KATZLIN'S blog

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小林清親展2015-04-12 22:49

NHK日曜美術館で知った画家。明治時代に活躍した、最後の浮世絵師という。明治の洋風建築と浮世絵版画の融合がおもしろく、夜の表現がなかなか良さげ。で、練馬区立美術館で回顧展をやるというので、行ってみることにした。


予報は曇り時々雨。昼に家を出た頃はちょうど止み間だった。しかし池袋から西武線に乗ったあたりで降り始めた。沿線の桜はまだ散らずに残っていた。
中村橋駅に着いたのは13時過ぎで、ちょっと腹が減ってきた。美術館のホールに軽食コーナーがあるので、そこでサンドイッチを食べた。オムレツが具材になっていて一風変わったものだが、なかなか旨かった。
サンドイッチ
館内はさほど混んでいなかったが、それでも思ったよりは人がいた。もっとガラガラだと思っていた。

順路は2階から。展示は第1章が光線画、第2章が風刺画・戦争画、第3章が肉筆画・スケッチという構成で、うち第1章の版画は橋、街、夜、水、空、名所、火事、動植物、風俗というテーマに分類されていた。
また、予想外だったのだが、会期中に展示替えがあるという(このため出品リストはA3紙両面2枚の大作だった)。げげ、あと何回か来ないといけないのか? 公式サイトにもそんな記載はないので面喰らったが、注意深くリストを見ると、別の所蔵先の同じ作品に替えるパターンが多かったので(版画だから同じ作品があちこちにあるわけだ)、相当なマニアでもない限りは再訪しなくて済みそうで、ちょっとほっとした。

海運橋(第一銀行雪中)
No.4。第一銀行のモダンな建物。明治東京の新名所というが、それにしてもごてごてとした建物だ。
東京新大橋雨中図
No.5。チラシや図録の表紙にあしらわれている作品。川面のゆらゆらの表現がよい。「東京」は「とうけい」と読ませるようで、枠に書いてある英語のキャプションも「TO-KEI」となっていた。
駿河町雪
No.32。広重の名所江戸百景で有名な三井越後屋と、洋風建築の三井組為替バンクが同じ画面に並ぶ。この対比がいい。雪の積もる屋根には輪郭が描かれていないので、なんか不思議な感じ。これは1879(明治12)年頃の作だが、その3年前の作である海運橋(No.4)の第一銀行は輪郭がある。
川崎月海
No.53。帆船が大砲を撃っている図、なのだろうか。西洋版画にありがちな題材だし、画面の中には日本的なものはない。何の説明もないと洋版画に思えてしまうが、火花の表現がなんとなく浮世絵的。
大川岸一之橋遠景
No.57。2人の車夫が人力車を曳き、俥には女のシルエット。バックには満月が照っている。情緒的だ。
本町通夜雪
No.60。夜、雪の中を走る馬車。ガス燈のような、光の周辺だけ雪が表現されているのがリアル。NHK日曜美術館では、この作品で多色摺りを解説していた。
新橋ステンション
No.70。この展覧会で一番気にいった。新橋駅の夜の情景。人々が傘をさしていたり、提灯の灯りが地面に反射する様子から、雨が降っているのだと一目で分かる。こないだ見たホイッスラーのノクターンシリーズみたいな印象。
明治十四年一月廿六日出火 浜町より写両国大火
No.106,107。実際の火事を描いた画家は珍しいとか。火の粉が飛び散っているのがなかなかリアル。この火事をスケッチしている最中に自分の家も焼けてしまったんだとか。
明治十四年二月十一日夜大火 久松町ニ而見る出火
No.109。自宅が全焼してしまった1/26のわずか2週間後、2/11の火事も取材に出掛ける清親。懲りない人だ。
明治十四年一月十六日出火 両国焼跡
No.112。焼けぼっくいが印象的な作品。まだ煙が立ちこめているようだ。徘徊する人々のシルエットを見て、『裸足のゲン』を思いだしてしまった。そういえば、この作品の日付は16日になってるけど、上述のNo.106と107は26日になってる。
浅草寺雪中
No.147。これまた雪の屋根に輪郭線がない。構図が明治時代の写真に類似するというが、広重『江戸名所 浅草金龍寺境内の図』を見ても、まんま同じ。
薩た之富士
No.156。水彩画のような写生的な1枚。宝永山まできっちり描いてある。
武蔵百景之内 江戸ばしより日本橋の景
No.161。これに限らず、このシリーズは近景のどアップを大胆に配置する構図で、もろ広重。「百景」といいつつ全部で34枚しかなく、不評のためシリーズ中止になったという話。文明開化の時代には古くさいと見られたのではないかという考察があった。
日本名勝図絵
No.175~。「最後の浮世絵師の最後の揃いもの」というと感慨深いが、やはり明治初期の光線画の方がいいと思った。
相合傘と雷神
No.243。相合傘のカップルを雲の上の雷神が眺めている肉筆画。版画の作品とは雰囲気ががらりと変わって、軽妙洒脱。雷神の顔がだらしなくて、なんだか微笑ましい。
左甚五郎図
No.248。甚五郎が仁王を彫ってたら生命が宿ってしまい、眠りから目覚めた仁王が大欠伸をして甚五郎がびっくりして見上げるという肉筆画。仁王の躍動感と、甚五郎のイナバウアーがいきいきとしていてイイ。
織豊徳三公之図
No.260。「織田が搗き、羽柴がこねし天下餅・・・」という有名な狂歌の魚バージョン。信長が釣って、秀吉が焼いて、家康が笑いながら食っている。この狂歌を魚で表現する例は他にないとか。

