ずっと欲しかったホームシアターをとうとう買った。いろいろ迷ったが、いきなり本格的に入り込むのではなく、とりあえず5.1chを体感しようということで、ヤマハのTSS-15というセットを選んだ。TSS-10というモデルもあるのだが、AACに対応していないので、この後継機が発売されるのを待っていたのだった。
BSチューナを光、HDD/DVDレコーダを同軸、TV音声をアナログで接続した。光入力がもう1個あまったが、接続する機器がない。ウチのスカパーチューナには光出力がないし、ゲームはやらない。地上波TVはアナログだ。
さて、気になっていた機能がドルビー・プロロジックII。果たしてどんな音が聞こえるのだろうか。まず、TV音声で聴いてみた。・・・まあ、こんなもんかな、という感じ。ドラマやCMの効果音なんかが後方から聞こえてきたりして、サラウンド感もいい。なにより、明らかにTV単体より音がいい。センターSPがあるせいか、声もはっきり聞こえる。しかし低音が激しくブーミー。これは聞くに堪えないので、サブ・ウーファの音量は最低に下げた。
と、いうことは、コンサートのCDなんかを聴いたらさぞいいのではないか、と考えた。CDラックの一番手前にあった渡辺貞夫 "Parker's Mood" をDVDレコーダに入れてプレイボタンを押す。・・・失望。ハイハットが後ろから聞こえてくる。バスドラは前だ。いったいドラムスはどこにいるんだ。まあ無理もない、もともとソースが2chしかないのだ。ここで思いついたのは、さっきの効果音などもそうだが、どうやら周波数の高い音をリアSPに割り振っているのでは、ということだった。だから、会場の拍手なんかは後ろから聞こえてきた。
試しにフロント2chのみで聞いてみたら、ラジカセみたいな情けない音だった。リバーブで誤魔化しているんだなあということがよく分かった。音楽CDには不向きだ。
買ったばかりのヤマハTSS-15でBSデジタルの5.1chを楽しもう・・・と思ったら、5.1ch音声の番組ってこんなに少ないのかよ!! 番組表を見たら、全局合わせても1日あたり2,3しか見当たらない。もちろん、スターチャンネルとデジタルWOWOWは除いて。しょうがないのでその日は寝て、翌日になってTOTOの結成25周年ライブを見た。おお、こりゃあなかなかの臨場感。歓声が四方八方から聞こえてくる。なんか右の方にやたら口笛がでかいヤツがいるなあとかもわかる。
ここで通常の2chステレオと比べてみた。ふーん。例えて言うなら、2chステレオはそこで演奏している感じ、5.1chサラウンドは自分がそこにいる感じ、という違いだろうか。当然だが、音質はステレオの方がはるかに良かった。ステレオの後で5.1chを聴くと、中音域がスッカスカでどうしようもないことがよく分かる。もしかするとサブ・ウーファが中音域を担当しているのかもしれない。でも、この臨場感はイイ。
次にプロロジックIIで聴くと、高音がこもったように聞こえた。それに定位がイマイチだった。当たり前か。
DSPは、音楽モードよりもスポーツモードの方が好みだ。音楽モードだとフロントの比重が大きくなるみたいで、フロントSPの貧弱さが際立ってしまう。映画モードはリバーブかかりすぎで不自然に思う。ん、ということは・・・同時に2chステレオをつけてみると、これがグッド。ブーミーすぎるサブ・ウーファと貧弱すぎるフロントSPの欠点を見事に解消。埋もれていたギターの音も前に出てきた。音楽番組はこれが一番いいみたいだ。
買ってから設定の試行錯誤を繰り返してきたヤマハTSS-15で、いよいよ映画のDVDを見た。音楽番組はイマイチでもここで威力を発揮してくれるだろうか。音が響き渡るシーンのある映画で試そうということで、まず思いついたのが「ベン・ハー」。なぜか馬車競争のシーンを思い浮かべたのだ。しかし、やたらにガラガラとうるさいだけで、なんだかぱっとしない。きっと古い映画だからだろうと思い直し、今度は「チャーリーズ・エンジェルズ」にしてみた。やはり新しい録音の方が良かった。でも、カー・チェイスのシーンにしてみたが、思ったほど効果がないような気がした。
この程度なのかな・・・と思ったが、ふと、この機械はDTSに対応してるんだということを思い出した。手持ちのDVDでDTS音声が入っているのは少なく、4作品だけだった。そのひとつ、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のPart1を見てみた。
