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明治六年政変(中公新書)2009-02-15 15:53

昨年読んだ『西南戦争』は、その前段階として明治六年政変から始まるのだが、記述がちょっとあっさりしすぎていて(西南戦争が本題なんだから当たり前なのだが)、なんだかピンと来なかったところ、ちょうどいい具合にこの事件をテーマにした本があったので読んでみた。


まず激しく違和感を感じたのは、作者の人物描写だ。自分は、作家や文学者が書いた歴史書を好まない(というより歴史書と思えない)のだが、その理由は、人物の好き嫌いをいちいち書くからだ。登場人物に対する作者の思い入れなんて、歴史書においては害悪でしかない。そういうのは評論の役割だ。
で、この本はそれが激しい。歴史家の書いた本だとは思えないくらいだ。江藤新平にはその名前の前にしばしば「頭脳明晰な」をつけて持ち上げ、逆に三条実美には「小心な」「凡庸な」をつけてこきおろしている。そう思うのはもちろん自由だけど、そういう先入観を植え付けられると、読み手はまともな判断ができなくなっちゃう。
また、文末に「〜ではなかろうか」「〜にちがいない」「〜と思われる」が頻繁に現れる。作者の書き癖なのかもしれないけど、これでは根拠のない推論がたらたら書き連ねてあるように読み取れる。

と、気になる点は多々あるのだが、内容は、それらを差し引いてもおもしろかった。一次資料をもとに話を進めているのがいいのだと思う。西郷征韓論者説に物申す、という論旨も明解で気持ちよく読めた。「通説」を無検証では受け入れないというのは、歴史学の方法としてまっとうだと思う。言いたいこともよくわかったし、おもしろい説だと思った。
ただ、自分はこの本の説には全面的には賛成できない。説得力に乏しいように思えるのだ。その最大の要因は、西郷自らが「俺は征韓論者じゃない」と述べている資料は存在しないのにそれを証明しようとしているからで、すっかり悪魔の証明状態になってしまっているためだと思う。

読み終えてから、『西南戦争』の冒頭部分をもう一度読み返してみたのだけど、おかげでこの政変から西南戦争に至る流れがよくわかった。そして西郷の真意は征韓論になく、平和的交渉を望んでいたという見解もある(後略)と、1段落を割いて触れられているのが印象的だった(7頁)。『西南戦争』では、この本の説を引くことによって、名分を重んじる西郷の気質が西南戦争に至る伏線として位置付けられているのだった。

(毛利敏彦著・1979年)(2009年1月28日読了)

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