當麻曼荼羅なんて、非公開で、一生お目にかかることはないだろうとずっと思っていたのだが、稀に展示されることがあることを知ったのはここ数年のこと。じゃあいつかは見られる日が来るのかなあ、とぼんやり思っていたところ、意外に早くその日がやって来た。早割ペア券を買って心待ちにしていた。
それにしても、どういう都合か知らないが、展覧会期間が夏休み期間とは。織物には暑さと湿気がよろしくないんじゃないだろうか、と相棒に言ったら、冷房効いてるから大丈夫なんじゃない、と言う。そらそうだ。
朝6時半の新幹線で新横浜を出て、京都で近鉄特急に乗り換えて、近鉄奈良へ。酷暑の中を10分ほど歩いて博物館に着いたのは9時40分。大混雑だったらどうしよう、と思っていたが、拍子抜けするくらいひっそりとしていた。平日朝の恩恵か、それともさすがに繍仏はマニアック過ぎるのか。
新館のスロープを進み、2階が展覧会場だ。年配の客が多かった。
1周して気付いたら昼間近だった。来る前は1時間くらいでさっさと見終えてどこか寺でも拝観に行こうと思っていたが、それは甘かった。展覧会ちらしには「織物や刺繍で仏の姿や浄土を表した作品があることをご存知ですか」とあるが、當麻曼荼羅と刺繍釈迦説法図くらいしか知らなかった。それがひとつの展覧会が開けるくらいたくさんあることを知ったのは、大きな収穫だ。
気付いたら会場は外国人だらけだった。東洋人だけでなく白人も多かった。彼らは日本人ですらろくに知らない繍仏(そもそもこの「しゅうぶつ」という単語だって、フツーは知らないだろう)を日本の想い出として持ち帰るのだろう。帰国した彼らは知人に「日本って、刺繍のブッダがいっぱいあるんだぜ」とか言うのだろうか。
全体をもう1周したあと、さらに當麻曼荼羅と刺繍釈迦説法図をもう一度見直してから会場を出た。絵ハガキを5枚買った。アップのものは繍い目がよく見えてイイ。
時刻は正午を過ぎていた。奈良博の食堂はカレーとオムライスくらいしかなさそうだったので、激烈な暑さの中を夢風ひろばまで行き、黒川本家で「葛匠」ランチセットを食した。
ビールを飲みたかったが、この暑さでは熱中症が心配なので我慢した。そういえば今回帽子を持ってくるのを忘れた。すぐ目の前にモンベルの店があったので帽子を買った。再び博物館に戻り、仏像館の仏像を見た。岡寺所蔵の義淵僧正坐像(国宝)が初見だった。大好きな室生寺の釈迦如来像(国宝)も昨年から同じ場所のままにおわした。
15時過ぎまで博物館にいて遠出ができなくなったので、すぐ近くの興福寺国宝館に寄ってから宿に向かった。
(奈良国立博物館・2018年7月27日観覧)
アルチンボルドを知ったのは、ワインラベルだった。ちょっと変わったラベルのワインがあると思わずジャケ買いしてしまうことがあるが、まさしくそのパターンだったのだ。
かつて Bunkamura で開催された「だまし絵展」でも見られたようだが、あまり興味がわかないので行かなかった。だから今回、初めて見ることになる。
思わず誰それ、と言いたくなるほど知名度は低く、それほど混まないような気もするが、しかし主催がNHKと朝日新聞だから、帳尻は合わせてくるに違いない。早めに観に行くことにした。予備知識がほとんどないが、まあしかたない。
上野に着いたのは10時過ぎ。当日券売り場の列はまあまあの長さだった。我々は前売ペア券があるので、そのまま地下の入口へと進む。するとなんとロビーに30人ほどの行列が。出遅れたか、と焦ったが、なんか様子がおかしい。何に並んでるんだ?
それは「アルチンボルドメーカー」の列だった。自分の顔をカメラに向けると、コンピュータが、野菜とかもろもろのものでアルチンボルド風に合成した肖像画ができあがるというもの。肖像画と一緒に記念写真も撮れる。絵を観ていると内にこちらの列が伸びそうな気がしたので、何はともあれ、こちらを優先した(何しに来たんだか)。並びながら人がやってるのを見て、どう撮影すればいいかイメトレに励む。10分ちょいで順番が回ってきて、いざ撮影に臨んだが、いささか残念な出来栄えだった。
やり直したいが、遊んでばかりもいられない。ここは断腸の思いで、絵を観に行くことにした。いや、それが本来の目的なのだけど。
自動ドアを通るといきなり目の前にアルチンボルド的な肖像画があった。タイトルに四季とあるが、ポスターなどになっているあれではなくて、1枚の中に季節が全部入っているものだった。晩年の作品らしい。
すぐに地階へと下る。2つほど部屋を抜ける。普通の絵ばかりでつまらない。完全スルーしたのでよくわからないが、たぶん初期の絵なのだろう。部屋を抜けたあとまた階段で上に。
するとここで唐突に、四季と四元素が現れた。四角いの四面の壁に2枚ずつの展示。
作品じたいはイロモノ風だが、画そのものが上手く、構成物がきちんと描かれているので、なんか、ちゃんとしてるなあ、というのが第一印象だった。
展示順が、春夏秋冬の間に四元素が混じっていて、なんかわかりにくい。が、火・夏のパネルの裏の小部屋にあった解説を見たら、四季と四元素はそれぞれがペアになっているという。8枚の絵は全て横顔なのだが、ペアをきちんと並べるとお互いがちゃんと向き合うようになっている。で、そのペアごとにちゃんと並べられているのだ。
