漢字の、日本での独特の変容について述べられた本。
文字じたいの変化も興味深いが、内容はそれだけにとどまらず、現代日本人の漢字に対する意識なんかにも触れられていて、トリビア満載のたいへんおもしろい本だった。日ごろ特に関心を払うこともなく使っている漢字の(ウェブサイトなんて作っていると時おり意識的になったりするときもあるけど)、なりたちや意味について改めて意識させられた。
家電製品のスイッチの「切」とか「強」とかを、心の中でどのように読んでいるか? 自分でそれらの字を見たときには、まったく読みを意識せず「ここがスイッチオフの位置」という記号のように感じている。そんなの人それぞれだし、決まった読みなんてないだろうが、それでも人に伝えるときに「きるにしといて」で充分通じると思う。そんなふうに、漢字は、発音記号であり、そのうえ意味を持ち、さらには単なる記号としても機能する。漢字って凄い、漢字をそんな風に使う日本語・日本人も凄い、と思った。
たとえば、日本で作られた漢字(国字という)があるということは知ってはいたが、じゃぁいつ誰が作ったのか、ということなんて考えもしなかった。
もちろん、そのほとんどは出自がはっきりしないが、たとえば「涙腺」とかいうときの『腺』の字は宇田川玄真という蘭方医が江戸時代に発明した字なんだとか。へぇ。同じ国字でも、「峠」みたいないかにも日本的な字と違って造りが中国古来の漢字っぽいから、日本人の発明だとは思いもよらなかった。「涙腺」「汗腺」のように、からだ(月「にくづき」)から泉のように液体が出てくるのだから、まさにドンピシャの字だ。
これだけ有名な(?)字の発明者なのに、ググってもヒット数がやたら少ないことに再度びっくりしたのだった。Wikiにもこの漢字のことは書かれていない。
また、同じ「にくづき」つながりでびっくりしたのは、人名用漢字を新規追加するときに「腥」「胱」といった字が要望に挙がったということ。筆者の推察では、どうも現代日本人の漢字のとらえかたは、字そのものの持つ意味よりもイメージ中心になりつつあるのではないか、という。なるほど、たしかにどっちの字も「月と星」「月と光」で、そう考えるとプラスのイメージだが・・・しかし、名前にこんな字を使われちゃぁかなわん。「ションベン」とか「きん○ま」とかあだ名つけられていじめられるのがオチだ。まあ漢字だけじゃない、
他にもいろんな漢字がある。自分の名前のために勝手に(?)漢字を作ったり、書き間違いが元で広まっちゃったりなどなど。だがそれもすべて「字」なのだ。ことばは、常に変わっていく。何が「正しい」のかなんて、誰にも決められない。「辞書に載ってないから間違い」なんじゃなくて、「世の中に通用している字を載せるのが辞書の役割」なのだ。
中国古代史を専攻し卒論を書いた経験から思ったことは、へんてこな誤字や、すでに廃れてしまった字を活字にして出版することは、筆者・印刷会社ともにたいへんな苦労があったろうということだった。
(笹原宏之著・2006年)(2006年12月27日読了)このエントリのトラックバックURL: http://katzlin.asablo.jp/blog/2006/12/30/6653629/tb