2003年夏、宮城県沖で地震が起き、再放送の「おしん」は関東大震災に罹災した。
地震のことがちょっと気にかかっていたところに、神奈川県立歴史博物館で、今年で80周年となる関東大震災をテーマにした博物展があることを知り、出かけた。(2003年8月17日観覧のメモ)
- 記録映画と解説を聞く。全て合わせて2時間くらい。
- ちょうどこの日は特別行事で当時の記録映画を放映していた。この企画の方は無料で見られた。
学芸員の解説付きで、学芸員氏が国立美術館のフィルムセンターから発掘してきたという映画などを数本見た。
- 「飛行船による震災前の京浜」(1926年)
- 「横浜大震火災惨状」(1923年)
- 「震災記録 聖上陛下横浜へ行幸」(1929年)
- 「震災記録横浜港閑院宮殿下御視察」(1928年)
- 「昭和大礼記念観艦式」(1928年)
- 「小田原大震災」(1979年)
1の飛行船は海軍のもので、今でいう対潜哨戒機らしい。テスト飛行だかなんだかで、横須賀の追浜から江ノ島、横浜上空を通る。
横浜の町並みや、旧横浜正金銀行(現在の神奈川県立歴史博物館)などが大写しにされていた。
今回の映像は横浜までで終了だったが、原本では浅草まで行ってから横須賀に帰るところまであるらしい。
2は震災直後の市内のあちこちを撮影したもので、火災で黒焦げになった死体なども映し出しており、そのシーンでは観客もみな思わず声をあげていた。
上述のとおり、現在博物館となっている建物はその昔、横浜正金銀行の本店であった。建物は当時の最新式の耐震防火構造だったという。
横浜正金銀行が崩れずに残っているのを見て、周辺にいた人々が難を逃れに集まったが、ある時点で防火扉が閉ざされてしまった。
このとき閉めだされた人が140人ほどで、撮影された黒焦げ死体はこの人たちだ。
なお、建物は吹き抜けになっており、そこから火が入って結局焼けてしまった。
しかし、中にいた銀行員を含めた約340人は地下に逃れて命拾いしたという。
また、その隣にあった川崎銀行の建物も同じく最新式施設で、完璧に残っていた。
焼け出された人々が屋根のない貨物列車で運ばれていく映像もあった。なんとも痛ましい光景だった。
中には、トンネルに入って先頭の機関車の煙で窒息してしまった人もいたという。
他にも、倒壊(というよりボイラーしか残っていない)グランドホテルの映像や、焼け焦げた赤レンガ倉庫なども映っており、たいへん興味深かった。
3、4は震災復興記念式典などの映像。
5は地震とは関係なくて、おまけだと学芸員氏も言っていた。
6は当時小田原に住んでいた小暮次郎という画家の、回想などによる記録。
アニメーションなども交えたもので、今○○があるこの通りは当時は石塀が崩れて・・・とかいう感じ。
- 映画を見終えて展示に移る
- 展示では、ポスターにも使われている、横浜駅の駅員と11:59を示したまま止まっている時計の写真がやはり印象的だった。
また、県内外各地ごとの被害状況も集約しており、それによると東京の罹災率は約75%で、横浜はなんと95%超であった。
関東大震災は東京が大ダメージを受けたというイメージを持っていたが、横浜もそれ以上にひどいことになっていたのだという認識を強くした。
県央部では、火災の被害より建物倒壊の方がひどかった。
これは、震源地に近く直下から激震が襲ったために、火事になるより先に建物が崩れてしまったからだろうという。
鉄道の復興状況の資料では、東海道線横浜駅は9月7日に運転を再開しており(9月4日復旧工事開始)、映像で見た破壊状況からしても随分早いなと思った。
これにより、横浜駅の駅員の写真は9月中旬頃の撮影ではないかと言われている。
外国からの義捐金についても触れられていた。各国からの義捐金を円グラフで表していたが、一番多く寄付したのはアメリカで70%弱。
次はイギリスで20%弱、その次は中国で6%で、この3カ国でほとんど総額を占める。これらの国と日本がわずか10数年後には戦火を交えたというのは何か皮肉のような感じがした。
他にはペルーやベルギーの国名があがっていた。
他に驚いたことは、神奈川県の公文書が千葉県の市原に落ちていたということ。
どうも火災の上昇気流に巻き上げられて、千葉まで飛ばされたということらしい。
火災の凄まじさを物語るエピソードだ。
- 観覧を終えて
- 震災の被害は今まで考えていたよりもはるかにひどいものだった。
おしんの夫竜三が佐賀に逃げ出した訳がわかった気がした。ぼっちゃん育ちじゃああの中で生き抜こうなんて気は起きないだろう。
展覧会としては、サブタイトルにもあるように被害状況と復興状況に主眼を置いたもののようだが、
たとえば朝鮮人虐殺などにはまったく触れていなかったのが(見落としたのかも知れません)ちょっと残念だった。
もっと震災の全貌を伝えるような内容だとなお良かったと思う。
天災は忘れた頃にやってくるとはよく言うが、かと言って忘れなければやってこないのかというとそういうわけでもない。
80年前、まさに今自分がいるこの場所で、建物の中で生き延びた人、入れずに焼け死んだ人の違いを考えたとき、人の運命の儚さを思った。
震災絵はがきの復刻版が売っていたので3枚買った。