2周して1時間半くらいかかった。光線画では静かな画、肉筆は洒落た画といった感じで、いろいろな面も見られてなかなか面白かった。動物画はあまり感心しなかった。風刺画は世相が分からず、なんだかピンと来なかった。
第1章の版画を見ていて、明治の文明開化の雰囲気というか、古いものと新しいものが混在している東京の雰囲気に、ノスタルジーのようなものを感じた。新しいものとして、洋風建築やガス燈がよく描かれているが、ほかに意外なものに電柱があった。今なら多分、電柱や電線が入らないような構図にするんだろうが、清親の画では誇らしげに登場している。

絵ハガキを買おうか図録を買おうかさんざん迷ったが、図録を選択した。これなら見られなかった作品も楽しめるし。
それにしても、美術館の開館30周年記念が小林清親展とは、シブすぎる。今後も、国立や企業系の美術館ではやらないような、シブくてグッとくる企画を期待している次第であります。
練馬区立美術館
(練馬区立美術館・2015年4月5日観覧)

特別展 東日本大震災復興祈念「みちのくの観音さま - 人に寄り添うみほとけ -」2015-03-09 23:52

秋田県大仙市にある水神社の線刻千手観音等鏡像は県内唯一の国宝で、年に1度だけ、8月17日の祭礼の日に公開される。そのレアな国宝が、宮城県多賀城市にある東北歴史博物館の展覧会に出品されるという。これは大チャンス。

ただ、展覧会だけだと時間を持て余してしまうだろう。どっか他にいいとこないかな、と別冊太陽「みちのくの仏像」を眺めると、同じ宮城県の角田市にある高蔵寺阿弥陀堂(重文)が目についた。なになに、東北三大阿弥陀堂とされ、東北地方に3つだけ残る平安時代の建物のひとつとな(他は中尊寺金色堂と白水阿弥陀堂でいずれも国宝)。堂内の阿弥陀像(重文)もなかなか良さそげ。よし、行ってみよう。

高蔵寺の内部拝観は事前予約が必要とのことなので、前日に電話して10時にお願いした。博物館はそのあとのんびり行くことにした。折角だから1泊して他も見ようと思ったが、翌日が雨でしかも寒いという予報だったので、結局日帰りすることにした。


早朝の新幹線に乗り、白石蔵王で下車、タクシーで高蔵寺に向かうが、9時半に着いてしまった。駅から20分弱で3,000円でおつりがきた。それにしても、いくらなんでも早過ぎる。寺の境内は自由なので、阿弥陀堂を外から眺めたり、すぐ近くに移築保存されている旧佐藤家住宅(重文)を見学したりして時間を潰した。

阿弥陀堂は方三間の簡素な建物で、かやの林に囲まれていた。榧の木と言えば一木造の仏像に多く用いられるが、日本固有の木で、屋久島から東北南部にかけて分布しており、つまりこの付近は北限にあたるという。榧の実を好むヤマガラやシジュウカラなどの小鳥たちが忙しく飛び交っていた。
高蔵寺阿弥陀堂

10時ちょっと前になって寺務所に声をかけ、いよいよ阿弥陀堂の拝観。中に入ると、堂内は真っ暗だった。前面の両脇扉を開放すると、薄く自然光が入った。徐々に目が慣れてくると、思いのほか大きな仏像が、光背が天井に付かんばかりの大きさで鎮座ましましていることが分かった。感嘆して、思わず声をあげてしまった。
住職氏は我々を仏前に招き入れると、並んで共に合掌・一礼したあとは、縁側に出てしまった。おかげでじっくり鑑賞できた。
阿弥陀如来は、いかにも平安仏な大らかな仏像だった。丈六というのがまたイイ。正面より斜めの方が顔立ちがいいが、右前と左前でも少し違った印象だ。
10分ほどしげしげと眺めてから、住職に礼を言い、寺を後にした。すっかり体が冷え切ってしまった。

タクシーで東北本線の大河原駅に出て、電車を仙台で乗り継いで、国府多賀城駅で降りた。目の前に東北歴史博物館があった。
ちょうど昼になったので、博物館1階のレストラン「グリーンゲイブル」で昼食をとった。どういうわけか、店内のオーディオがマニアックだった。腹を満たしたあとで、展覧会場に入った。
東北歴史博物館
入るとすぐに、半円形に並んだ立像群が我々を出迎えてくれた。しかもケースに入っていない。正直なところ、国宝の鏡像以外は全く興味がなかったのだが、これはなかなか面白そうだと直感した。

