世界史の教科書に登場する徽宗は文人皇帝でどうのこうのと書かれるが、そう言うと下手の横好きみたいに思ってしまうが、実はプロ級の腕前なのだ。
伝徽宗筆 秋景山水・冬景山水図(金地院・国宝)
No.3。小さな猿と小さな鶴をみんな探していた。樹上の猿はすぐわかったが、鶴は難問だった。
牧谿筆 漁村夕照図(根津美術館・国宝)
No.41。漁村夕照図は過去にも見ているが、やはり墨の濃淡でもやっとした景色を表現するのが絶妙で、やっぱり感心。
伝牧谿筆 翡翠・鶺鴒図(MOA美術館)
No.44。そもそも実物が白黒のセキレイはともかく、あのカラフルなカワセミを墨の濃淡だけで表現しちゃっているのが凄い。枝に止まってる脚とか短い尻尾とか、実によく観察していると感心。

馬蝗絆や飛青磁花生や油滴天目は前回同様(当たり前か)、美しかった。
最後にもう1周してから会場を出た。客の単眼鏡使用率が異様に高かった。どこぞの国宝展とは大違いで、それだけマニアが集まったということが言えるだろう。もちろん団体客なんかいる訳がない。美術が本当に好きな人しか来ないのだ。

会場を出るとすでに17時になんなんとしていた。近くのフランス料理店に電話してみると席が空いているというので、三越で時間をつぶしてから行った。思ったより高かったが、思ったよりはるかに良い店だった。いろいろと満足できた一日だった。
(三井記念美術館・2014年11月22日観覧)

再び日本国宝展2014-11-24 21:50

前期は10月19日に行っており、後期はいつにしようかというのが思案のしどころだった。いよいよ金印がやってくるので混雑は必至だ。
加えてテレビ番組の宣伝攻勢も強まってきており、すでに放送ずみの『日曜美術館』『ぶらぶら美術・博物館』(←見逃した!!)に続き、『美の巨人たち』でも善財童子がとりあげられる。一風かわったところでは、なんと『もしもツアーズ』でも放送とのこと。
そこまで一般人の間でも知られてしまっては、もう土日なんかに入ったら大変なことになるに相違ない。ということで、仕事のやりくりをつけて、金曜午後に突入することにしたのだった。


相棒と上野駅でおちあい、エキナカで軽く昼食をとった。この間、公式サイトの混雑状況を確認すると、12時過ぎに入場規制が始まって、入場待ち時間が40分とのこと。陽気もいいし、それくらいなら待ってもいいだろうと予定どおり突入することにした。
正門付近は閑散としていて「ホントに混んでんのかな」とも思ったが、平成館まで行くと確かに行列が出来ていた。入口から噴水を半周したあたりが最後尾。これで40分か、ふむふむ。
我々が並びはじめたのが13:55で、入場は14:20過ぎ。実際に待ったのは、だいたい30分くらいだった。後期になって展示されたものを中心に見てまわった。

普賢延命菩薩像(持光寺)
No.40。これまで仏画はスルーしがちだったが、これは目にとまった。4頭の象に乗る菩薩の絵。平安仏画なんだろうけど、インド感満載だ。あとで調べたら、通常非公開で滅多に展示されない超レア物なのであった。
土偶 中空土偶(函館市・縄文文化交流センター)
No.48。北海道唯一の国宝。頭と脇から、中が空洞なのが分かる。どうやって作ったんだろうとか、どうしてわざわざ中空にしたんだろうとか、古代の蝦夷の知恵に感心。
山越阿弥陀図(禅林寺)
No.82。有名な山越阿弥陀。過去に、ここ東博の国宝室で見たことがある。今回見て、ずいぶん綺麗だなと思った。臨終に際して阿弥陀の指と死者の指を糸で結んでおくとかいう話を聞いたことがあるが、糸を通した穴はよく分からなかった。
孔雀明王図(仁和寺)
No.85。これまで仏画はスルーしがちだったが、これまた目にとまった。正面を向いた孔雀の首のうねり具合がなんとも言えず、「降りたった瞬間の動きを表している」と言われると、そんな気になる。「世界一の北宋画」「最高峰」「傑作中の傑作」など、説明板でも大絶賛の一品。仁和寺公式サイトの画像を速攻で保存した。
紅白芙蓉図(東京国立博物館)
No.101。東博が自前の作品で数稼ぎしたな、と思わず邪推したが、これがなかなかイイ。右の白芙蓉から左の紅芙蓉に向かって徐々に紅くなるさまが美しかった。これまた「南宋画の最高峰」と絶賛の説明板なのだった。

入場規制がされていることもあって、場内は混んではいるけどまあ想定の範囲内というところか。金印は過去にじっくり見たので今回は華麗にスルー。だって、間近で見たい人の行列が、もんのすごいことになっているんだもの。

2周してから土偶ガチャガチャをやったら、中空土偶が出てきた。前回、合掌土偶と縄文の女神が出ているから、これで3つになった。縄文のビーナスが出るまでやろうかと思ったが踏みとどまった。国宝店は凄い盛況ぶりだった。
ガチャガチャの土偶
(東京国立博物館・2014年11月21日観覧)