自分は薬師寺があまり好きではない。あの金儲け主義的なところがどうにも好きになれないのだ。この展覧会には日光・月光が来るというが、自分は仏像は鎌倉期のものが好みで白鳳仏にはさほど興味がない。唐招提寺展では本尊自らが出開帳にやってきたのに、薬師寺の方は来ないというのも気にくわない。
そんなわけでこの展覧会はパスしようと考えていたのだが、前売りペア券が2,000円なので、ひとり1,000円ならまあいっか、ということでペア券を買っておいた。
で、あとになってふと思いついて出品目録を見ると、なんとあの吉祥天が入ってるではありませんか!!!!! 売り物が日光・月光になってるけど、どう考えても吉祥天の方がいい。俄然楽しみになってきた。会期の中盤に展示替えがあり、後半の方が国宝が増えるので(と言っても東博所蔵の十六羅漢の絵だけど)、後半にでかけることにした。
が。冷静に見てみると展示総数はたったの47点。しかも発掘調査で出てきた壷と瓦がそのうちなんと半数を占める。美術展における素描と同様に、発掘の出土品で展示数の数字を上げるのはこのテの展覧会の常套手段だが、いくらなんでも半数はひどすぎる。これじゃおそらく会場はすっかすかで、中身のない展示になるに違いない。期待はしないことにした。
朝9時10分ごろに会場に到着すると、なんとすでに門が開いていた。え゛え゛え゛、そんなに混んでんの? 門から行列が奥へと続いていて、当日券販売所からも歩道に向かって長い列ができていた。当方はチケット持ちなのでそのまま入場し、中庭の列の最後尾に付く。日差しが強く、暑かった。
列の先頭はまだ表慶館の前あたりで、さほど長くはなかった。9時20分過ぎに先頭から奥へと動きだし、ようやく平成館の前に到着。平成館の前庭をぐるりとU字に回る格好に並ぶ。今までこんなに遠回りして並ばされたことはなかった。とにかく北斎展よりも、日本国宝展よりも混雑しているのだ。
めでたく入場を果たすと、まずは左手の第2会場(第1室)へと向かう。ほぼすべての人が、数珠つなぎのままに第1会場へ流されているようす。入り口にはなんと音声ガイドの受付にまで長蛇の列が。これは大チャンスだ。
第2会場は入るといきなり「草創期の薬師寺」とかで、数かせぎの壷やら瓦やらが並んでいる。人は数えるほどしかいない。右手に鰹節みたいな棒が大量に見えてちょっぴり気になったが、一目散に奥へと進む。玄奘三蔵の絵が数点あったが目もくれずひたすら進む。第1室の最後の最後に慈恩大師像があった。国宝だが誰も見ていない。大きな絵なので後からでも見られるだろうと何しろ先へと急ぐ。
果たしてそれは、第2室の奥に、たったひとりで鎮座ましましていたのだった。絵の前にはマニアっぽい男性がふたり、単眼鏡で食い入るようにして見ているだけで、ほかには人はいなかった。どきどきしながら震える手でかばんの中の単眼鏡を探した。
- 吉祥天像(国宝)
- 今回の最大のお目当て。相棒は薬師寺で見たことがあるらしいが、自分は初めてだ。話には聞いていたが、それでも思ったよりははるかに小さな絵だった。保護のために極端に照明を落としてあるので目が慣れず、かばんから単眼鏡を出すのにも手間取る始末。てか、あまりに暗くて「これなら図鑑のほうがいいじゃん」とか本気で思ってしまった。
しかし徐々に目が慣れてくるとその気品あふれるたたずまいに感嘆してしまう。単眼鏡で見ると金がかったアクセサリーもよく見える。如意宝珠のグラデーションも惚れ惚れするくらい美しかったが、自分が一番感心したのは右手の下にかかる透明な羽衣だった。ふわふわとしていそうで、天女の羽衣とはこういうものなのだろうと容易に想像できた。奈良時代にこのような透明感を出せる描画の技術があったことも驚きだ(後世の補筆だったりして)。
第2室は平成館では一番狭い部屋とはいえ、そのすべてがこの吉祥天ひとりのために使われていた。一番奥の本物にたどりつくまでの壁には、大写しになった吉祥天の部分画像や映像があった。大行列になったときの時間つぶしのために設けられたものだろうが、参考になる解説があったりしてよかった。