十一面観音菩薩立像(石巻市 長谷寺)
No.25。入ってすぐ左にのっぺりとした、顔がつるっつるの像があった。薄っぺらい体形が独特の像。
観音菩薩立像(陸前高田市 観音寺)
No.16。17年に一度しか開帳しないという秘仏で、寺外での公開も史上初なんだとか。像の脇に、寺で厨子に収まっている写真が展示してあったが、これは別冊太陽「みちのくの仏像」掲載のものと同じ写真か。その写真では剣と珠を持っているが、観音らしく見せるためなのか、この展示では素手だった。
それにしても、この腕のアンバランスの面白さ。二の腕よりも手首の方が太いくらいで、ダウンのジャンパーとか着るとこういう風になるよなあ、とか思ったりした。
十一面観音菩薩立像(大船渡市 長谷寺)
No.19。よしもと新喜劇の烏川耕一に似ていて笑った。くちびるが、ピューなのだ。相棒はオードリー春日と言っていた。
十一面観音菩薩立像(大船渡市 長谷寺)
No.18。これまた別冊太陽に載っている像で、通称猪川観音というそうな。実物は本の写真よりももっと顔が大きく黒く見えた。そのアンバランスな加減が絶妙にイイ感じ。
十一面観音菩薩立像(大仙市 小沼神社)
No.14。東博の「みちのくの仏像」展に雪ん子化仏の十一面観音が出展されていたが、それと同じ小沼神社の像。雪ん子っぽい化仏もちゃあんと載っていた。
十一面観音菩薩坐像御正躰(天童市 昌林寺・重文)
No.40。よくできた御正躰。というのも、これは木造なのだ。確かに、欠けたところなんかをよくよく見ると木だと分かるが、全体の雰囲気は鋳造されたものに見えてしかたない。
線刻千手観音等鏡像(大仙市 水神社・国宝)
No.28。仏像がずらりと並んだ部屋の隅の壁が切ってあり、薄暗い中に小さく「順路→」という札があった。考えなしにそこに入ったら、順路の途中ではなく行き止まりで、まったくの隠し部屋の様相だった。そして、そこにお目当ての鏡像があった。
これは実に素晴しい。14cmというから男性の掌よりちょっと大きいくらいの鏡だ。その鏡面に、細かい線で観音像などが彫られている。線刻像では最高レベルの出来という。単眼鏡を持ってこなかったことを後悔。江戸時代の新田造営の際に発見したというが、よくぞ見逃さずに拾いあげてくれた。
それにしても、この隠し部屋の入口が分かりにくくて、見逃した人が結構多いんじゃないかと推察した。

明治・大正の絵馬とかのコーナーもあったが、そちらにはまったく興味がわかなかったので、完全にスルーした。
東北の仏像の魅力は、言い方は悪いが、ヘタウマなのだと思う。技術的な点数は決して高いとは言えないし、洗練されているわけでもないし、でもそんな中に不思議な魅力があるし、だからと言って全てが下手くそだと油断していると、正しく「鄙にも稀な」素晴しいものがあったりと(高蔵寺の阿弥陀如来は正にそうだ)、とにかく予想外で面白いのだ。

博物館を出たのは14時過ぎ。帰るにはまだ早い。
そこで、近くにある国宝ということで、ン十年ぶりに瑞巌寺に行ってみた。するとなんと平成の大修理とかで、肝心の国宝本堂が見られなかった。宝物館の展示も本堂の扉以外はなんだかぱっとしない。通常非公開の庫裡(国宝)の内部が公開されていたのが唯一の収穫と言えるか。700円の高額拝観料は、修理代を寄進したと考えるべきだろう。
瑞巌寺庫裡
松島海岸から仙石線で仙台に戻り、駅3階の牛タン通りで食事をしてから20時半の新幹線で帰った。家に着いたのは23時を過ぎていた。
(東北歴史博物館・2015年3月6日観覧)

みちのくの仏像2015-03-01 20:43

昨年春に会津を旅行した際、勝常寺の住職が、「今度の冬に上野の博物館に薬師像を貸し出す」と言うのを聞いて以来、ずーーーっと楽しみにしてきた展覧会。しかも相棒がチケットをタダでゲットしてきて、もうテンション上がりまくりの日々であった。
気になるのは、会場が本館特別5室ということで、かなり狭いということだ。それはつまり展示数が少ないと言うことでもある。リストを見るとたったの19点。BS日テレ『ぶら美』で「仏像スペシャル」と銘打って法隆寺館とか東洋館に行っていたのは、1時間の放送枠を満足できなかったらに違いない。
みちのくの仏像展


どうせ人気なくて空いてるだろうと思ったが、念のため開館一番に行くことにした。9時半に着くと、案の定、人はさほど多くはなかった。ま、こんなもんだろうと思ったところ、特別5室の入り口はかなりの混雑。そう、人は少なくても、それ以上に、会場が狭いのだ。アブネー、早めに来てよかった。

