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江戸語・東京語・標準語(講談社現代新書)2006-06-03 10:24

「標準語」はどのような経緯で生まれたのか、ということの考察。
標準語というと「東京のことば」だとずっと考えてきたが、どうやらそうとも言いきれないらしい。筆者は巻末で、標準語とは、東京語にきわめて近いが、東京語ではないと断言している。そういや、そもそもの東京のことばってどんなことばだ?


本文中では幕末頃からの江戸・東京のことばの変遷が語られている。
全国で通用することばを持たなかった日本は、明治になってその必要に迫られ、官の主導のもとに東京のことばを使うことになった。本来の東京(江戸)で使われていた言葉は下町のべらんめえな言葉だったが、採用されたのは山手のことばだった。これは、参勤交代の関係で各地の武士どうしが互いの意志疎通のために使っていたことばでもあり、当時の士族には通用していたもののようだ。

しかし各地の武士が使っていたということもあって、必ずしも純粋な江戸のことばではなく、さまざまなお国言葉が混じってできあがったものらしい。さらに戊辰戦争の江戸開城や関東大震災などで古くからの江戸住民が少なくなり、ますますいろんな要素が混在することばになっていったようだ。
そのひとつの例として挙げられていて興味深かったのが、「見れる」「着れる」のいわゆる「ラ抜き言葉」だ。明治・大正時代には東京ではまったく使われていなかったのに、関東大震災後に突如山手で使われるようになったのだという。しかも、これ、もとは我が地元の神奈川方言ではないかというからびっくりだった。自分は意識して使わないようにしているのだが、そういや親はどうだったっけ。

そんなこんなでまとまってきた標準語の全国への普及はラジオによるものが大きい。それまでは、地方の学校で標準語の教育をしようとしても先生がしゃべれなかったりでたいへんな苦労があったという。そして戦時の全体主義で決定的に広がっていったのだ。
筆者はこういうことばの押しつけを嘆いている。ただ、今の標準語を否定しているのかというと、そういうわけではない。肯定・否定どちらの立場でもないようだ。

この本を読んでいちばん感心したのは、標準語はひとつだけである必要はない、という考えだった。そんなこと今まで思いもよらなかったので、軽いカルチャーショックを感じた。

(水原明人著、1994年)(2006年5月31日読了)

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