今は亡き小田急美術館で'97年に「ベルギー象徴主義の巨匠展」を観に行ったことがあって、クノップフやデルヴィルには好印象を持っている。そんなわけでこの展覧会は前から楽しみにしていた。
開場10分前にBunkamuraに到着すると、列は10数人程度だった。ゆっくり見られそうでほっとした。チケットを買って入場すると、会場はしーーーーんと静まり返っていた。いつもはオバサンたちのおしゃべりブロックに活躍するiPodもこれなら出番なし。逆に、この状況で音楽聴いたら音漏れで自分が迷惑かけちゃう。
流れもスムーズだった。空いていたせいもあるが、音声ガイドを使っている人がいなかったことが最大の理由だと思う。このテの展覧会に朝早くから来るような人は、あんなモンは使わないのだ。
観ている人の前を横切ったり横切られたりすることも、引いた場所から見ようとして後ろにいた人に気付かずにぶつかったりぶつかられたりすることも皆無で、実に快適に観覧できた。
クノップフは、色鉛筆やパステルの風景画の、まったく人の気配が感じられない静けさが好きだ。風景画以外は'97年展に比べるとあまり良いものが来ていなかったように思ったが、そんななかで彫刻の「メデューサの首」がよかった。
ところで、この人の絵を見るといつも「エロイカより愛をこめて」の少佐を思い浮かべてしまう。
フレデリックは上手いと思う。今回の作品では「アトリエの内部」が気に入った。最初は自画像かと思ったが、右手前にパレットがあることに気付いた。てことは自分からの視点なのか。
パレットに光があたることで色価が高くなり、目を引くのだろうか。視点はそこから人物を通して左奥へと続き、そこに窓や白シャツを配している構図が美しい。
今回再び見られることを楽しみにしていたデルヴィルの「死せるオルフェウス」。これは弐代目・青い日記帳にあるとおり、まさに青好きの心を捉える。'97年展ではチラシや図録に使われるなど主役だった(題名の邦訳は「オルフェの死」だった)。
ドゥドゥレの「廃位」は化け物みたいな顔した女王だかなんだかが、若い女に玉座から引き摺り下ろされている絵。テーマ、というかアイデアは自分好みなのだが、どうにも絵がマンガちっくなのが残念。化け物女王の顔は「恐怖新聞」みたいだし、若い女の顔も相原コージが描きそうな顔。なんつっても布の質感が×。こういう笑える絵はテクがあってこそ活きると思う。
今回初めて知った画家で良かったのがウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンク。3枚だけだったがどれも気に入った。「夜の効果」の深く沈んだ暗い青、「人影の見えない神秘的な夜の風景が彼の真骨頂である
、と解説板には書いてあった(図録にも同文)。
「爛れた森」は遠くから見ると森に見えるが、近くに寄るとぼーっとしていったい何が書いてあるのかわからなくて戸惑う。この、はっきりとしていてぼーっとした感覚はどこから来るのだろうと思ってよくよく見ると、塗った絵の具を拭き取ってグラシの効果を出しているようだった。白地に緑を塗って拭くのと、緑地に白を塗って拭くのが上手い具合に混在しているのだろうと思った。
全部見終えてからもう1周して会場を後にした。11:30だった。図録を買ったが、例によってハガキには欲しいものがなかった。
観覧後は東急8階のイタリアン、「タント・タント」でランチを食べた。ここはいつも混んでいて、入れたのは5年ぶりくらいだ。メインの牛ほほ煮込みはかなり重い味の料理で、昼飯にはちとキツかった。グラスワインの種類が豊富だったので、思わずシャンパン(Veuve Cliquot)、サルジニアの白(Cubia)、赤(Tre、Tancredi)と飲んだ。周りを見ても昼からこんなに飲み食いしている人たちはいないようだった。
今回観覧するにあたって'97年展の図録を引っ張り出して復習したが、それで思ったのは、入場料の高騰。今回は一般1200円で、ネットの割引券を使って1100円。'97年展は900円だった。小田急美術館はカード会員は無料だったので、もしかしたらタダ見していたかもしれない。10年後はどうだろうか。
(Bunkamura ザ・ミュージアム、2005年6月5日)
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