聖観音菩薩立像(岩手 天台寺・重文)
No.1。美しい鉈彫りの仏が入り口で出迎えてくれた。正面から見るとスマートに見えるが、少し角度を変えると、意外なほどに腹部がぽってりしている。それもまた美しい。土偶もそうだが、東北って、独特の美意識というか文化が面白い。
薬師如来坐像(宮城 双林寺・重文)
No.6。優しい顔立ちの薬師像。一木なのにほとんどひび割れがないという稀有の仏像だ。
薬師如来坐像および両脇侍立像(福島 勝常寺・国宝)
No.8。博物館の照明のもとでじっくり鑑賞できた。防火と文化財保護の点から寺では宝物館に安置され本尊と離ればなれになっている脇侍がちゃんと脇に揃い、本来の三尊で拝めるのがいいところ。
薬師如来坐像(岩手 黒石寺・重文)
No.9。対面の双林寺の薬師と違って、目が吊り上がって一見怒っているように見える仏像。下から見上げると優しくなるに違いないと予想して屈んでいろんな角度で見てみたけど、そのままだった。
十二神将立像(丑神・寅神・卯神・酉神)(山形 本山慈恩寺・重文)
No.15。鎌倉期のリアル系仏像。卯神の頭のウサギがあまりにも可愛すぎて、怒れる神の形相とのギャップがおもしろい。
十一面観音菩薩立像(宮城 給分浜観音堂・重文)
No.16。頭に塔がにょきっと生えてるという、いっぷう変わった仏像。背の高さでは会場イチの巨像だ。ぱっと見で違和感を覚えるのは、体のバランスがひどいからだろう。しかしよくよく考えてみれば、法隆寺館に沢山おわします飛鳥時代の金銅仏なんかはみんなこんなバランスのような。岬の高台に安置されているということだが、これこそ、海から見上げるとちょうどよい姿になるのかも知れない。

あっという間に見終わった。人の動線がぐちゃぐちゃなうえに、みんな仏像を見上げながら移動するから、あちこちで人とぶつかりそうになった。再入場可能というので一度外に出て、本館を見学した。特集展示の水滴が面白かった。江戸時代の工芸はホントに奥が深い。
水滴
そのあとは法隆寺館に行き、1階のオークラでコエドビールを呑みながらまったりと昼食をとった。庭では冬鳥のシロハラも食餌をしていた。
食後に法隆寺館と東洋館を見学し、最後にまたみちのくの会場をぐるりと周り、絵ハガキを数枚と別冊太陽の東北仏像特集を買って帰った。
(東京国立博物館・2015年2月7日観覧)

特別展 動物礼讃 大英博物館から双羊尊がやってきた!2015-02-26 23:35

青銅器好きの自分がこの展示に魅かれたのは、なんといっても大英博物館の双羊尊だ。この特異な形の青銅器は世界にたった2つしか伝わっていない。その一方がロンドンからやってきて、もう一方の根津美術館のシンボルとも言える双羊尊と対面するというのだ。もしかすると、この2つが並ぶなんて歴史上初の大事件かも知れない。ああもう、居ても立ってもいられない。


催しじたいは、未年だからとイギリスの羊を呼んで、さらに展覧会としてテーマを打ち出すために「動物」関連の作品を集めたと推測。
まあ、こんなマニアックな展覧会は人も少ないに違いないと、テキトーな時間に家を出たら青山に着いたのは昼過ぎ。とりあえず美術館に入り、庭にあるネズカフェでミートパイを食べて腹を落ち着かせてからの鑑賞となった。

会場に入ると、あまりの驚きに思わず声をあげてしまった。京都の泉屋博古館の世界的名品、虎卣こゆうが目に飛びこんできたのだ!!!!!!!
なにしろ双羊尊にしか興味がなく、展示リストをロクに見ていなかったので、まったく知らなかったのだ(実は、よくよく見たら、事前に入手していたチラシの左上にちゃんと虎卣が載っているのだが)。この虎卣も泉屋以外にはフランスにしかないという珍品である。ぱっと見、人が食べられているように思えるが、人を守っているのだという解釈する人もいる。
そして部屋をくるっと見てみると、極上の青銅器がわんさかと、あるわあるわ。泉屋が冬季閉館中とはいえ、よくもこれだけ出してくれたものだと狂喜乱舞である。

そして双羊尊である。2つが隣りあって並んでいる姿を勝手に想像していたのだが、それぞれ別のケースで斜交いに置かれていた。みんな行き来して見比べていた。
双方は似ているようでいて、口やら髭やら腹やら体の模様やら、意外なほど違いが多く、よくよく考えてみると似ているのは大きさと雰囲気だけ、と言った感じ。ロンドンの方が緑青が多いように見え、そのぶん根津よりも古ぼけているように感じられた。近年では、2つは制作年代が違うのではないかという研究もあるらしい。

ミミズクを象った泉屋の戈卣かゆうと、つまみのへんてこな猿が愉快な根津の黄瀬戸獅子香炉の絵ハガキを買った。大英博物館の双羊尊はクリアファイルはあったが絵ハガキがなかったのが残念。
(根津美術館・2015年1月31日観覧)

