私の場合は天平の乾漆像や鎌倉期の仏像が好みなので、一木の仏像ばかり集めましたといわれてもなんだかぴんと来ないのだが、大好きな仏像のひとつである向源寺の十一面観音(国宝)がやってくるというので注目していた展覧会だ。
しかしその十一面観音は後期のみの展示で、前期は宝菩提院の菩薩半跏像が展示。この像は見たことがないのでこの機会にぜひ見てみたい。というわけで、展示替え対応の前期後期2回券(2,000円也)を買い求めて、展覧会が始まるのを心待ちにしていた次第。値段は高いが、京都まで見に行く足代を考えれば安いものだ。
会場には開場10分前の9:20に到着。まだ会期の初めで、テレビなどの宣伝も少ないせいか人は少なかった。入場してすぐは混雑していたが、そのうちばらけてきて快適に鑑賞することができた。このテの展覧会には、作品そっちのけで自分の趣味の話(日本画教室の話とか)ばかりしていてうるさい迷惑オバサンなんかがよくいるものだが、そんな連中に出会うこともなく会場は異様なほどの静けさ。近くの人の音声ガイドのイヤホンの音漏れが気になってしまうくらい静かだった。
余談だが、音声ガイドの担当は役者の市原悦子で、BGMが声明になっているらしい。薄暗い会場でたくさんの仏像に囲まれ、声明の向こうから市原悦子のぼそぼそ声が聞こえてくるなんて・・・ そのまま逝ってしまいそうだ。ちなみに、本館の国宝室のこの日の展示は禅林寺の「山越阿弥陀図」だった。
円空・木喰は展示の半分近くを占めるが興味ないのでカット。会場を3周した。図録は買わず、絵はがきを7枚買った。
なかなかの名品が見られてまあ満足ではあったが、国宝は前後期通じて4体だけとチト寂しい。
そんなこともあって、バカ高い観覧料の割にはしょぼくれた『特別展』だと思った。向源寺の十一面観音をメインに他のをおまけで呼びました、という感が拭いきれない(絵はがきもこれだけで5種類も売られていたし)。なんというか、滅多にテレビに出ない中島みゆきの出演を呼び物にして、周りを演歌歌手ばっかりで固めた紅白歌合戦みたいなしょぼくれ感なのだ。ちらしに『一木オールスター』とか書いてあるけど、室生寺の釈迦如来とか法隆寺の九面観音とか法華寺の十一面観音とか、一木造で最大とされる新薬師寺の本尊とか、ここに来ていないスターは他にも大勢いる。どこが『オールスター』なんだよ、ほかにもサザンとかユーミンとかいるだろ、とか思ってしまう。
とかいいつつも、もちろん後期展示にも行くつもりだ(チケットも買ってあるし)。宝菩提院の仏像のあるあのステージに、向源寺の十一面観音が立つとどのように見えるだろうか。(東京国立博物館・2006年10月14日観覧)
1984年の大河ドラマ「山河燃ゆ」が、今年の1月からファミリー劇場で放送されていて、毎週楽しみに見ている。当時高校生だった自分はこのドラマが大好きだった。このドラマで、戦争中にアメリカの日系人が抑留されていたことなどを初めて知って強い衝撃を受けたことを覚えている。
また、この夏に放送されたNHK特集「日本と戦った日系人 GHQ通訳・苦悩の歳月」を見たとき、これってまんま「山河燃ゆ」じゃん、と思った。作者の山崎豊子は執筆にあたり関係者に徹底的にインタビューしたということだが、この人もそのうちの一人だったに違いない。
さらに、9月末、東京ローズ(ドラマでは手塚理美が演じていた)のひとりとして有名なアイヴァ・郁子・戸栗・ダキノ氏が亡くなった。などなど、第二次大戦関連の話が気になっていたころ、ちょうどこの本を書店で見つけたのだった。日系二世の話もちょっとあるみたいだし、ちょうどいい。
しかし読んでみるとずいぶん取っつきにくい本だった。筆者が発見した機密文書の内容の羅列ばかりで、なんだか古墳の発掘報告書を読んだような読後感だった。
参考文献の紹介が多いので、この本を始まりとして大戦中の情報戦をより深く研究したい向きにはいいかもしれない。が、自分のように軽い気持ちで読むと迷宮に入ってしまう。
それにしても感心したのは、アメリカは、よく相手国のことを研究しているなあということ。戦争開始まもない頃に(しかも自国は劣勢だった)、すでに戦後の計画をたてていたというのは非常に現代的な感覚だと思った。天皇を象徴として「利用」する発想は、ミッドウェイ海戦以前にすでに存在していたのだ。
アメリカにはかなり洗練された統一的情報戦略があったことがわかったが、では日本はどうだったのだろう、というのが気になった。というわけで、次は陸軍中野学校の本を読むことにした。
(加藤哲郎著、2005年)(2006年10月17日読了)