なるほどと思ったが、今度は額がまちまちで統一感がないのが気になった。なんでこんなばらばらなの、と思っていたところ、作品リストをよくよく見たら、所蔵者が違うからだとわかった。「アルチンボルド記念美術館」とかがヨーロッパのどこかにあって、そこから一括で持ってきたもんだと勝手に思ってたのだが、そうではないのだ。所蔵者は5者もあった。てことは、8枚を一堂に見られるということは、実はたいへんなことなのではないかと思えてきたのだった。
人もそれほど多くなく、じっくり堪能することができた。次の部屋に移動する。
アルチンボルドの追随者は本家に較べるとやはりへたくそだ。さらに多毛症の絵など、アルチンボルドとどういう関係があるのかサッパリ分からないものまで現れた。終点までの間にアルチンボルド本人の絵は5枚だったか。「法律家」は、本人を知る人が見れば一目でそれとわかるほど、特徴をとらえているということだ。気にいったのは、「司書」。ダリとかが描いてそうな感じだ。
また、ひっくり返して見るシリーズも面白い発想だ。国芳にも似たようなものはあるが、国も時代もまったく違うのに、似たような作品をできあがるというところが不思議だ。
アルチンボルド以外の絵はほとんどすっ飛ばしたので、1時間もかからず見終わってしまった。また最初に戻ってみると、アルチンボルドメーカーの列はそう長くなかったので、再び並んでまた遊んでしまった。今度はまあまあ出来がよかった。
もう一度、最初の1枚ものの四季から順に見て会場を出た。
結局、肝心のアルチンボルドの絵はちょっぴりだったが、それでも楽しめたのはアルチンボルドメーカーのせいだったのかもしれないと思った。四季四元素の絵ハガキを買おうと思ったが、8枚買うよりブックレットの方が安いので、ブックレットにし、絵ハガキは卓上飾り用に秋を1枚だけ買った。
昼食は美術館内のカフェすいれんでコラボメニュー「イベリコ豚のソテー:アルチンボルド風」を食べた。野菜を散らしたあたりがアルチンボルドの画風をイメージしたとかなんとか。
昼食後、常設展を見た。ここのハンマースホイの絵がなぜか好きだ。フェルメールの現代的解釈とでも言おうか。(とか言う割には自分はフェルメールはそんなに好きでない)
そのあとは東博に行き、法隆寺の国宝竹厨子を見て、法隆寺館のオークラでのんびりお茶をしてから、本館をまわった。本館では、ゆるキャラにまとわりつかれた。毎月第1土曜にしか出現しないレアキャラらしい。新収蔵のインドネシアの民俗的な絵が面白かった。
(国立西洋美術館・2017年7月1日観覧)
24年ぶり来日という小バベル。ブリューゲル好きを自認する者としては見に行かないわけにはいかない(とは言うわりには24年前の記憶はない)。会期の早いうちから関連テレビ番組が続いており、早めの平日に行くことが肝要と考えた。
東京の通勤ラッシュのピークをちょっと過ぎた9時20分頃に上野に着いた。修学旅行っぽい中学生や動物園遠足っぽい幼稚園児の合間を縫って都美術館へと進む。スタバの裏から行列が伸びているのが見えてビビったが、それは開門前の門前の行列で、近づいてみるとさほどでなく、胸をなでおろしつつ、最後尾につく。
開門すると、列は静々と進んだ。幅の狭いエスカレータで地下1階へ降りる。階段は追い抜き防止策か、ロープが張られていた。地下1階に着くと、意外なほどに当日券売り場に並ぶ列が長かった。前売購入済みの我々は、入場口へと遮二無二突き進む。チケットもぎりの列は、延々と蛇行していたモネ展などとは違い、たった一曲がりしているだけで、蛇行はおろかS字すらできていない状況だった。入ってすぐにエレベーターで2階へとあがる。バベルの塔が最上階(2階)にあることはリサーチ済みだ。
果たして、バベルの塔の前には年配の婦人が一人いるだけだった。やはりだいぶん小さい。小さいのは予想どおりだったが、それでも近づけば肉眼でも細部は見えるもんだと思っていたところ、無理だった。顔をくっつけるくらいにすれば見えるのだろうが、そんなことできるわけがない。早速望遠鏡と単眼鏡を取り出した。これでようやく細部の作業員やらが見えた。
2階の部屋は、バベルの塔専用となっていた。相棒は凄いオーラを感じたという。自分は人の少ないうちに見たいという一心だったので、空いていて胸をなでおろすばかりだったが、確かに、薄暗い部屋に1枚だけ絵がかかっている様は、神々しくさえあった。
双眼鏡でじっくり細部を見る。教会の彫像とか、白い人とかは、双眼鏡などの望遠装置がないと確認はできないだろう。塔と空の境界を見たときに、遠近感が強調されて見えたのも、双眼鏡の効果かも知れない。
そうこうしているうちに徐々に見物人が増えてきたが、長居する人はあまりいなくて、比較的短時間で映像コーナーに移動してしまう。せっかく空いてるのに、見ないなんて、なんともったいないことか。人垣はできても2列くらいで、後ろにまわっても人の肩越しにちゃんと見える程度。他の人に場所を譲っても、少しするとまた人が減ってすぐ最前列に復帰できる。じっくりと鑑賞することができたのは素晴らしい体験だった。
気付くと早くも30分が経過していた。一度映像コーナーで解説を見てから、再びバベルの前に戻ってまたまた細部を確認。それでようやく他に移動する気になった。エレベーターで地下に戻る。地下の部屋には坊さんの像とか、なんだか古いテンペラ画があった。興味が湧かないので完全スルー。