ホイッスラー展2015-02-18 19:40

ホイッスラー展

この展覧会の開催は知ってはいたけれど、特に観に行く気はなかった。しかし相棒が同僚に聞いたところでは、なかなかよいという話。しかも「これ、やらかしちゃったんじゃね?」と心配になるくらい空いているという。
じゃあ行ってみてもいいかな、と興味を持ったところで『ぶらぶら美術・博物館』で取り上げられた。たしかに、なかなか面白そうだ。


相棒と昼に横浜で落ち合って昼食にピザを食べ、のんびりと美術館へ向かった。着いた時は15時になんなんとしていた。
横浜美術館
美術館前はなんだか人混みが凄かったが、これはどうやら目の前の広場で開催中の車の展示イベントのせいらしい。美術館のエントランスはやはり空いていた。しかし会場に入ると、なかなかの混み具合。少なくとも「やらかしちゃった」というほどは空いていなかった。会期が進んで巻き返したのか、それとも『ぶら美』放送の効果か。

展示は大きく人物画・風景画・ジャポニスムに分かれていた。ぶら美ではホイッスラーの生涯を年代順に追う構成だったから、そのつもりでいるとちょっと違和感を覚えるかもしれない。また、ぶら美でまったく触れられなかった「ピーコック・ルーム」なる部屋があった。かなり大きなコーナーなのに、ぶら美が完全スルーだったのが不思議なくらいだ。自分はあんまし興味が湧かなかったのですっ飛ばしたけど。
人物画はピンと来なかったが、風景画には良いものが多かった。気に入ったのは、月並かもしれないが、ノクターンシリーズだ。ノクターンシリーズはジャポニスムコーナーに配されていた。水墨画の影響がどうとか言う説もあるようだが、そんな能書きは要らないと思う。ていうか、こんな真っ黒な水墨画ねえだろ、と思う。

常設展は、シュルレアリスムの部屋はいつもどおりだったが、前衛美術が良かった。
常設展 ホイッスラー展看板
絵ハガキを買って美術館を出た。すぐ近くのウミリアというイタリアンで夕食を楽しんでから帰った。
(横浜美術館・2015年1月24日観覧)

高野山の名宝2014-12-18 23:55

高野山の八大童子が10年ぶりに8人揃って出開帳というので、早割ペア券を買って待ち構えていた。実は、我々はその10年前の展覧会(「空海と高野山」東京国立博物館)も見に行っていて、ちゃんと図録も買ってある。チケット購入後に発表された出品リストを見てみると、その展覧会とかなりダブっていて笑えた。でも8人揃って拝める機会はそれ以来というのだから、べつに構わない。
看板


のんびりめに家を出て、クリスマス飾りのミッドタウンに着いたのは11時過ぎ。前の週に見に行った職場の同僚によると「そんなに混んでない、作品数が少ないからすぐ見終わる」という話。しかし3階の会場入り口に到達すると、ロッカーに人だかりが。しまった、こりゃあ出遅れたか。
と、焦ったが、仏像などの大きなものがメインなので、作品前に大行列、というようなことはなかった。

記憶とは適当なもので、10年前に全員にお目にかかっているはずだが、チラシになったりするアイドル的な矜羯羅(こんがら)童子と制多伽(せいたか)童子以外は覚えがない。というわけで新鮮な気持ちでの対面だった。
やはり矜羯羅、制多伽は素晴らしい。あと、恵光(えこう)もなかなかよい姿。鎌倉仏ならではの描写に惚れ惚れしてしまう。よく見ると、みんなアンクレットなんか着けてたりして可愛らしかったりもする。

ところでこの展覧会のチラシには『運慶作の国宝、八大童子勢ぞろい』とある。まるで8体とも運慶作のような表現だが、指徳(しとく)童子と阿耨達(あのくた)童子は室町期の後補である。指徳童子なんか姿がまんま四天王だし、阿耨達童子はヘンテコな竜みたいなのに乗っちゃってるところからして明らかに他の皆さんと違う。2人ともどう見たって「童子」に見えない。それになんてったって、出来が悪い。これで国宝はありえないでしょ、とか話していたら、案の定、(つけたり)だった。そりゃそうだ、鎌倉時代より後の国宝仏なんて聞いたことないもの。まあ附も国宝には違いないんだろうけど、言うなれば「おまけ」なのだから、さも国宝本体のように堂々と名乗るのはどうかなあと思う。いや、それ以前に、運慶作を標榜しているのが気にいらないのだけど。で、新薬師寺の十二神将の宮毘羅大将が1人だけ国宝指定されていないことを大っぴらにしているのを思い出して調べてみたら、附どころか、そもそも文化財指定されていないのだった。
しかし一番驚いたのは、帰宅後に高野山公式サイトを見て知ったのだけれど、あの指徳童子と阿耨達童子のお姿は、「秘要法品」なる書物にそのまんま同じ見本が載っている、ということなのだった。

同僚の証言どおり、確かにすぐに見終わってしまった。もう一周してから会場を出た。図録は10年前のものがあるので買わなかった。8人勢揃いしている絵ハガキを買って、帰った。
(サントリー美術館・2014年11月30日観覧)