かなり音がいい。ドルビーとは段違いに、音がクリア。各スピーカの役割がはっきりしているようだ。柱で鳴るベルの音も右後ろから聞こえ、カメラ位置が切り替わると右前に移った。物語終盤、ヘリコプターが旋回するところでは、ヘリがちゃんと右前から右後ろに行き、頭の後ろを通過して、左後ろに抜けていった。そのあと、画面には映らないデロリアンが、自分のすぐ後ろを走り抜けていった。こりゃあ映画が数倍面白くなる。
ほかのDTSを聴いてみる。幸い音楽ソースがあった。大好きなバンド、レーナード・スキナードのライブ集"Freebird the Movie"だ。
凄い、圧倒的な臨場感だった。久々に聴いたこともあって、感動して体が震えた。これに比べるとBSデジタル放送なんかメじゃない。会場にいて、そのへんで一人一人が拍手したり、歓声をあげているようだ。Allenのギターが泣いている。BSデジタルのTOTOのライブと違ってギターもガンガン聴こえる(このバンドでギター聴こえなかったら詐欺みたいなものだが)。シンバルなんかが後ろから聞こえるが、このソフトの場合は、「ドラムスが後ろにいるよう」ではなく、「会場の壁に反響して後ろから聞こえる」かのようだ(野外ライブなのに)。フロントとのバランスが良かったのか、それともDTSの威力なのだろうか。
これで2chステレオをつけてフロントを増強すれば・・・と思ったら、DTSだから再生できなかった(泣)。このソフトの音声はDTS5.1chの他はリニアPCMだけなのだった。
このあと、DTSではないが、ザ・バンドの"Last Waltz"を観た。サザン・ロックに酔いしれた夜だった。
この秋、「忠臣蔵」(TV朝日)と「最後の忠臣蔵」(NHK)でふたつの忠臣蔵もののドラマが放送されている。その双方で福本清三が出演していることに気がついた。
福本清三と聞いて、それ誰よ、と思うむきも多いと思う。いわゆる「斬られ役」の役者だ。
ウチは両親が時代劇が好きで、よく付き合いで見ていた。ある時、いつも同じ、眼つきの鋭い浪人があちこちの番組に出演していることに気づいた。「ほら、またあの人が出てるよ!」ということで、我が家ではいつしか『あの人』というコードネームで呼ばれるようになった。そして、ビデオデッキを購入した頃、エンドロールを巻き戻して見たりして、ついに福本清三という名にたどりついたのだった。
『あの人』はその風貌ゆえか浪人の役が多い。下っ端ですぐに斬られてしまうときもあるが、悪代官や山城屋(時には西海屋だったり越後屋だったりするのだが)の雇った用心棒の先生という設定が多かった。
台詞はほとんどなく、どんな声か思い出せない。用心棒であっても、一太刀であっさり斬られてしまうことが多い。地味なのだ。徹底して脇役なのだ。しかし、どういうわけか目に付いてしまう。不思議な存在感。
そんな地味な脇役の彼が、昨年の暮れ頃にちょっと話題になった。映画「ラスト サムライ」に出演し、テレビやら新聞やらにとりあげられたのだ。今回久しぶりに彼を見て、その頃の特集を思い出した。
ひっそり応援していた身として、たいへん嬉しく思った。劇場で映画を観るのは好きではないのだが、この話題につられて行ってみようかなという気にさせられた。トム・クルーズでも渡辺謙でもなく、福本清三を見に。でも結局行かずじまいで、そのまま忘れていたのだった。
さて今回のふたつの忠臣蔵における彼だが、まず、TV朝日の方は赤穂方だった。これからも登場することがあるかも知れないが、果たして47人に入るのだろうか。一方NHKでは吉良方で、第1回放送回ですぐに斬られてしまった。残念。ただ、ひょっとして別のシーンに別の役でちゃっかり登場したりして、と淡く期待している。ストーリーとともに、通行人なども目で追って見なければ。
とか思いつつ、録画しておいた「京都迷宮案内」を観ていたらなんと入院患者役で出演。現代劇は予想外だったのでびっくりした。しかも台詞がたくさんあったので、さらにびっくりした。そう言えばNHKで斬られたときも、台詞つきで大石内蔵助に斬りかかろうとしていた。台詞が多いのは、ハリウッド映画出演が影響しているのだろうか。
というわけで、この1週間で3度もの、台詞つきでの『あの人』の登場であった。だが、見終えた今、やはり声を思い出すことはできない。結局脇役なのだ。今までどおりひっそりと応援しつづけることにしよう。
