かつて、日本女性はパンツを穿かなかった(「ズボン」の意味ではなく、下着のことです)。では、どうして穿くようになったのか。
というとき、いつも引き合いに出されるのは戦前の白木屋デパートの火災である。上の方のフロアにいた人たちは即席のロープを垂らして外壁伝いに脱出しようとした。しかしその際、女性店員たちが着物の裾の乱れを気にするあまりにロープを放してしまい、墜落して死んでしまった者が大勢いた、というものだ。これにより、「パンツを穿けば陰部を見られる心配はない」ということになり、パンツが普及していったということになっている。
ウチの相棒や母もこのことは知っていて、割と有名な話のようだ。しかし、筆者は、死因などを調べ上げ、これは後になって捏造されたものであると結論付ける。その過程はなかなか痛快だし、説得力もある。端的に言って、おもしろい。確かに、生きるか死ぬかの瀬戸際でそんなこと気にするなんてちょっとおかしい。
ただ、パンツを穿くようになったのは、股間を見られてもいいようにするためだという点は筆者も否定はしない。そればかりか、貞操帯としての役割も持っていたという。それがいつの間にか、見られると恥ずかしい、ということになってしまった。それはいつからか、そして、何故か。この本の主題はそこにある。
女が隠すから男は見たがる、男が見たがるから女は隠す。あまり意識していなかったことだが、これはここ50年あまりの風潮なのだ。それ以前は、女は平気でズロースを見せていたし、男もそんな布切れを見ても喜びもしなかった。もっと前は、女はパンツすら穿いていなかったし、道端で平然と小便をすることだってあったのだ。そういう世相が、くどいくらいの引用文献で紹介してある。
そういえば、東海道中膝栗毛にも、隣の嬶が目の前でひょぐりはじめて・・・みたいな台詞があったっけ。20世紀の初めには、そういう江戸時代の慣習がまだ色濃く残っていたということなんだろう。
参考文献が小説や風俗誌だったりするのでキワモノ的な印象を免れ得ないが、風俗史では仕方のないことだと思う。逆に、なかなか日のあたらない、下半身にまつわるエピソードが豊富で楽しいと思う。たとえば、パンツを穿いていないころのデパートの床は陰毛だらけだったとか、昔の公衆トイレでは男性と並んで女性も立小便をしていたとか、しかも小用便器の脇には局部を拭いた紙を捨てられるようにゴミ箱まであったとか(つまり女性が使うことを前提にしている)、などなど・・・
そんな筆者が最近の「見せパン」をどう解釈するかも非常に興味があったが、「古い人間」なので最新の動向はわからないというのが非常に残念。パンツ丸出しで座り込む女子高生を嘆く雑誌記事を紹介している程度にとどまっている。
あと、電車の中で読んでいると、「下着ショー」の写真とか「ズロースの作り方」みたいな挿絵が出てきたりするので、周囲の目がちょっと気になるのが欠点か(笑)。
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