再び東山御物の美2014-11-28 23:24

後期の見所は、なんといっても徽宗皇帝筆の桃鳩図。公開が10年ぶりくらいというレアアイテムだ。で、さらに、公開期間がほんの1週間程度とさらにプレミア感に拍車がかかる。このお宝を拝むには、休日と合わせるとなると勤労感謝の3連休しかチャンスがない。
まあでも、前期に行った感じからするとどうせ空いているだろうと、土曜の午後に悠々と出かけることにした。


相棒と待ち合わせて昼食をとったあと、東京の三井本館に着いたのはもう3時近かった。
7階の美術館に直結するエレベータを降りると、1か月前と変わらない雰囲気。前回の半券を提示してリピーター割引でチケットを購入し、中に入ると、意外にも展示ケースに人が群がる状態で、明らかに前期よりも混んでいた。

徽宗筆 桃鳩図(個人蔵・国宝)
No.1。ケースの前が人だかりになっていた。とは言っても10人ほどが群がる程度で、どこぞの金印みたいな行列を作るとかそういうことではない。その10人とて波があり、うまく乗れれば間近でバッチリ見られるのだ。
かつて、同じ徽宗筆「五色鸚鵡図」を名古屋ボストン美術館で見たことがあるが、まあ暗いし薄いしで見難いことこのうえなかった。その先入観があったのだが、それを完全に吹き飛ばすくっきり度でびっくり。ハトの眼の周りの襞もよく見えた。この気品はどうだろう。前の日に見た東博の国宝展にも宋画のよいものがあったが、これも負けず劣らず素晴らしい。凄くよいものを見た気がしたのだった。
世界史の教科書に登場する徽宗は文人皇帝でどうのこうのと書かれるが、そう言うと下手の横好きみたいに思ってしまうが、実はプロ級の腕前なのだ。
伝徽宗筆 秋景山水・冬景山水図(金地院・国宝)
No.3。小さな猿と小さな鶴をみんな探していた。樹上の猿はすぐわかったが、鶴は難問だった。
牧谿筆 漁村夕照図(根津美術館・国宝)
No.41。漁村夕照図は過去にも見ているが、やはり墨の濃淡でもやっとした景色を表現するのが絶妙で、やっぱり感心。
伝牧谿筆 翡翠・鶺鴒図(MOA美術館)
No.44。そもそも実物が白黒のセキレイはともかく、あのカラフルなカワセミを墨の濃淡だけで表現しちゃっているのが凄い。枝に止まってる脚とか短い尻尾とか、実によく観察していると感心。

馬蝗絆や飛青磁花生や油滴天目は前回同様(当たり前か)、美しかった。
最後にもう1周してから会場を出た。客の単眼鏡使用率が異様に高かった。どこぞの国宝展とは大違いで、それだけマニアが集まったということが言えるだろう。もちろん団体客なんかいる訳がない。美術が本当に好きな人しか来ないのだ。

会場を出るとすでに17時になんなんとしていた。近くのフランス料理店に電話してみると席が空いているというので、三越で時間をつぶしてから行った。思ったより高かったが、思ったよりはるかに良い店だった。いろいろと満足できた一日だった。
(三井記念美術館・2014年11月22日観覧)

再び日本国宝展2014-11-24 21:50

前期は10月19日に行っており、後期はいつにしようかというのが思案のしどころだった。いよいよ金印がやってくるので混雑は必至だ。
加えてテレビ番組の宣伝攻勢も強まってきており、すでに放送ずみの『日曜美術館』『ぶらぶら美術・博物館』(←見逃した!!)に続き、『美の巨人たち』でも善財童子がとりあげられる。一風かわったところでは、なんと『もしもツアーズ』でも放送とのこと。
そこまで一般人の間でも知られてしまっては、もう土日なんかに入ったら大変なことになるに相違ない。ということで、仕事のやりくりをつけて、金曜午後に突入することにしたのだった。


相棒と上野駅でおちあい、エキナカで軽く昼食をとった。この間、公式サイトの混雑状況を確認すると、12時過ぎに入場規制が始まって、入場待ち時間が40分とのこと。陽気もいいし、それくらいなら待ってもいいだろうと予定どおり突入することにした。
正門付近は閑散としていて「ホントに混んでんのかな」とも思ったが、平成館まで行くと確かに行列が出来ていた。入口から噴水を半周したあたりが最後尾。これで40分か、ふむふむ。
我々が並びはじめたのが13:55で、入場は14:20過ぎ。実際に待ったのは、だいたい30分くらいだった。後期になって展示されたものを中心に見てまわった。