1階に上がると、バベルの塔に匹敵する目玉のボスの油絵が2枚並んでいた。寓意画とされるもので、こちらも小さいだろうと思っていたのだが、(バベルとは違って)思ったほどでもなく、木に描かれたフクロウなどは肉眼でも確認できた。聖クリストフォロスの背中にのっている幼いキリストのポーズが笑えた。子供の頭と体の比率がおかしいのも、中世絵画の面白いところ。
いずれも貴重な絵なのだが、純粋に美術として良かったかと言われると、どうなのだろう。
ボス・リバイバル(初めて聞いた言葉だ)の作品群は惹かれるものがなかった。このコーナーを過ぎると、ようやくブリューゲルのコーナーになる。版画で、7年前に Bunkamura で観た『ブリューゲル版画の世界』の印象が今でも強くて、既視感がたっぷりだった。7年前は大罪も美徳も四季も全部セットで来ていたが、今回は揃っていないのは残念。7年前にはなかったもので面白かったのは、「樹木人間」くらいか。今回はバベルの塔がメインなので、版画が揃っていないのは仕方ないか。と思ったが、その割りにはボスが来てたりして、どこに力が入ってるんだか、何だか散漫とした後味だった。まあ展覧会の名前じたいが「バベルの塔展」なのだから、他は間に合わせなのに違いない。
最後にまたバベルの塔をじっくり見てから会場を出たら、11:30だった。出口にいたマスコット「タラ夫」の脚が妙にリアルだった。ちなみにこのキャラは7年前の Bunkamura では「足魚」と名付けられていた。
グッズコーナーがなかなか充実していて、エッグスタンドがいいなと思ったが、ウチはあまりゆで卵を食べない。クリップ入れに使うというテも考えたが、それで2000円はちょっとなあ、ということで購入を断念した。結局、ボスの絵ハガキと、バベルのA5サイズ絵ハガキ(これがまた細部がよく分かる)と、キモカワマグカップと、大きな魚が小さな魚を食うTシャツを買った。図録はやめて公式ガイドブックを買った。図録は興味のなかった展示もあますところなく収録されているがガイドならその辺の配分がちょうどよかったのだ。あと、ピンズのガチャガチャもやってしまった。なんだかんだ、結構散財した。
12時ちょっと前で、昼食をとるなら今のうちだ。美術館内の2階の精養軒に入り、バベルの塔展記念メニュー(オランダのコロッケとかスープ)を食べた。
午後は特に予定がなく、考えた結果、3月に続いて2度めのミュシャ展に行くことにした。14時に乃木坂駅からの直結出口を出ると、チケット売り場に30人くらいの列ができていた。売り場の掲示を見ると、ミュシャ展は待ちはなく、草間彌生展が40分待ちとあった。入場制限がないならいいだろう。中に入ると、混んではいたが、モノが大きいので、まあ許容範囲だった。前回味わった感動が、じわじわと蘇ってきた。一度見ているので、混んでいても落ち着いた気持ちだった。ここでももちろん、双眼鏡が活躍した。グッズ売り場の行列が凄まじいことになっていた。
一日で小さな絵と大きな絵とを鑑賞したが、そのいずれでも双眼鏡が役立ったのが、面白いと思った。
(東京都美術館・2017年5月19日観覧)
今年の国内の展覧会のうちでも最大級の目玉の美術展。ペア券を買ったのは昨年11月。待っていたこの日がとうとうやってきた。しかし開催前からNHKがニュースで取り上げたりして、混雑は火を見るよりも明らかな状況。早いうちに行っておくべきだろうと考えた。土日は混雑も凄まじいと判断し、平日に休みをとって行くことにした。
自分はミュシャはそんなに好きではなかった。それが、2013年に「知られざるミュシャ展」を観たとき、初めていいなあと思った。ミュシャというと、キレイキレイなポスターのイメージしかなかったところ、その展覧会で、大作も手掛けていることを知ったのだった。
開場は10時だが、美術館そのものは9時半に開館するので、9時半を目指して家を出た。乃木坂駅に着いたのは9:27。美術館との直結通路にはすでに行列ができていた。どんだけ混んでんだよ、と思ったら、9時半になってすぐに列が動いた。なるほど、開門を待つ列だったわけだ。エスカレータで地上へ上がっていく。階段を使ってぶち抜こうかと思ったら、ロープが張られて通行止めになっていたのはさすがと思った。
美術館に入り、1階エントランスでいったん待たされ、美術の授業かなんかで来たと思しき中学生軍団が別にどこかに誘導されて静かになってから、2階へ上がって今度は横4人の列を作る。意外にも、我々の前には8列しかなかった。この時点で9:35で、多くの人は荷物やコートをロッカーに預けに行ったりしていた。我々は、中は寒いと踏んで、コートは着たまま入ることにした(この日の東京は寒く、最高気温は7度と真冬なみだった)。美術館のガラス壁にはスラヴ叙事詩の実物大の複製幕がかかっていて、みんな暇つぶしにその写真を撮っていた(自分は帰りに撮ろうと思っていて忘れてしまった)。
9:50過ぎには入場が始まった。入ってすぐ、脇の出品リストをとって見てみると、会場のほとんどをスラヴ叙事詩20枚が占めていることがわかった。スラヴ叙事詩は3部屋に分けて配置されており、その一番奥は写真撮影可能の部屋であることも記載されていた。部屋に踏み入ると、そこは巨大な絵に囲まれた圧倒的な空間だった。思わず息を飲んだ。開場直後の人が少ない中でこれらの絵画に囲まれて佇んでいる時間は最高に素晴らしく、感動して涙が出そうな気分になった。