11月7日の Yahoo News 『五重塔「くねくね」と衝撃吸収…紀伊半島沖地震で実測』によれば、地震の際の五重塔の揺れ方の計測に成功した、ということだ。
五重塔に地震計を設置して揺れを計測する、という記事は同じ Yahoo News で以前に見かけたことがあった(1月8日『<五重塔>地震による倒壊例なし 都立大講師ら理由研究へ』)。今回、これが奏効したということだ。
地震に強いといわれる五重塔の構造を研究している東京都立大と大成建設などのグループが、9月に起きた紀伊半島沖地震の際、塔の揺れ方の実測に成功した。
地震計の計測データから建物全体が「く」の字状にしなって、上層部と下層部が反対方向に揺れながら、全体で衝撃を吸収し合っていたことが、分かった。
都立大の調べでは、日本古来の木造・五重塔は、地震で倒壊した記録がなかった。このため、同グループは、2001年に伝統的技法に基づいて建立された津市の津観音五重塔(木造、高さ約21メートル)の基壇と1、3、4層部分に地震計を設置し、2年前から地震や強風による揺れを測定してきた。
9月5日の紀伊半島沖の地震で、津市では震度4を2度記録。塔の基壇と各層で計測されたデータを解析した。基壇の揺れを「1」としたところ、1層目の揺れの強さは約2倍、3層目は1・5倍、4層目は0・8倍で、下層部が大きく揺れたのに対し、上層部の揺れは小さかった。
これまでのデータでは小さな地震の際には、上層部の方が大きく揺れ、塔は振り子のように動いたが、震度4では逆の結果となった。揺れ方も「く」の字にしなり、各層が互いの揺れを打ち消す方向に動いていたという。
同グループは、「小さな地震と震度4では塔の揺れ方が、まったく異なっていた。今後、この謎などを解明したい」としている。
(読売新聞) - 11月7日9時25分更新
なんとなく、横浜のランドマークタワーを思い出した。以前テレビで見た記憶では、ランドマークの最上階には巨大な振り子があり、それが地震や強風による揺れと逆方向に動くことで建物自体の揺れを低減しているという。そのしくみが五重塔の
震度4以上で揺れ方が変わったというのも興味深い。自分の場合、体験的に、震度3と4とでは恐怖感が一段階違う。地震があっても「また揺れてるな」くらいでほとんど気にならないときは大抵震度3以下で、家にいてビンなどが倒れないか気になるときは震度4ということが多い。記事からは、五重塔の揺れ方の境界が震度4とは明確には読み取れないが、このへんはもっと年月が経ってデータが蓄積されればはっきりしてくるのだろう。
それにしても、いくら伝統的技法によるとはいえ、21世紀に建てられた以上は、設計にもコンピュータが使われているのではないかと思う。とすれば、部材や地形のデータもきっちり記録されており、コンピュータでシミュレートできそうな気もするのだが、そう簡単ではないらしい。
あらためて、古人の知恵・経験の豊かさに畏敬の念を覚えたのだった。
私は大学で中国史を専攻していた。しかも、卒論のテーマは中国青銅器の紋様なので、この展覧会は実は自分の専門分野である。
にもかかわらず、客寄せ展覧会のような気がして、なぜだか見に行く気がしなかった。この週末は丹沢に紅葉でも見に行こうかと思っていたが、天気が芳しくないのでじゃあ仕方ないから東博へ、ということで出かけた。
そんなテキトーな気持ちだったのだが、たいへん充実した見ごたえのある展覧会で、帰宅後は披露困憊でぶったおれて爆睡してしまうほどだった。
展覧会は大きく「考古学の新発見」と「仏教美術」の2テーマに分かれていた。当然、自分の興味の対象は圧倒的に考古学の方だった。しかし考古学は、いくつかの目玉はあるものの、分量ははっきり言ってオマケ程度。これなら仏教美術に展示を絞って「中国仏教美術展」とかにした方が焦点がすっきり定まってよかったのではと思った。
開館10分前に門前に到着すると、ジジババの団体がいて辟易した。学校の社会科見学じゃねーんだから、大勢で押しかけてくんじゃねーよ。中学生だって班行動なのに、いい年こいて50人でひとまとまりですか。大勢じゃないと展覧会にすら行けないのかね? 団体が前に陣取ってると迷惑なんだよな。
