KATZLIN'S blog

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陸軍中野学校 情報戦士たちの肖像(平凡社新書)2006-11-04 17:47

前に「象徴天皇制の起源」を読んで太平洋戦争における情報戦にちょっと興味をもち、日本ではどうかと思ってこの本を買ったわけだが、『はじめに』を読んで勘違いしていることに気づいた。

陸軍中野学校はいわゆるスパイ・アカデミーで、「秘密戦士」と呼ばれた諜報員(ケース・オフィサー)を養成する学校であった。諜報員とは、専門の教育・訓練を受けたプロの 工作員のことで、非合法活動を通じて非公開の情報を入手するスパイである。
"諜報"とは英語で「インテリジェンス」、すなわち非合法な手段や方法でデータを入手する工作を指すのに対し、"情報"は「インフォメーション」と訳され、公開されている生のデータを指すことが多い。

自分の知りたかったのは「インフォメーション」の方だったのであるが、中野学校って、そういうところだったのか(無知でした)。にしてはサブタイトルが『情報戦士たちの肖像』になってるけど、まいっか。


と思って読み進んだが、なんだかとりとめのない本だった。
帯に「謎の商社『昭和通商』とは何か?」とあるが、中野学校の出身者が身分を隠して入社していたというだけで、結局ハッキリとした関係はわからない。そのままこの話は序章-第1章で尻切れトンボ気味に終了し、第2章から唐突に中野学校の歴史に移る。第3章では戦争中の工作活動、第4章で中野学校以前の特務機関の話、第5章では戦後の情報機関の話と話題がころころ変わり、付記なんかは中野学校と全然関係のない、まったくのおまけ。

著者がノンフィクション作家なので、「謎にせまる知的冒険」みたいな内容を期待していた。が、これではまるで取材メモ。冒険はおろか、主題すらまったく見えない。「情報戦士たちの『肖像』」という点では第3章がそれに近いのかもしれないが、だったら昭和通商の話題なんか要らないんじゃないかとも思うし、もう読んだこっちが混乱してきた。

まあそれでも、中野学校での教育内容などが書かれていて、忍術を教えていたとかいう話なんかは興味深かった。
トリビア本としてはおもしろいかもしれないが、それにしても不満が残る内容だった。

(斎藤充功著、2006年)(2006年10月25日読了)

明日の天気がわかる本(地球丸 OUTDOOR HANDBOOK)2006-11-11 21:27

今朝は雷鳴で目覚めた。天気図を見ると低気圧が増えて二つ玉になっていた。山はおろか、平地も荒れる典型パターンだ。出かける予定だったのを取り止めた。自分にもその程度の知識はある。
しかし、体育の日の3連休の山行では、気圧配置が一時的に冬型になるというので、じゃあ冬型でも晴天率の高い八ヶ岳に、と行ってみたところ予想に反して雲に覆われていた。天気の読みの甘さを痛感し、本屋のアウトドア・コーナーで見付けたこの本でもうちょっと勉強しようと思った。


山歩きの際の天気予測としては、観天望気が一番効果的だと思う。
天気図の知識ももちろん必要だが、いったん山に入ると(北アルプスのような整備された営業小屋ばかりの山域は別として)天気図の入手が難しい。気象通報を聞いて自分で天気図を描くこともするが、正確なのかどうかイマイチ自信が持てないし、放送の始まる16時までにテント場に着けないこともあるし。空を見て、あの雲があるから明日は雨だ、とかわかればそれに勝るものはない。

この本はその観天望気の本だ。温暖前線や寒冷前線の説明など、半分くらいは中学生の頃に学校で習った内容でちょっとがっかりだ。が、雲の分類は苦手な分野なので、しっかりと読んだ。でも残念なことに写真がモノクロなのでちょっとわかりにくい。これはもう実践あるのみだ。

読んでいる途中でいまさらながら気づいたのだが、出版が 1998 年と古く、たとえば台風に関する記述もすでに廃止された「『弱い』台風」などの解説があったりする。「インターネットの有効な利用法」なんていう章も今更感が強い。なによりも、「アウトドア・ハンドブック」だからと思って買ったのだが、「野外で注意したい天気」の章が短いのがちょっと残念だった。
が、雲の基本分類は10種類でいいという記述に、ちょっと勇気付けられた。頑張って覚えなければ。そして次は山岳気象専門の本で勉強してみたい。

(塚本治弘著、1998年)