しかし時間はあまりない。人がいないうちに写真の部屋に行かなくては。奥へ急ぐと、まだ10人くらいの人がいるだけだった。
これだけ空いていると、人が入り込まない作品だけの写真が撮れる。
うーん、デジイチを持ってこなかったのは失敗だったか。いろいろ工夫して撮ったりしているうちに時間が過ぎていく。こうした撮影は楽しいが、キリがない。今日は絵を見に来たのだと思い直し、再び最初の部屋に戻って順番に鑑賞することにした。
10:10になり、最初の部屋はかなりの人溜まりになっていた。1から順番に、解説を読みながら見ていった。絵巻などと違って大きな絵だから見えないということはないのだが、普通の展覧会と違って人の流れが一方向でないから(みんな右往左往している感じ)、人にぶつからないようにするのがなんだか変な感じだ。そんな流れのせいか、相棒とはぐれてしまった。
双眼鏡必須ということで、ニコンのミクロンという小型のものと、鳥見や登山で使っている8倍双眼鏡を持って行ったのだが、鳥見用は明るくよく見えるので重宝した。初っ端の「原故郷のスラヴ民族」(Slav1)の夜空は肉眼だと星雲の星景写真のようにモヤっと見えるが、双眼鏡だと細かな点描になっているのがよく分かった。「聖アトス山」(Slav17)の天上界の人物のマチエールの緻密さや、「ニコラ・シュビッチ・ズレインスキーによるシゲットの対トルコ防衛」(Slav14)の前景の黒煙(らしきもの)の細部が単調な点描ではないことも分かった(余談だが、この黒煙(らしきもの)からは、広重の構図を連想した)。
ただ、どういうわけか、自分は結局双眼鏡はあまり使わなかった。上の方のちょっと気になった部分を確認する程度だった。細部の鑑賞よりは、巨大作品の全体の雰囲気を味わいたくなったのだと思う。
スラヴ叙事詩をぐるぐる周ったが、相棒が見つからないので他作品のコーナーに行ってみた。まずはアール・ヌーヴォーのコーナーで、2013年にも観たジスモンダなどがあった。観たことあるからとコーナー丸ごと一気にスルーしようと思った矢先に油彩画が出現。これに引きこまれた。「クオ・ヴァディス」(No.22)と「ハーモニー」(No.23)が気に入った。「クオ・ヴァディス」のしなだれかかる娘の官能的な腰つきが何とも言えずイイ。「ハーモニー」の横長構図もユニークで、近くにいた人が「ハンドパワーだ」とか言っていたのがおかしかった。
続いてプラハ市民会館コーナー。ペナントを縦にしたようなへんな形の絵が並んでいるなあと思ったら、市民会館のホールのドームの壁画だからなのだった。ヤン・フスなどのスラヴ叙事詩の登場人物もいて、ついさっき名前を知ったばかりなのになぜか親近感を覚えてしまった。これらは壁画の下絵なのだが、下絵なのに油彩というのがいい。
さらに進むと切手やら何やらとともに1928年の「スラヴ叙事詩展」ポスター(No.53)があって、これも2013年に観たなあと思いながら何の気もなく解説を読んだら、この1928年のスラヴ叙事詩展には19枚が出品されたとあり、ポスターに描かれている女性は、出品されなかった未完の1枚「スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」(Slav18)にいる女性で、それがミュシャの娘がモデルなのだという。大急ぎでまた写真撮影の部屋に戻り、「スラヴ菩提樹の下で(以下略)」をしげしげと見直した。
ここで相棒と再会し、このあとは一緒に2周観てまわった。あらかじめ、はぐれたときの待ち合わせ場所を決めておけばよかったと思った。相棒はいつの間にかイヤホンガイドをつけていた。これがあれば解説板を読まなくてもいいというが、それでも解説板にしか書いていない情報もあるようだった。
大満足して会場を出たら12時を過ぎていた。いつもなら11時半くらいになると昼飯の心配をし始めるのだが、物凄い感動の渦で、そんなことに構う余裕はなかった。学生時代から、さほど熱心ではなかったものの、30年近く美術展を観てきた中で、このミュシャ展は間違いなく一番素晴らしいものだった。スラヴ叙事詩がチェコに帰ってしまうまでに、もう1回観ておきたいと思った。乱暴で勝手な言い方だが、これを観て何も思わない人はもう美術展を見ないほうがいい。そう言い切れるくらい、とにかくよかった。
絵ハガキを数枚買った。ほかに、相棒がポーチやらチケットホルダーやらを買った。図録はネット通販でも買えるので、ここでは買わなかった。また、地下の売店でも売っているようだった。
昼食はミッドタウン近くのメルセデス・ベンツの2階で食べた。パスタとピツァの2人シェアセットはヴォリューミーで、とにかく腹いっぱいになった。
(国立新美術館・2017年3月15日観覧)
近年、「みちのくの仏像」などの小規模(の割には観覧料の高い)展覧会の会場として使われている東博本館1階第5室。今回は滋賀の櫟野寺という寺の秘仏が出開帳にお出ましなさるという。やってくる20体の仏像は、全て重文なんだとか。前売券を買って開催を楽しみにしていた。
家を朝9時ちょい前に出て、東博には10時過ぎに着いた。平日朝の上野は、白人旅行者と、年寄りが多かった。
