自分は学生の頃からの新書好きだが、このところ、おもしろい本に遭遇する確率がめっきり低くなった。新書全体のレベルが下がり、エッセイもどきの本が増えたような気がする。緑や黄色の岩波新書、カバーが紙ではなく透明ビニールだったころの中公新書はとてもおもしろかった。
というわけで、もう新刊にあまり期待できないので、しばらくは昔読んだ本を読み返すことにした。まず手始めに、(最近の大学はどうか知らないが)中国史を専攻するほとんどすべての学生が読むであろう貝塚大先生の「中国の歴史」。
中国研究史に残る名著ではあるが、今読むと(今読んでも)なんとも古くさい。歴史学とは、歴史家が、過去のことがらを客観的資料から分析し、自身の論理を構築する学問であると言っていいと思うが、その歴史家自身の解釈は当然その時の社会や思想の影響を受けるため、あとからは色褪せて見えるというのはよくあることだ。
中でも気になったのは、西洋へのコンプレックスだ。たとえば、次のような記述。
十三世紀の始めごろは製紙・印刷・陶磁・織物などの手工業が未発達でまだ中世的な停滞を示していた西欧をはるかにしのぐものがあり、西洋のルネッサンスに一歩さきだって、近代的な文化をアジアの地で開花させた。(中略)元によって平和的に接収された臨安の都市生活は、ここを十三世紀におとずれたイタリアのヴェネチアからの旅行者マルコ・ポーロを驚嘆させ、「地上の天堂だ」と叫ばせた。その発達した都市はルネッサンス時代のイタリアの代表的都市ヴェネチアとは比較にならない大規模なものであった。(中・166-167頁)
ヴァスコ・ダ・ガマが一四九七年の喜望峰発見にあたって、三隻にわずか六十人の水夫を分乗させたというから、鄭和の大艦隊とは比較にならない。五百人をのせることができる三本マストにジャンク風の縦帆をはった巨大な船を建造しえた造船技術と、羅針盤と航海図に天測をとりいれて方位をはかる中国の遠洋航海の技術は西方世界よりはるかに進歩していた。十五世紀はじめにおける中国の造船技術が停滞し、十八世紀にいたってヨーロッパ諸国に決定的に追い抜かれることになるのは、どんな理由によるものであろう。(下・21-22頁)ヨーロッパは先進的だが、中国はそのヨーロッパをかつてリードしていたんだぞ、という意識が見える。自分の学生時代はすでに、「アジア=遅れている、ヨーロッパ=進んでいる」という考えは古いものであった。西洋化=進化ではない。アジアはアジアなんだから、ヨーロッパと比較しても意味がないわけで。
解釈が古いということはこの本の価値を下げる要素ではない。40年前の歴史家の中国観を知ることができるわけで、研究史という観点からもよい資料だと思う。それに、中国史を手っ取り早く通読するには今でも最良の本なのだと思う。だからこそ、40年も前の本なのに、まだ店頭に並んでいるのだ。
ただ、もうそろそろ、誰かいいセンセイが、現在の視点でこういう入門的な通史を書いてくれないかなあとも思う。
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