濃密な、とても心地のよい時間と空間だった。それもこれも人が少なかったからだろうが、もうこれだけで観覧料の元はとれたと感じた。
- 聖観音菩薩立像(国宝)
- 左手を挙げて右手を垂れ、さらには蓮の花も持っていないという、形式的にはイレギュラーな聖観音。そのためか、文化財の登録名称も「観音菩薩立像」となっている。しかし出品目録、会場の標示も「聖観音」と称してはばからず、そのへんの解説もないようだ。
また、製作年代に諸説あって、日光・月光よりも新しいという説もあるのだが、会場の解説は「製作年代には議論があるが」の一言で片付けてしまったうえで、日光・月光よりも古いと言い切っていた。字数が限られるからしかたないのかもしれないけど、決着を見ていない説の一方だけに肩入れするような解説は、一般向けとしてはどうかと思った。
この像はたぶん過去に見たことがあると思うがよく思い出せない。すらっとしたシンメトリックな姿から法隆寺の百済観音を連想した。真横から見た姿も均整がとれていて美しかった。しかし、今回像をひとめ見たときに「これはあまり好きでないなあ」と感じてしまった。なんか顔が好きになれないのだ。微笑んでいるというより、ニヤけているような印象を受けた。
吉祥天とは違って、人が多かったのが印象を悪くしたのかもしれない。狭いスペースで背面を見ようと人々がぐるぐる周りを回っている。葛西臨海公園水族館の回遊魚の水槽を思い出した。
- 日光・月光菩薩像(国宝)
聖観音からすぐのところに、この展覧会の呼び物となっている日光・月光像が。第4室のほとんどがこの2体のためのスペースとなっている。
この像は薬師寺で何度か見ているのだが、あまり注目して見たことはなかった。しかし今回まじまじと拝んで、確かにすばらしい仏像だと認識をあらたにした。なんといっても、会場の解説にもあったが、肌がすこぶる美しい。1000年以上もお身拭いで磨かれてきたせいもあるかもしれないが、きっと元がいいのだ。しかもこれ、継ぎ足しとかじゃなくて、全体を一度に鋳出しているというのだから、なにしろ相当な技術だと思うのだ。
顔は興福寺の旧山田寺仏頭に似ている。同じ時代の像だからなのだろう。仏頭は男のように見えるけど、日光・月光はより中性的に見える。
ところで、展示方法の目玉として、3mもある仏像をひな壇の高いところから見られるということが喧伝されている。しかしこれがどうにも美しくない。下から見上げられることを想定して造形されたであろう像を上から見るのだから、まあ当然だ。腰のくびれはこの高さからはびっくりするくらいよくわかるのだが、それだけだ。そうだ、きっとこのひな壇は混雑対策に違いない。「普段は見られない位置から拝めます!」とか書いときゃ皆ありがたがるという作戦なのだ。と、生来のアマノジャクが頭をもたげるのだった。
- 塑像残欠
- 最初に見て気になった鰹節の正体は塑像の残欠だった。呪術に使う人形のようにも見える。東塔には古くは塑像で構成された涅槃図があったとか。その塑像の粘土の部分が剥落して木心だけが残ったのだった。ということは、きっちりと現存している法隆寺五重塔の塔本四面具は稀有な例といえるのだろう。
八幡三神は過去に展覧会などで見ているし、さほど興味がないのでスルー。ふたたび聖観音にもどって正面からしげしげと眺めたら、なんだか好きになれそうな気がした。吉祥天の混雑度合いには波があって、あとからでもじっくりと見られるときもあった。日光・月光を見て満足してしまうのだろうか、薄暗い吉祥天には興味を示さずちらっと見て通り過ぎてゆく人が多いようだった。
結局全部で3周くらいした。当初あまり期待していなかっただけに、なかなかよい気分で鑑賞できた展覧会だった。でもそれは前売りペア券で@1000円だったからだ。1500円もする当日券だったら激怒していたと思う。
絵はがきはこの展覧会のものではなくて、薬師寺で普通に売っている土産物っぽいものだったので買わなかった。図録なんてもってのほか。そういえば見本を見る気もおきなかったことに今気づいた。
本館と東洋館に寄ってから帰宅の途についた。(東京国立博物館・2008年5月24日観覧)