博物館に入っても同様だった。本館の向かって右にはどでかい垂れ幕がさがっていたが、入口が補修工事中だったのはちと興ざめな感じがした。そして第5室に入ると、白人はいなくなり、年寄りだらけになった。
鉈彫像は関東以北にみる様式化された像が多く、また、足先は共木から刻み出すが、形を彫るだけで完全な足とはしていないことなど、鉈彫か未完成品かといった問題を考える上でも重要な像と言う。
場内をぐるぐる回っているうちにやや混んできたので会場を出た。すぐ隣の部屋がグッズショップになっており、絵ハガキを5枚買った。あと、「櫟」普及委員会の「櫟」Tシャツをつい買ってしまった。背中に「since792」とあるのは、ちょっと前にタモリ倶楽部でシンスブームを披瀝していたみうらじゅんの仕業に違いない。
本館をひととおり周ると11時半になったので、最後にもう一度櫟野寺展に再入場してひとまわりしてから、東博を出た。あとから展覧会公式サイトにある「甲賀・櫟野寺ルポ漫画」を見て知ったのだが、次に寺で拝観できるのは2年後だとか。いやあ、今回、観といてよかった。
昼食は12時前に店に入りたい。久々に伊豆栄の鰻を食うことに決めたが、本店まで行くと昼を回ってしまいそうなので、東照宮そばの梅川亭という支店に行った。美味であった。
東京駅に移動し、大丸の世界のワインフェアでしこたま呑んで買い物をしてから帰った。今回平日に休みをとって出てきたのは、このワインフェアの週末の混雑を避けるためなのだった。
(東京国立博物館・2016年10月13日観覧)
ボストンから、国芳と国貞の状態のよい浮世絵が里帰りという話だが、なんかビミョーな気が。国芳は好きな絵師とはいえ、没後150年(2011年)の展覧会が印象にあり、またか、という感じが否めない。一方、国貞はちゃんと見たことがなくてなんかピンと来ない。うーん、早割ペア券なら一人1000円だし、まあ見に行ってみようかなあ、というゆるい期待感のまま、ペア券を買って会期を待ち構えた。
GWの美術館はどこも大層な混雑というニュース。最終日の日曜はどうだろうか。
bunkamuraには9:45頃に到着。ざっと数えたところ、50番目くらいだった。暑い初夏の朝だったが、屋根の下には余裕で入れた。10時2分前くらいに扉が開いたが、この時点で列は倍くらいに伸び、最後尾は屋根からはみ出すほどだった。
下に降りてからチケットを持っている/いない列に分かれるが、チケット窓口には結構な列ができていて、ちょっと意外な感じがした。持っている方は列にもならず、我々はスムーズに入場できた。
会場を2周した。入場したばかりの時間帯は、まあまあ空いていてゆったり鑑賞することができたが、11時を過ぎるとなかなか混み合ってきた。
色が美しいのは評判通りだし、何よりも折り目もないようなピカピカの絵ばかりで、素晴らしい浮世絵展だった。特に、国貞の役者絵の魅力を知ることができたのがよかった。自分は美人画には興味が持てないのでスルーしてしまったが、美人画ファンの相棒が言うには、モデルのファッションがさまざまで、面白かったという。
国芳の野晒悟助(No.7)の絵ハガキと図録を買った。図録を買った決め手は、国貞「御誂三段ぼかし」(No.59)が見開きで大きく掲載されていたこと。ガチャガチャは猫又、猫骸骨、骸骨下駄の3種類だが、2回やったら猫又と下駄が出た。このどちらかが欲しかったので、ちょうど良かった。
美術館と同じフロアのドゥ・マゴでランチをいただいてから(カレー風味のソースが美味かった)、渋谷を後にした。いいものを見て、美味いものを食った充足感に満たされた。
(Bunkamura ザ・ミュージアム・2016年5月8日観覧)
埼玉県にある慈光寺の国宝一品経が、修理完了記念とかで全33巻が一挙公開されるという。これは大チャンスでぜひ見てみたいが、慈光寺とか遠そうだしどうしようとか思っていたら、大宮にある埼玉県立歴史と民俗の博物館での展示だとか。大宮なら日帰りでじゅうぶん行ける。
展示は前後期で半分ずつという。前後期とも観るのが最良だが、どうしたものか。後期にだけ行って「あー前期も見ておけばよかった」となるよりはと、まずは前期に行くことにした。
家から大宮までは電車を乗り継いで2時間くらいかかる。開館はなんと朝9時だが、いくらなんでもそれは早すぎる。上野とかの大展覧会と違ってそんなに混んでないだろうと、家を8時に出て10時くらいの到着を目指した。大宮で東武野田線に乗り換え、大宮公園なる駅で降りた。大宮公園駅は、大宮駅からわずか2駅なのに、見るからに地方の駅といった雰囲気の閑散とした小駅だった。博物館へは案内看板があって道の心配はなかった。そば屋の角を曲がり、ラブホの前を通って公園の隅っこにある博物館に着いた。
いかにも70年代ころの公立の建物っぽい博物館は(前川國男設計だと後から知って、なるほど、と思った)、異様に静まりかえっていた。そう、がらっがらなのだ。ほどほどの広さの展示室には観覧客は10人もいなかった。
修理を終えた装飾経は美しかった。先頭は序品で、金の料紙に金泥で経文が書いてあった。
特に気に入ったのは序品のほか、シックな色合いに派手な金泥の勧持品。あと、行と行の境界線が二重になってたりする提婆達多品。このデザインは今風で斬新な印象を受けた。
いくつかの巻が失われたのは残念だが、江戸時代に田安家が追補したとかで、そういった巻は見返しがただの金箔になっていた。後期に展示予定の巻は廊下にパネルで掲示されており、楽しみではある。