しかしこいつらは博物館入場後も、全員点呼の後でないと特別展会場には入れないので、その隙にブチ抜いて会場入り。ちょっとほっとした。が、途中で追いつかれ、「もう観るのたいへんよ、脚が痛くってもう」「はー、どっこいしょ」の声が響き渡る阿鼻叫喚地獄の中での観覧となったが、iPodの活躍によって集中して見学することができた。
というわけで、期待していなかった仏教美術編が思いのほか素晴らしく、会場を2周して大満足だった。平成館の企画展示といえば混雑がつきものだが、第三室・第四室は展示スペースも広々として人がばらけ、さほど気にならなかった。
カタログを買ったが、絵はがきは気に入ったものがなかったので買わなかった。
見学後は、東洋館隣接の精養軒で1日限定10食の「ビーフシチュー親子ココット煮」(牛スネと、リ・ド・ボーなので)を食した。なかなか美味であった。精養軒もハヤシライスばかりではないのだ。
食後は、書画以外はほとんどかわりばえのしない東洋館と、9月に「リニューアル・グランド・オープン」した本館を見学した。本館はリニューアルとはいいつつ、余分な柱と照明を追加したくらいであまり見栄えがしなかった。子ども向け・外国語の解説パンフが増えたのは評価したいが、寄贈者の名前をずらずら並べただけの部屋ができたのが気に入らなかった。神社の石段じゃあるまいし。しかし、こうすることで隠れた名宝の寄贈が増えるのであれば、それは嬉しいことだ。独立行政法人になって、いろいろ変わってきているということなんだろうと思った。
めちゃくちゃ疲れたので、開放されている庭園と、法隆寺館には寄らないで帰った。
(東京国立博物館・2004年11月14日)
かつて、日本女性はパンツを穿かなかった(「ズボン」の意味ではなく、下着のことです)。では、どうして穿くようになったのか。
というとき、いつも引き合いに出されるのは戦前の白木屋デパートの火災である。上の方のフロアにいた人たちは即席のロープを垂らして外壁伝いに脱出しようとした。しかしその際、女性店員たちが着物の裾の乱れを気にするあまりにロープを放してしまい、墜落して死んでしまった者が大勢いた、というものだ。これにより、「パンツを穿けば陰部を見られる心配はない」ということになり、パンツが普及していったということになっている。
ウチの相棒や母もこのことは知っていて、割と有名な話のようだ。しかし、筆者は、死因などを調べ上げ、これは後になって捏造されたものであると結論付ける。その過程はなかなか痛快だし、説得力もある。端的に言って、おもしろい。確かに、生きるか死ぬかの瀬戸際でそんなこと気にするなんてちょっとおかしい。
ただ、パンツを穿くようになったのは、股間を見られてもいいようにするためだという点は筆者も否定はしない。そればかりか、貞操帯としての役割も持っていたという。それがいつの間にか、見られると恥ずかしい、ということになってしまった。それはいつからか、そして、何故か。この本の主題はそこにある。
女が隠すから男は見たがる、男が見たがるから女は隠す。あまり意識していなかったことだが、これはここ50年あまりの風潮なのだ。それ以前は、女は平気でズロースを見せていたし、男もそんな布切れを見ても喜びもしなかった。もっと前は、女はパンツすら穿いていなかったし、道端で平然と小便をすることだってあったのだ。そういう世相が、くどいくらいの引用文献で紹介してある。
そういえば、東海道中膝栗毛にも、隣の嬶が目の前でひょぐりはじめて・・・みたいな台詞があったっけ。20世紀の初めには、そういう江戸時代の慣習がまだ色濃く残っていたということなんだろう。
参考文献が小説や風俗誌だったりするのでキワモノ的な印象を免れ得ないが、風俗史では仕方のないことだと思う。逆に、なかなか日のあたらない、下半身にまつわるエピソードが豊富で楽しいと思う。たとえば、パンツを穿いていないころのデパートの床は陰毛だらけだったとか、昔の公衆トイレでは男性と並んで女性も立小便をしていたとか、しかも小用便器の脇には局部を拭いた紙を捨てられるようにゴミ箱まであったとか(つまり女性が使うことを前提にしている)、などなど・・・
そんな筆者が最近の「見せパン」をどう解釈するかも非常に興味があったが、「古い人間」なので最新の動向はわからないというのが非常に残念。パンツ丸出しで座り込む女子高生を嘆く雑誌記事を紹介している程度にとどまっている。
あと、電車の中で読んでいると、「下着ショー」の写真とか「ズロースの作り方」みたいな挿絵が出てきたりするので、周囲の目がちょっと気になるのが欠点か(笑)。