普賢延命菩薩像(持光寺)
No.40。これまで仏画はスルーしがちだったが、これは目にとまった。4頭の象に乗る菩薩の絵。平安仏画なんだろうけど、インド感満載だ。あとで調べたら、通常非公開で滅多に展示されない超レア物なのであった。
土偶 中空土偶(函館市・縄文文化交流センター)
No.48。北海道唯一の国宝。頭と脇から、中が空洞なのが分かる。どうやって作ったんだろうとか、どうしてわざわざ中空にしたんだろうとか、古代の蝦夷の知恵に感心。
山越阿弥陀図(禅林寺)
No.82。有名な山越阿弥陀。過去に、ここ東博の国宝室で見たことがある。今回見て、ずいぶん綺麗だなと思った。臨終に際して阿弥陀の指と死者の指を糸で結んでおくとかいう話を聞いたことがあるが、糸を通した穴はよく分からなかった。
孔雀明王図(仁和寺)
No.85。これまで仏画はスルーしがちだったが、これまた目にとまった。正面を向いた孔雀の首のうねり具合がなんとも言えず、「降りたった瞬間の動きを表している」と言われると、そんな気になる。「世界一の北宋画」「最高峰」「傑作中の傑作」など、説明板でも大絶賛の一品。仁和寺公式サイトの画像を速攻で保存した。
紅白芙蓉図(東京国立博物館)
No.101。東博が自前の作品で数稼ぎしたな、と思わず邪推したが、これがなかなかイイ。右の白芙蓉から左の紅芙蓉に向かって徐々に紅くなるさまが美しかった。これまた「南宋画の最高峰」と絶賛の説明板なのだった。

入場規制がされていることもあって、場内は混んではいるけどまあ想定の範囲内というところか。金印は過去にじっくり見たので今回は華麗にスルー。だって、間近で見たい人の行列が、もんのすごいことになっているんだもの。

2周してから土偶ガチャガチャをやったら、中空土偶が出てきた。前回、合掌土偶と縄文の女神が出ているから、これで3つになった。縄文のビーナスが出るまでやろうかと思ったが踏みとどまった。国宝店は凄い盛況ぶりだった。
ガチャガチャの土偶
(東京国立博物館・2014年11月21日観覧)

御法に守られし 醍醐寺2014-11-07 23:38

醍醐寺展看板
東急東横店でイタリアフェアが開かれるということで、ワインなど食材の買い出しに出掛けることにした。折角渋谷まで行くのに買物だけではもったいないので、何か展覧会と組み合わせようということになり、調べてみると松濤美術館で醍醐寺の絵因果経が全場面展示中というので、ついでに行ってみることにした。
ついでのつもりだったのだけど、(そのせいもあってか)予想外に満足の展覧会だった。


どうせ空いているだろうと遅めに家を出た。井の頭線を神泉駅で降りて徒歩数分の松濤美術館に着いたときはすでに午後になっていた。
果たして、予想どおり、美術館は入口からしてひっそりとしていた。購入したチケットの番号は1295と1296だった。地下の第一会場に入ると、いかにも絵巻らしい横長なケースに人々が一列に並んでいるのが見えた。

閻魔天像(国宝)
No.8。一目見たとき、すぐに「さてはキャプション間違えたな」と思った。いや、だって、これ、どう見ても閻魔じゃなくて、観音像に見えるんだもの。この人が嘘つきの舌を引っこ抜くあのおっかない大王とは思えない。
と、思いつつその解説をよくよく読むと、どうやら現在我々がイメージする怖い閻魔が確立する前の、たいそう古い、空海が請来した曼荼羅の絵像に通じるものとのこと。へえええ、これはちょっとびっくりした。単独像として「最古かつ最良の優品」だそうな。
いやいやこれは、非常に純粋に、大層驚いた。少なくとも図鑑で見て知っているはずなんだけど、やっぱりそういう本の解説なんかと違って、実際に見るとインパクトがでかい。この体験だけで、来た甲斐があったと思った。
過去現在絵因果経(国宝)
No.1。奈良時代のもので、日本最古の絵巻ともいう。既視感があるのは、割と最近、芸大所蔵のもの(国宝)を見たばかりだからだろう。あと、奈良国立博物館の入場半券がコレなのが印象深い。解説を読むと、絵因果経じたいは8巻仕立てなのだそう。
しかしなにより、全場面展示がよかった。通常このテの絵巻は長い巻物の一部分の展示となるのだが、この日は全場面を見ることができたのだ。やはりストーリーがよく分かる。
「骨と皮になった悉達太子を見て元家来が悶絶」「菩薩になった太子が歩くと500羽の青雀が太子の周りを飛びまわる」「魔王が太子を矢で射ようとするも、矢は空中で蓮華に変わってしまう」などの迷シーン、もとい、名シーンが続き、クライマックスは魔王の軍勢が太子の瞑想を妨害する場面だ(チケットやチラシにもあしらわれている)。この化け物の軍勢の素朴な描写が現代の我々にはユーモラス。この絵巻は奈良時代の作だが、同じ頃の仏像が「大らか」と評されるのと同じような、生き生きとした雰囲気が感じられた。なにしろもう、オモロすぎる。
最初はこんなに拙かった絵巻が、300年後に源氏物語絵巻や紫式部日記絵巻のように昇華していくことを思うと、文化の変遷とは非常に面白いものだと改めて思ったのだった。
信長、秀吉、家康の書状(国宝)
No.42〜44。2013年に新たに国宝に指定された『醍醐寺文書聖教』の一部。天下人3人の自筆文書が並んでいるさまは、歴史ファンは萌えるかもしれない。以前京都の豊国神社で見た秀吉の書状はえらく字がヘタクソだった印象だったが、この文書はサマになっていた。

