今年の国内の展覧会のうちでも最大級の目玉の美術展。ペア券を買ったのは昨年11月。待っていたこの日がとうとうやってきた。しかし開催前からNHKがニュースで取り上げたりして、混雑は火を見るよりも明らかな状況。早いうちに行っておくべきだろうと考えた。土日は混雑も凄まじいと判断し、平日に休みをとって行くことにした。
自分はミュシャはそんなに好きではなかった。それが、2013年に「知られざるミュシャ展」を観たとき、初めていいなあと思った。ミュシャというと、キレイキレイなポスターのイメージしかなかったところ、その展覧会で、大作も手掛けていることを知ったのだった。
開場は10時だが、美術館そのものは9時半に開館するので、9時半を目指して家を出た。乃木坂駅に着いたのは9:27。美術館との直結通路にはすでに行列ができていた。どんだけ混んでんだよ、と思ったら、9時半になってすぐに列が動いた。なるほど、開門を待つ列だったわけだ。エスカレータで地上へ上がっていく。階段を使ってぶち抜こうかと思ったら、ロープが張られて通行止めになっていたのはさすがと思った。
美術館に入り、1階エントランスでいったん待たされ、美術の授業かなんかで来たと思しき中学生軍団が別にどこかに誘導されて静かになってから、2階へ上がって今度は横4人の列を作る。意外にも、我々の前には8列しかなかった。この時点で9:35で、多くの人は荷物やコートをロッカーに預けに行ったりしていた。我々は、中は寒いと踏んで、コートは着たまま入ることにした(この日の東京は寒く、最高気温は7度と真冬なみだった)。美術館のガラス壁にはスラヴ叙事詩の実物大の複製幕がかかっていて、みんな暇つぶしにその写真を撮っていた(自分は帰りに撮ろうと思っていて忘れてしまった)。
9:50過ぎには入場が始まった。入ってすぐ、脇の出品リストをとって見てみると、会場のほとんどをスラヴ叙事詩20枚が占めていることがわかった。スラヴ叙事詩は3部屋に分けて配置されており、その一番奥は写真撮影可能の部屋であることも記載されていた。部屋に踏み入ると、そこは巨大な絵に囲まれた圧倒的な空間だった。思わず息を飲んだ。開場直後の人が少ない中でこれらの絵画に囲まれて佇んでいる時間は最高に素晴らしく、感動して涙が出そうな気分になった。
しかし時間はあまりない。人がいないうちに写真の部屋に行かなくては。奥へ急ぐと、まだ10人くらいの人がいるだけだった。
これだけ空いていると、人が入り込まない作品だけの写真が撮れる。
うーん、デジイチを持ってこなかったのは失敗だったか。いろいろ工夫して撮ったりしているうちに時間が過ぎていく。こうした撮影は楽しいが、キリがない。今日は絵を見に来たのだと思い直し、再び最初の部屋に戻って順番に鑑賞することにした。
10:10になり、最初の部屋はかなりの人溜まりになっていた。1から順番に、解説を読みながら見ていった。絵巻などと違って大きな絵だから見えないということはないのだが、普通の展覧会と違って人の流れが一方向でないから(みんな右往左往している感じ)、人にぶつからないようにするのがなんだか変な感じだ。そんな流れのせいか、相棒とはぐれてしまった。
双眼鏡必須ということで、ニコンのミクロンという小型のものと、鳥見や登山で使っている8倍双眼鏡を持って行ったのだが、鳥見用は明るくよく見えるので重宝した。初っ端の「原故郷のスラヴ民族」(Slav1)の夜空は肉眼だと星雲の星景写真のようにモヤっと見えるが、双眼鏡だと細かな点描になっているのがよく分かった。「聖アトス山」(Slav17)の天上界の人物のマチエールの緻密さや、「ニコラ・シュビッチ・ズレインスキーによるシゲットの対トルコ防衛」(Slav14)の前景の黒煙(らしきもの)の細部が単調な点描ではないことも分かった(余談だが、この黒煙(らしきもの)からは、広重の構図を連想した)。
ただ、どういうわけか、自分は結局双眼鏡はあまり使わなかった。上の方のちょっと気になった部分を確認する程度だった。細部の鑑賞よりは、巨大作品の全体の雰囲気を味わいたくなったのだと思う。
スラヴ叙事詩をぐるぐる周ったが、相棒が見つからないので他作品のコーナーに行ってみた。まずはアール・ヌーヴォーのコーナーで、2013年にも観たジスモンダなどがあった。観たことあるからとコーナー丸ごと一気にスルーしようと思った矢先に油彩画が出現。これに引きこまれた。「クオ・ヴァディス」(No.22)と「ハーモニー」(No.23)が気に入った。「クオ・ヴァディス」のしなだれかかる娘の官能的な腰つきが何とも言えずイイ。「ハーモニー」の横長構図もユニークで、近くにいた人が「ハンドパワーだ」とか言っていたのがおかしかった。
続いてプラハ市民会館コーナー。ペナントを縦にしたようなへんな形の絵が並んでいるなあと思ったら、市民会館のホールのドームの壁画だからなのだった。ヤン・フスなどのスラヴ叙事詩の登場人物もいて、ついさっき名前を知ったばかりなのになぜか親近感を覚えてしまった。これらは壁画の下絵なのだが、下絵なのに油彩というのがいい。
さらに進むと切手やら何やらとともに1928年の「スラヴ叙事詩展」ポスター(No.53)があって、これも2013年に観たなあと思いながら何の気もなく解説を読んだら、この1928年のスラヴ叙事詩展には19枚が出品されたとあり、ポスターに描かれている女性は、出品されなかった未完の1枚「スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」(Slav18)にいる女性で、それがミュシャの娘がモデルなのだという。大急ぎでまた写真撮影の部屋に戻り、「スラヴ菩提樹の下で(以下略)」をしげしげと見直した。
ここで相棒と再会し、このあとは一緒に2周観てまわった。あらかじめ、はぐれたときの待ち合わせ場所を決めておけばよかったと思った。相棒はいつの間にかイヤホンガイドをつけていた。これがあれば解説板を読まなくてもいいというが、それでも解説板にしか書いていない情報もあるようだった。
大満足して会場を出たら12時を過ぎていた。いつもなら11時半くらいになると昼飯の心配をし始めるのだが、物凄い感動の渦で、そんなことに構う余裕はなかった。学生時代から、さほど熱心ではなかったものの、30年近く美術展を観てきた中で、このミュシャ展は間違いなく一番素晴らしいものだった。スラヴ叙事詩がチェコに帰ってしまうまでに、もう1回観ておきたいと思った。乱暴で勝手な言い方だが、これを観て何も思わない人はもう美術展を見ないほうがいい。そう言い切れるくらい、とにかくよかった。
絵ハガキを数枚買った。ほかに、相棒がポーチやらチケットホルダーやらを買った。図録はネット通販でも買えるので、ここでは買わなかった。また、地下の売店でも売っているようだった。
昼食はミッドタウン近くのメルセデス・ベンツの2階で食べた。パスタとピツァの2人シェアセットはヴォリューミーで、とにかく腹いっぱいになった。
(国立新美術館・2017年3月15日観覧)