KATZLIN'S blog

Contents

溥儀 --清朝最後の皇帝(岩波新書)2007-03-03 11:51

昨年「東京裁判」を読んだとき、証言台に立った溥儀が気になって、伝記を読んでみたいと思っていたところ、この本を見付けた。


この本では溥儀の主に前半生が書かれていて、彼の「二面性」がテーマとなっている。
いつも誰かに媚びへつらいながら、目下とみると暴力的になる。威張りちらしているが、いつも怯えている。スネ夫とジャイアンとのび太のそれぞれ悪いところばかりを足したようなイメージだ。

溥儀というと、自分の場合はジョン・ローンが演じた映画「ラスト・エンペラー」での姿を思い浮かべてしまう。映画の中でも特に印象に残っているのが、戦犯収容所で、小便をするとき便器を汚してしまって周囲にどやされビクビクしているところ。臆病者で小心者で見栄っぱりで、小水が撥ねないようにする用の足し方すら知らないほど浮世離れした人間。
この本でみた溥儀はまさにそんな人物だった。映画や「東京裁判」での印象がより強固になった。日中戦争-太平洋戦争において彼が果たした役割なんかも知りたいところだが、これはあくまでも伝記。そういうのは別の本を読めばいい。

なかなかおもしろかったが、それにしても読みにくい文章だった。何度か読み返さないと代名詞や指示代名詞の示す対象がわからないことがあったり。たとえば236頁の次のような文章。

これらの資料調査、取材のために約四半世紀を費したことになるが、その過程で、私は『我が前半生』のゴーストライターをつとめた李文達さんから二度にわたって率直に当時の裏話をうかがう機会をえた。
そのことが、今回溥儀と正面から取り組むうえでの原動力になったといっていい。はすでに鬼籍に入られたが、李文達さんが目にすることのできなかった日本側の資料によって溥儀をとりまく時代の状況をより確かにし、定説となっているその像に、もう一度息を吹きこんでみたいという思いもある。
この2番目のパラグラフの『彼』は、最初『溥儀』を指すのかと思った。しかし敬語が使われているので違うっぽい。どうやら『李文達さん』を指すようだ。しかしそのすぐあとに『李文達さん』がまた出てくる。あれっと思い、ふたたび読み返す。やっぱり『李文達さん』みたいだな、と思う。しかしすぐあとの『李文達さん』が気になる。もしこの『彼』が『李文達さん』なら、すぐあとの『李文達さん』も『彼』で統一すべきだ。それをわざわざこう書いているってことは別人だからだ。みたび読み返すが、やっぱりわからない。おそらく『李文達さん』に違いないが、どうにもしっくりこない・・・。

とまあ、こんなことを繰り返すので、読み進むのにちょっと時間がかかる。
『汚点を挽回』なんていう言葉も気になったし、表現以外にも、伝記なのに時間がやたらと前後したり、溥儀の視点で話が進んでいるのに突然筆者が乱入してきたりと気になるところが満載。肩書は「作家」なのに、これはちょっとあんまりだ。

内容じたいは自分の求めていたものに近かっただけに、もっと読みやすい文章だったら、とちょっと残念に思った。

(入江曜子著・2006年)(2007年3月1日読了)

コメント

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://katzlin.asablo.jp/blog/2007/03/03/6654102/tb