2周した。冷静に展示数から考えれば、入場料1,000円は高いと思う。しかし、絵因果経が見られるんだ、くらいの軽いノリで行ったところにあの閻魔天像が見られて、しかも静かな環境で、すっかりトクした気分になったのだった。
区立美術館の企画だからか、展覧会オリジナルのグッズは図録のみと寂しかった。いや、というより、図録を作るほど気合が入っているという見方の方が正しいだろう。値段も1,200円と安いから買っちゃおうかな、とも思ったが、結局やめた。今はやや後悔している。

ワイン
美術館を出てからは予定どおりに東急東横店に行った。会場の半分は立ち飲みバルになっていて、ワインを飲んだり、ラザニアを食べたりしてから帰った。東横店ではイタリア展は初開催らしいが、見かけたことのないワインもたくさんあって、これまた予想以上に楽しかった。
(渋谷区立松濤美術館・2014年11月2日観覧)

特別展 東山御物の美 --足利将軍家の至宝--2014-10-19 23:12

この秋は国宝の展覧会があちこちで開かれている。もちろん、日本国宝展が最大のものなのだろうが、実は三井のこの展覧会も見逃せない。全部で12もの国宝が見られるのだ(もっとも、展示替えがあるから、全部見るには3回行かないといけないのだけど)。


昼過ぎまで東博で日本国宝展を見たあと、上野から山手線に乗り神田で降りて、三井本館に着いたのは14時半くらい。
混雑具合は、というと、ほどほどだった。テーマもそうだけど、出品作品がシブすぎる。

青磁輪花茶碗 銘馬蝗絆(東京国立博物館・重文)
No.59。青磁の美しさに足が止まった。輪花ということで、縁に小さく6つ切れ目が入り、上から見ると6片の花弁のような意匠になっている。
解説を見ると、義政所有の頃、割れてしまったので替わりを求めたところ、これほどの物はもう作れないということで鎹を打ってそのまま返ってきたという逸話が。また、青磁茶碗でもっとも美しいとあった。実に素晴らしい。
油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館・国宝)
No.55。5つの国宝天目のひとつ。天目茶碗では曜変が最上とされるようだが、この油滴も素晴らしい。静嘉堂の重文の油滴よりも模様が細やか。縁の金が燦びやかなのが印象的だった。
李迪筆 雪中帰牧図(大和文華館・国宝)
No.10。相当前に、奈良の大和文華館で見た記憶があるが、そのときから結構好きな絵。久々の対面なのだが、こんなに暗かったっけ、という印象。ただしそのせいか、木に雪が積もっている様が強調されているような。
伝馬麟筆 梅花小禽図(五島美術館・重文)
No.20。ムムッ。この鳥、コガラだと思っていたら、解説にジョウビタキとある。そう、よくよく見たら、腹のオレンジ色が背景に溶けこんで分かりにくくなっているだけなのだった。いやそれよりも、ジョウビタキはこんな仕草しないだろ、という気がしたのだった。
伝銭選筆 宮女図(個人蔵・国宝)
No.49。公開は5、6年ぶりとかというレア物。唐代には女官の男装が流行ったという話だが、そもそもなんでこの人が女と言えるのかが自分には分からない。このお宝を味わうには、自分はまだまだ研鑽が足りないようだ。
梁楷筆・大川普済賛 布袋図(香雪美術館・重文)
No.24。なんとも愉快な布袋さんの絵。展示室4の一角に梁楷が並んでいて、それがどれも自分のツボにはまった。こういう諧謔趣味な水墨画って、絵心のある坊さんが手なぐさみで徒然に描いたようなイメージを勝手に持っていたが、梁楷は歴とした画家である。
伝梁楷筆 六祖破経図(三井記念美術館)
No.26。六祖(慧能)が経を破って「不立文字」「教化別伝」を説いたというシーン。元々はNo.27の『六祖截竹図』と対なんだとか。筆のかすれ具合とかユーモラスな動きから、鳥獣人物戯画に描かれている、相撲に勝って気を吐いている蛙を連想してしまった。
伝梁楷筆 六祖截竹図(東京国立博物館・重文)
No.27。六祖が竹を切った瞬間に大悟を得たというシーン。この解説を読んで初めて、同室に展示されているNo.23出山釈迦図(国宝・東京国立博物館)が同じ梁楷の絵と気付いた。作風がぜんっぜん違う。それもこの梁楷の懐の深さということのようだ。

2周した。一言で言って、とてもよい展覧会だった。とにかくシブい。これだけの出物があっても東博みたいに混んでないのがまたイイところ。
絵ハガキは、この展覧会のために特別に作られたものではなく、所蔵するあちこちの施設のオリジナルのものを売っているだけなのは残念だったが、それでもジョウビタキと截竹と雪中帰牧図の3枚を買った。

三井を出てからは東京駅の大丸に行き、ちょうど開催されていた「世界の酒とチーズフェスティバル」でワインを楽しんだ。一日中立ちっぱなしで腰が痛くなった。
(三井記念美術館・2014年10月18日観覧)