ふたたび仏像展へ2006-11-13 23:22

入場半券
「特別展『仏像 一木にこめられた祈り』」の、前期展に続いて後期展へ。後期の目玉、チケットにもあしらわれている向源寺の十一面観音(国宝)が目当てだ。この日の NHK 新日曜美術館で紹介されるというので、その後は混雑がひどくなると予想し、急遽出かけることにしたのだ。

中央線が遅れたりして上野到着は少し遅れて9:23。博物館に着いたとき、ちょうど開門したところだった。人出は、前期に自分が見にきた日よりも若干多いようだった。よく晴れた日曜だからかもしれない。それでも今日はチケットをすでに持っているので入場はスムーズにいった。


入場後、ほかの仏像はかっとばして向源寺十一面観音前へと急ぐ。同じような行動の人も何人か見受けられた。到着してみると、はたして観音像の周囲には20人ほどの人だかりができていた。
この像を見るのは2003年12月以来で、これで3度目になる。当然の事ながら、このような場所で拝むのは初めてだ。それぞれの面の表情もはっきりとわかるし、寺の宝物殿と違って遠くから見ることができるので、像全体のイメージがつかみやすい。近付きすぎると照明がまぶしいから、ちょっと遠目から単眼鏡なりで鑑賞するのが良いように思う。前期の目玉だった宝菩提院の菩薩半跏像とは逆に、この像は左30度くらいがイイカンジだ。絵はがきなんかだと少し上から見下ろすようなアングルの写真が多いようだが、この角度から見上げると、ふっくらとした頬が少し微笑んでいるようにも見えて、なんだか親しみがわいてきた。

有名な暴悪大笑面もよく見えたが、照明の関係で真後ろに入らないとまぶしくてしょうがない。しかも背後には壁があるので結構窮屈だった。
相棒はこの面を見て館ひろしがニカーっと笑ったところに似ていると思ったそうだが、一部の山ノボラーの間では「腹ペコ山男のお部屋」のウェブマスターである腹ペコ山男氏に似ているともいわれているようだ。いずれにしても、仏像らしからぬ人間くささが印象的な面である。

たっぷり30分あまりも堪能してから、会場を1周して平成館を出た。出場の際に、係員に申し出ると再入場できるというのでそのようにした。
さて今日は仏像展だけではなく、平常展も楽しみにしていた。11月は結構おもしろそうな展示があるからだ。まずは本館2階の浮世絵コーナーへ向かう。
写楽
写楽が特集展示されていて、20枚ほどがずらりと並んでいるのだった。写楽の浮世絵は結構好きなのだが、ここに並んでいるのはどれも褪色が激しくてなんだかパッとしなかった。すべてが重文指定となっていたが、同じ絵柄のものが複数枚ある版画を指定するというのは不思議な感じがした。

つづいて表慶館へ。
表慶館ドーム
表慶館は10年ほど前までは考古遺物のコーナーが常設展示されていた。ここで埴輪を見るのが好きだったが、平成館ができてから考古部門はそちらに移動し、その後ほとんど閉鎖されていた建物だ。建物自体が重文指定されている(本館もそうだが)。修理が終わって2007年1月まで内部公開されている。
案内板 2階 モザイク
中では修理の際のスライド写真が上映されていた。他には展示はなく、がらんどうだったのは寂しかったが、レトロちっくな装飾などを楽しんだ。

次の目標は法隆寺宝物館。年に数回しか展示されない伎楽面がちょうど見られるのだ。
法隆寺宝物館
1階展示室は、明るいエントランスとはうってかわって映画館のように薄暗い。その中に、ライトアップされた小さな金銅仏がたくさん並んでいて、ちょっと荘厳な感じがする。まだ11時前と時間が早いせいか、見張りの女性職員以外に誰もいなくて部屋はシーンと静まり返っている。そのさらに奥の、普段は閉まっている部屋が伎楽面の部屋だ。
伎楽面の部屋
ずらりと並んでいるお面は、鎌倉時代の「鬼面」以外はすべて飛鳥時代から奈良時代にかけてのもので、ほとんどが重文に指定されている。中空を見つめている面がずらりと並んでいるさまはちょっと異様な感じではある。金銅仏とこのお面の部屋にいると、現実を離れた不思議な空間に迷い込んだような気がする。好きな仏像や面を探すのもいいが、自分はその雰囲気が好きだ。
迦楼羅 波羅門 酔胡従

法隆寺館を1周し終えると11時。ちょっと早いがいまのうちにと、1階にあるホテル・オークラのレストランで食事をとった。ここは久しぶりだったが、魚に火が入りすぎるのは変わっていなかった。