常設展ではなんと岩佐又兵衛が描いた三十六歌仙額絵(重文)が展示されていた。この絵が奉納されている拝殿は通常は閉めきっているからか、保存状態が素晴らしかった。またそのため、普段滅多にお目にかかれない代物なのではないかとも思った。36枚を12枚ずつ3回に分けての展示。この日は中期の12枚だった。
岩佐又兵衛を意識して見るようになったのは漫画「へうげもの」を読んでからだが、やっぱり奴は天才だ。輪郭線がくっきりとしているのが現代の漫画にも通じるような気がする。これ見ると、へうげものの作品中の又兵衛の絵が本物を踏まえて描かれていることがよくわかった。
他の展示もなかなかのボリュームだったが、展示品のほっとんどが複製品だったのはいただけない。そんな中で、縄文時代の埼玉に海があったことを知ったのは大収穫だった。
思わず図録を買ってしまった。なんだかんだで博物館を出たのは12時過ぎ。え、2時間もいたのか。
往きに通った角のそば屋「あざみ」で埼玉の酒「神亀」をちょい呑みしつつ蕎麦を食ったあと(旨かった)、ぶらぶら歩いて鉄道博物館に行った。
鉄道博物館は一度は行ってみたかったところ。0系新幹線以外にも、ゴッパチやらロクロクがあって懐かしかった。実家が東海道線沿いで、近所の子供たちは、こういった電気機関車(が牽いていた貨物列車)を眺めていたものだ。手を振って、運転手に振り返してもらうとそれはそれは嬉しかった。
ランチトレインにはディスカバージャパンの頃のキャンペーン広告が貼られていて、鎌倉の旅の広告が「冷房車が走っています」というのが新鮮だった。ここにも結局17時半までいて、新宿で食事をしてから帰宅したのは23時近くになってしまった。
(埼玉県立歴史と民俗の博物館・2015年10月24日観覧)
ユトリロだけの展覧会だったらまず行かなかっただろう展覧会。ユトリロは暗い壁ばかりで好きでない。まったく興味がなかったが、相棒の職場の同僚の評価は高いという話だった。
そうこうしているうちにぶら美で取り上げられた。興味のないままに番組を見たら、ユトリロはともかく、ヴァラドンが良さそうだ。展示リストによるとユトリロ:ヴァラドン比はほぼ同数で、ヴァラドンはおまけ、ということはなさそうだ。さらにリストをよく見ると、ポンピドゥーセンター所蔵の作品が結構ある。へえ、だったら行ってみるか、という気になった。
スマホでチケット情報を探していたら、tixee なるもので前売りと同額で販売というので、勇気を出して使ってみた。「電子もぎり」って何だそりゃ?
夜間開館日である金曜にちょうど東京出張があったので、仕事あがりに相棒と落ちあい、大雨の損保ビルへと向かった。予想どおり、人は少なかった。
受付で恐る恐るスマホ画面を見せると、係員氏は tixee のシステムを知らず、ぱらぱらっとマニュアルを見たあと、裏に聞きに行った。もう一人係員氏が出てきて、無事に入場の運びとなった。うん、確かにこれは電子「もぎり」だ。
入り口から展示室への導入にはヴァラドンを中心とした相関図が掲示されていた。全盛期のトレンディドラマのようだ。
以下、印象に残った作品はすべてヴァラドンのもの。
ヴァラドンのことは、これまで知らなかった。ひょんなことから好みの画家を知れたのが、なんか嬉しい。ぶら美でもデッサンが上手いと絶賛していたがそのとおり。静物画なんかも上手い。
この展覧会も、よくよく見るとサブタイトルに小さく「スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年」とか入ってた。そういう点で、ヴァラドンひとりの展覧会にしたいけど、日本では知名度が低いからユトリロとセットにしたのだろうと思った。いや、待てよ、逆に、ユトリロひとりの展覧会にしたかったのに、数が集まらないからやむを得ずヴァラドンをセットにしたのかも知れない。そう、なんてったって、ここは安田火災東郷青児美術館なのだ。
ユトリロは流してチラ見だけした。やっぱり、風景がしっかりしているのに、その中の人物が子供のお絵描きなのが残念。ただ、薄暗い白い壁の印象しかなかったところ、色彩の時代とかいうのもあったのが意外だった。
図録を買うともれなくユトリロが付いてしまうので、絵ハガキを5枚買った。でも、うち1枚はユトリロの花の絵にした。新宿3丁目まで行ってお気に入りの店で夕食をとってから帰った。
(損保ジャパン日本興亜美術館・2015年6月19日観覧)
またマグリットかよ、と今さら感たっぷりな気がしたが、回顧展は実は13年ぶりなんだとか。そうか、シュルレアリスム展とかそういうので数枚見たりしてただけで、ちゃんとしたマグリット専門のはやってなかったんだ。むう、では、見なければなるまい。
前売券をネットで購入し、開催を待つこととした。
朝、出かける間際にチケットをプリントしてよく見たら、土日は混むから平日又は夜間がおすすめと備考欄に書いてあった。夜間は金曜だけじゃなくて、日は限られているが、土日にもあった。お、ちょうど今日、夜間開館日じゃん。というわけで、勧められるままに、夜間に行くことにした。
半券の提示で同時開催のルーブル美術館展が100円引きになる。そっちはすげー混んでそうだけど、夜、もし空いてたらついでに見てみるか。
