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空間に生きる--日本のパブリックアート展2006-12-05 22:00

ルソー展を見終えて、ミュージアム・ショップで絵はがきなどを物色していたとき、同時に開催されているこの展覧会の図録があったのでぱらぱらめくって見たところ、モエレ沼公園やらのきれいな写真が載っていた。で、結構面白そうに思えたので、ついでに観ていくことにした。ルソー展とは別料金で600円だが、ルソー展の入場半券を提示すればぐっと安くなって、団体料金の480円で観ることができたのも理由のひとつだ。


どーせ写真ばっかのパネル展みたいな感じだろう、とあまり期待せずに入った。が、細かい解説があったり、太陽の塔なんかの図面があったりと、意外なほどの展示量で驚いた。モエレ沼公園のジオラマがあったりして、子どもが熱心に見入っていた。

自分は城郭ファンで、特に縄張が好きだ。建築と景観が織りなす、機能的でありながら官能的なあの空間にクラクラきてしまう。子どもの頃から、おえかきちょうに城やら地図やらを描くのが大好きだった。
おそらくそういう趣味(性癖というべきか・・・)からきているのだと思うが、空間デザインみたいなものにも関心があって、広島平和記念公園とかモエレ沼公園なんかはもう萌え萌えなのである。というわけで、展示前半の第1章「エポックメイキング・プロジェクト」に紹介されている展示がおもしろかった。へえー、こんなところがあるのか、という感じで、室生山上公園なんかは実際に行ってみたくなった。

自分の場合は、公共スペースのこういった展示というと、周辺(景観)との調和というのが鑑賞の際の非常に大きな要素であって、そういう意味で「首都圏の再整備」の事例には大いに不満を覚えた。たとえば六本木ヒルズのへんな蜘蛛の彫刻なんかは明らかに周囲から孤立している。いくらアーティスティックなものでも、自分はこの違和感を不快に感じる(逆にその違和感こそが狙いなのかもしれないが)。いずれにしても不特定多数の目にふれる展示は、「彫刻公害」という言葉もあるように、展示方法ひとつとってもたいへんむずかしいものだと思った。
そこいくと札幌芸術の森野外美術館は、ほとんどの作品が、作家がこの地を実際に訪れ、地形や周囲の状況、札幌の気候などをもとに新たに制作されたものということで、さすがに落ち着きを感じた。そこまで徹底するんだったら日本庭園の借景のような考えの作品があってもいいのではないかという気もしたが、札幌というロケーションでは富士山のようなランドマークもないし、ちょっと無理かな。

で、感想を一言でいうと「ごった煮」という感じ。「弐代目・青い日記帳」のTakさんが指摘されているように、対象が絞りきれていないのだ。
『パブリック・アート』というと自分はなんとなく『公共スペースに展示されている(誰でも楽しめる)芸術』と連想してしまう。だから、箱根彫刻の森美術館や、上述の札幌芸術の森美術館のような、金とって見せてるところは違うんじゃないの? と、Takさんとは別の意味で違和感を覚えた。で、自分の身近で『パブリック・アート』として真っ先に思い浮かべるのはいつも、横浜桜木町のガード下の落書きで、まったくの対象外。そう、この展覧会は彫刻とかオブジェばかりが対象になっているのだ。『アート』なんだから絵画も入れてもいいんじゃないの?
『日本の屋外彫刻』とかいう題名だったらしっくりくるかというとそうでもなくて、第2章「ユニーク・プロジェクト」には津和野川護岸整備とかあったりするのでもうわけわかんない。

とまあ文句もあるけど、期待しすぎてちょっぴりがっかりした本命のルソー展に反して、まったく期待せずに寄ってみたら意外にも楽しめてしまった展覧会だった。「ついで」だったのが良かったのかもしれない。ちなみに、会場はまあまあの入りだった。ついでに見ていく人が結構いるらしい。
図録はちょっとした美術書みたいなデザインで、表紙を眺めているだけでも楽しい。DVD付きということもあって、思わず買ってしまった。DVDは会場でも上映していた。
帰りは用賀駅まで歩いたのであるが、遊歩道のオブジェを眺めながら「これもパブリック・アートじゃん」とか今さらながらに思ったりして、街歩きをするときの目線がちょっと変わりそうな予感。(世田谷美術館・2006年12月3日観覧)

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