見学はまだ続く。次は東洋館。ここには中国の印譜が特集展示されている。篆刻好きにはたまらない企画だ。
中国書籍の部屋の、いつもは壁一面に大きな掛軸が展示してあるところに小さな印譜の冊子がならんでいた。思ったよりも数が多くて興奮してしまった。展示品の中でももっとも古い部類に属する宝印斎印式に惹かれた。ふと、印章(印影)を美術として見るのって、ひょっとして漢字の文化圏だけなんじゃないだろうかと思ったりした。
宝印斎印式

仏像展は再入場の手続き(といっても半券裏に日付印を押しただけだが)をしてあるので、最後にふたたび向源寺十一面観音を見に平成館に行った。会場は午後になって若者が増えていた。なんだかとても不思議だ。みうらじゅんや柴門ふみの影響なんだろうか。
十一面観音の絵はがきを3枚買って平成館を出たのは13時過ぎだった。風が猛烈に強くて寒かった。風で枝が折れたりして怪我をしないようにという配慮なのか、中庭のユリノキの付近は周囲にロープが張ってあり近づけないようになっていた。夕方のニュースを見たら、この東京の強風は木枯し1号ということだった。(東京国立博物館・2006年11月12日観覧)

Lightbox JS をいれてみた2006-11-16 00:21

調べものをしていてナイスな Javascript を見つけた。Lightbox JSだ。フラッシュみたいな動きで画像が表示されるのがなかなかカッコよくて、ひとめぼれしてしまった。

ウェブページはなるべく軽く、といつも思っているが、最近のパソコンは高性能だし、これくらいの仕掛けのページがいくつかはあってもいいかな、と弁解しつつ、ためしに先日 の仏像展のブログのエントリー と、こことかここ みたいな画像がメインのページに入れてみた。あんまり重くていらいらするようなら止めるかもしれないが、とりあえずはこれから徐々に増やしていこうと目論んでいるしだい。

導入は簡単だったが、loading.gif と closelabel.gif がリンクできなかった。が、これは CSS の方で http:// から始まる絶対指定にしたら上手くいった。また、ダウンロードしたオリジナルのものからディレクトリ構造を少し変えたほか、CSS で枠をつけたり背景を黄色にしたり、Mozilla/Firefox 用に角を丸めたりと少しいじってみた。


Lightbox JS のいいところは、ブラウザで Javascript をオフにしていても、通常のリンクとして機能するということだ。クリックするとちゃんと画像が開くのだ。Javascript をオフにしていてもストレスなくページが閲覧できるというのは大切だと思う。
また、今回使ってみた ver. 2.2 では、画像のグループ化とともに、キーボードで送り・戻し・閉じることができるようになっているのもいい。自分はどちらかというとマウスよりはキーボードを使って操作する ことが多いので、こういう仕様は大歓迎だ。

しかし、やはりもっさり感はつきまとう。体感的には Firefox が一番速いように思う。IE はまあまあで、メインで使っている Opera が一番遅いようだ(泣)。また、Opera は現行の 9.02 だと画像にも opacity がかかって半透明になってしまうことがときどきある(泣)。Opera 側ののバグなんだろうと思う。

最大の難点はウィンドウサイズよりでかい画像だと画面からはみだしてしまうところだろうか。このままでは拙サイトのぐるぐる写真館 なんかには使えない。
と思いつついろいろ探りをいれると、やはり偉い人はいるもので、このスクリプトを改造した Lightbox Plus というのが公開されていた。これ、画像の拡大縮小もできるし、マウスでつまんで動かせるし、おもしろくてたいへんいい。と思ったが、肝心の CSS が思うようにいじれないので導入は見送ることにした。

VMware Player で、Linux 上で Windows を使う2006-11-25 17:50

SUSE Linux 上の win2k
Windows とのデュアルブートが面倒になってきた。
Windows は、たまに MSAccess を使うときと、ウェブサイトの動作確認のときだけ使えればいい。そのためだけに Linux を落として Windows を立ち上げるのがたいへん億劫だ。
そこで、仮想マシンエミュレータの VMware を使うことにした。はじめて Linux をいじったころは VMware は有料だったが、無料版が去年リリースされていたのだ。すでに1年たっていて、かなりの情報も見られるので、思いきってチャレンジすることにした。