美術館には16時過ぎに着いた。ルーブル展の入場待ちの行列が、1階を埋め尽くしていた。ちょっと喉が渇いたので地下に行ってアイスコーヒーなどを飲んでから、会場に入った。中はさほど混んでいなかったが、とにかく寒かった。係員が巡回しながらショールを貸し出しているくらいだ。
お馴染みのマグリットである。がっつかずに、テキトーに流し見すればいい。大事なのは、このマグリットに囲まれた空間を楽しむことなのだ。などと呑気に考えていたら、のっけから見たことのない作品が並ぶ。内容も、油絵やグワッシュが並んで重厚だ。会場に入るまでは図録を買う気はなかったが、もう速攻で購入することに決めた。
初めて見た作品では、ガラスの鍵がとても気に入った。岩稜の並ぶ高山の奥にマグリット的な卵型の巨石が置いてある(というか、乗っているというか)図である。巨石のポジションがあまりにも自然すぎるのがツボにきた。マグリットの巨石といえば、画面の大半を占めていることが多いが、これはほどよいサイズで、そのためにそこにあるのが当たり前のように見える。高山の空気感もリアルだ。
他には、旅の想い出。室内に佇む人とライオン、その他すべてが石である。無機質なようでいて、不思議と温かみも感じる。石の質感の表現が上手いんだなあとあらためて思った。
見知った作品も多数。白紙委任状やアルンハイムの領地、大家族あたりの安定感はさすがだ。横浜美術館所蔵の青春の泉と王様の美術館の2枚も、これほどの質量の展覧会の中でも存在感があった。
「光の帝国」は、22枚も描かれているが、今回来ている光の帝国IIはその中でも特に昼と夜のバランスが素晴らしいものだと思う。1994年展(新宿三越美術館)のは街灯が中央にあって構図が不安定だし、2002年展(Bunkamura)のは夜部分が多すぎて濃い。
これまた何枚も描かれているイメージの裏切りは会場の最後にひっそりと1枚。画中のキャプションは定番の Ceci n'est pas une pipe ではなく、Ceci continue de ne pas être une pipe
だ。訳すと「これはいつまでもパイプではない」という感じだろうが、シュルレアリスム風に言うと「これはパイプではない続ける」だろうか。
一方で、自分の一番のお気に入りの心の琴線(山より大きなシャンパングラスに雲が入ってる)がなかったのは残念。そういえば、定番ものでもリンゴのモチーフがほとんどなかった。仮面を着けたリンゴとか、部屋いっぱいの巨大リンゴとか。
18時を過ぎるとめっきり人が減った。たっぷり2時間半かけてじっくり3周した。重厚なマグリット空間は素晴らしく、よい展覧会をじっくり見たあとの心地よい疲労を覚えた。それもそのはず、展示作品数は130近くもあったのだ。ちなみに過去の回顧展と比較しても、2002年展は93、1994年展は94(デッサンや瓶などを除いた数)で、今回が頭抜けて重い。
図録の他に、絵ハガキを3枚と、紳士型のブックマーク、トートバッグ、それに相棒のリクエストでゴルコンダのクッキーを買った。
19時に会場を出ると、長かったルーブル展の列が解消されていたので、当初の狙い通り、寄ってみることにした。
フェルメールは別に好きでないし、田園風景の絵にも興味なし。真の狙いは、ブリューゲル(父)である。マグリット展の半券で100円引きになるし、もし空いていたらついでにブリューゲルだけでも見てやるか、くらいな心構えだった。
新美術館に着いた16時ごろはチケット購入40分、入場40分の待ちであった。広々とした美術館の1階ロビーは、行列で埋め尽くされていた。
マグリット展を見終えた19時には、行列は解消されていた。これなら合格だ。100円引きでチケットを買って、入場した。
それでも中はまあまあ混んでいた。行列とはいかないまでも、それぞれの作品の前には人だかりが出来ていて、中々近寄れない状況だった。やはりフェルメールは混んでいて、作品前では、遠目から動かずにじっくり見る人と、列を作って動きながら間近に見る人とに交通整理がされていた。とりあえず、動く方の列が短かったので、並んで近くで見た。
フェルメールは初めて見た(たぶん)。これはいい絵だ。「美の巨人たち」ではソフトフォーカスがどうとか言っていたが、確かにそんな感じの絵だった。正直言って何でフェルメールがやたらともてはやされるのか今までさっぱり分からなかったが、納得した。これは道理で人気があるわけだ。
ムリリョの有名な少年は、虫が結構グロかった。そして思ったよりも大きい絵だった。
徴税吏たちがあった。このひん曲がった口がいい。見覚えがあるが、どうして自分がこの絵を知っているのかが思い出せない。昔の友達に街でばったり会った感じだ。顔も名前もちゃんと覚えてるんだけど、えーっと、高校のクラスが一緒だったんだっけ、それとも委員会だったかな。散々考えたが思い出せず、帰って調べたら、どうやらリヒテンシュタイン展で見たのと同じだった。どっちかが模写してるのか。え、リヒテンシュタインのはマセイスですか。マセイスといえば、この展覧会の呼び物のひとつ、両替商とその妻の作者ではないですか。へえええ。
象狩りの象が笑える。眼が赤く光って、凶悪な顔付きなのだ。象の眼は顔の左右にあるはずだが、この絵では人間のように、正面に付いていた。画家が象を見たことないのは間違いない。そこいくと、本邦の普賢菩薩が乗ってる象はもっとちゃんと象っぽい気がするような。古の仏師たちだって、象は見ていないはずだ。