VMware Player を使い、SUSE をホスト、Windows 2000 をゲストにすることにした。
デバイスがホスト OS に依存することを考えると Windows がホストで Linux をゲストにするのが理想だが、通常は Linux を使うので、必要ない Windows がつねに立ち上がっているのはなんか気持ち悪いから。うまくいかなかったら逆にすればいいし、まあとにかく試してみよう。


まずは VMware のサイトから rpm を落としてきてインストール。そこまではうまくいったが、次に行う vmware-configure.pl の段階で、カーネルソースがないとか文句言われた。
ガックシきたが、とにかくググると Setting up VMware on SUSE Linux がヒット。どうやらパッケージが足りなかっただけみたいだ。当方のシステムには kernel-syms がなかったので YaST でインストール。しかしそれでも文句言われる。エラーメッセージを読むと今度は kernel と kernel-syms のバージョンが違うらしい。
少し悩んだが、バージョンの話なので、とりあえず YaST でアップデートしてみた。
すると OK。って、これも Setting up VMware on SUSE Linux の上の方に Warning が書いてあるじゃないの。最初からちゃんと読めよ、ということだ。

さて、VMware Player のインストールはこれで上手くいったようなので、あとは「VMware Player を導入してみました」を踏襲(多謝)。
自分は
# qemu-img create -f vmdk win2k.vmdk 4G
とした。なお、qemu は YaST にころがっていた。

vmx ファイルを書き、ゲストのインストールを開始。
しかしここで第2の関門が。自分の Windows 2000 はアップグレード版。以前のバージョンの CD を入れろと要求され、ここでアウト。CD を交換しても認識してくれないのだ。どうも vmplayer は稼働中に CD 交換ができないらしい。
さんざん考えて、いったん 98SE をインストールして、2000 にアップグレードすればいいことに気づいた。クリーンインストールしたかったけど、まあしかたない。とりあえず動くかどうかが肝心なのだ。

98SE のインストールは進んだが、今度は最初の再起動でつまづく。再起動したら真っ暗なまんま。なぜだろう。
その日は諦めてそのまんま寝て、次の日にふっと思い付いた。これは .vmx ファイルの記述が guestOS = "win2000pro" のままだったからじゃあないのか。最初に 2000 を入れようとしてたからそのままだったんだ。案の定、これを "win98" にしたら上手くいった。
で、98SE が立ち上がってからまた 2000 の入れ直し(というか、アップグレード)。これは思ったより早くすんだ。2000 は guestOS = "win98" のままでも動いたけど、いちおう "win2000pro" に戻しておいた。

以前の Windows の D ドライブはホストの Linux 側から samba で共有設定。ゲストの Windows ではドライブレター D でネットワークドライブに割り当てた。
これでほとんど native の Windows のように使えるはずだ。たぶん。

続いてディスプレイの設定。そのままだと 640x480 としょぼい。
上述の「VMware Player を導入してみました」のとおりに vmware-tools を入れたら、ちゃんと解像度も大きくなった。が、設定できるのは 4:3 の画面ばかり。自分のパソコンは Dell Inspiron 630m で、1280x800 というワイド画面だ。
ググったら、VMTN の Knowledge Base の KB1003 を参照しろという情報が。で、これがビンゴだった。
結局これはゲストの Windows のレジストリをいぢくればよい、というものだった。 情報どおり HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\CurrentControlSet\Services\vmx_svga\Device0. を開き、当方の環境には Resolution.10. まであったので「文字列」を選択して Resolution.11. を作った。で、値に 1280x800 を書き込んだ。
ゲストを再起動させ、画面のプロパティを開くと希望どおりに 1280x800 が選択肢にあり、きっちりと動いた。

これでおしまいと思いきや、Windows をフルスクリーンにして動かすと中央上部に VMware のツールバーがでてきて邪魔でしょうがない。
またしても情報探しの旅に出て、今度は VMTN のフォーラムにスレッドを発見。投稿者が混乱していて、読んでるこちらもつられて混乱してきたが、.vmx ファイルに gui.fullScreenAtPowerOn = "TRUE" を追加しろというカキコのとおりにしたら、VMware の起動時にツールバーなしでフルスクリーンで起動した。

と、いくつかてこずったところもあったが、導入は成功した。ディスプレイは、ウェブサイトの確認用という点では現在主流の 1024x768 の方が都合がいいので、結局 1280x800 はやめた。横に間延びしないで、ちゃんと両端が切れてくれるので確認用にはうってつけだ。
XVGA画面
と、ようやく落ち着いたところで VMware Server も無料になっていることを知った。げっ、この方がよかったじゃん。でももう今さら変えるのメンドくさいから Player のままでいいや。