で、本当のお目当ては、ブリューゲルなのである。この物乞いたちは、ルーブルが持っている唯一のブリューゲルなんだとか。ウチの画集では白黒ページに載っているので、カラーは初めてだ。いざりというモチーフはブリューゲル作品にはよく登場するようで、広場でやたら大勢が描かれているような絵の隅っこにいたりするが、ここでは彼らが主役だ。19時半になると新規入店の人がいなくなり、入り口に近いこの作品を独り占めできた。
駆け足で2周したあと、19時40分ごろ会場を出た。フェルメールと両替商とブリューゲルの絵ハガキを買った。ショップはちょっぴり行列ができていた。
美術館のあとは、すぐ近くにある佐藤陽一ソムリエの店「マクシヴァン」で、ワインと料理を楽しんだ。
(国立新美術館・2015年5月30日観覧)
鳥獣人物戯画は、前年の京都展のとき、京都に行って見ようかと思っていたところ、上野にも来るというので思いとどまった経緯がある。しかし京都での大混雑を知り、そんなんなら行かなくていいや、というヌルい考えでいた。
ところが、鳥獣人物戯画とは関係ないところで、東博本館の新指定国宝・重文展示に病草紙がお目見えという。
自分は美術好きではあるが、画集はたった4冊しか持っていない。で、そのうち2冊が日本の絵巻シリーズ「鳥獣人物戯画」と「餓鬼草紙・地獄草紙・病草紙・九相詩絵巻」である。つまり、東博で、この2つが同時に見られるということなのだ。なんか、見に行くほうがいいような気がしてきた。
(ちなみに、残りの2冊の画集はマグリットとブリューゲルで、2015年5月は、なんとこの4冊すべての絵が東京で展示されるという、個人的には惑星直列なみの巡りあわせの月なのである)
しかも、よくよく調べたら、鳥獣人物戯画については、前期だけだけど、断簡が勢揃いするという話。どうやらアメリカに渡ったものも里帰りするという。これってすっごいチャンスなのでは。
特に相棒は鳥獣人物戯画を見る気満々で、金曜の夜間開館を狙えばいいんじゃないかという話になり、仕事を早退けして上野に行くこととなった。
東博入館は17時半頃。会場の平成館への入場制限はなかった。半券を提示すれば再入場は可能というので、とりあえず鳥獣戯画展に入場。いつもは2階の南側のホールにある展覧会グッズ売り場は1階に置き、替わりに内臓のようにぐねぐねとした甲巻待ちの行列ができていた。
甲巻は120分、丁丙乙巻(ヘンテコだがこの順序に並んでいる)は30分の待ち列となっていたので、列のないものから見ることにした。やや遅れて相棒が到着した。華厳宗祖師絵伝といった国宝もあるが、鳥獣戯画の行列を考えると、なんか気が散ってしまう。
18時過ぎに平成館を出て本館に行き、通常展と平成27年新指定国宝・重文の展示を鑑賞。彫刻部門が素晴らしいが、やっぱり鳥獣戯画展を考えて気が散ってしまった。
本館を出て18時55分に平成館に戻ると、入場制限が始まっていた。
入場に40分、甲巻が120分、丁丙乙巻も70分とか。全部見たらあと4時間弱かかる。最後は23時とか、これホントかね。もうこれで自分は鳥獣人物戯画は見る気がなくなった。係員は、20時を鳥獣戯画展への最終入場時間とすると案内していた。21時には他の展示は閉めるが、それまでに甲巻の列に並べば、見終わるまで開けているとのこと。だから、20時までに入って、まず他の展示を見てから最後に甲巻に並ぶように、と。
入場には実際は30分もかからなかった。相棒が丁丙乙巻に並び、自分は別れて再び断簡を見た。このときは断簡前はほとんど人がいない状態で、心ゆくまで堪能できた。
またまた平成館を出て中庭で夜風にあたったあと、20時ちょっと前にまたまた平成館に戻った。このときはさすがにもう入場規制はなかった。2階に上がって待合のソファでまったりした。丁丙乙巻を見終えた相棒は20時24分に甲巻の待ち列についた。110分待ちの表示だった。ソファで本を読んだりしていたが、ふと、21時ぎりぎりに丁丙乙巻を見るといいんじゃね? と思い、20:50に行ってみたら、最後の10人くらいの固まりに入った。
21時10分には丁丙乙巻を見終わり、またソファに座って閲覧用図録を眺めたりしていた。21時20分ごろ、ようやく相棒が甲巻の展示室に吸い込まれていくのが見えた。つまり、2階南側のホールに内臓のように並んでいた時間は1時間近かったわけだ。
さすがに手持ち無沙汰になったので、1階に降り、ショップで竹マグネット4種と絵ハガキ3枚を買って、博物館を出た。グッズも甲巻推しだった。先に帰るにも中途半端な時間なので、上野公園で音楽を聞きながら本を読んだり(電子書籍は暗くても読めるのがいいところだ)して相棒を待っていると、22時39分に相棒から甲巻を見終わったと連絡が入った。相棒の後ろにも大勢の人が並んでいたが、いったい最後は何時になっただろう。
夕食をとっていなかったので、売店でサンドイッチを買って小田急特急の車内で食べた。家に着いたのは0時を過ぎていた。
後期は、断簡も半分なくなっちゃうし、新指定国宝もないし、法隆寺宝物館は休館。しかし蛙と兎の相撲という超有名シーンが展示される。さてどうしよう。
(東京国立博物館・2015年5月8日観覧)