KATZLIN'S blog

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ダ・ヴィンチ・コード(角川文庫)2006-05-19 00:59

今をときめくベストセラー。気になってはいたものの、ハードカバーでは買う気はなかった。が、文庫になったうえ、ルミ姉が10%オフッフッフと囁いていたので、買ってみた。
ルミネの本屋のレジには長蛇の列。ルミネカード割引の日は、カードで購入すれば書籍も割引になるからで、並んでいる客の中には何冊も本を抱えている人もいた。おめあての「ダ・ヴィンチ・コード」は凄い売行きで、レジに近い一等地の平積みコーナーには中巻と下巻が数冊残るだけで空っぽだった(とりあえず上巻だけ買う、という人もいるのだろう)。平積みがなくなってる状態なんて初めて見たような気がする。慌てて文庫本売り場に行ったら、こちらにはまだ潤沢にあったので買うことができた。

作品に対する予備知識はまったくなかった。テレビでばしばし宣伝しているし、まあちょっと読んでみるか、という程度の軽い気持ちだった。題名から、かつて話題になった「人 麻呂の暗号」のような展開を勝手に予想していて、裏表紙の内容紹介を見たらミステリーだったのでびっくりしたくらいだ(情けない・・・)。


ミステリーを読んだのは随分久しぶりだ。
でも別にミステリーが嫌いというわけではなく、小学生の頃はポプラ社文庫の「少年探偵団」や「怪盗ルパン」をむさぼるように読み、中学生になってからは金田一耕助ものなどをひたすら読んでいた。どちらかというと好きなジャンルだ。
そんな少年時代の読書遍歴によるのか、ひとくちにミステリーとは言っても、いわゆる「社会派推理小説」よりも、冒険的な要素のある作品の方が自分の好み。たとえば金田一なら「八つ墓村」とか「迷路荘の惨劇」みたいなもの。
また、小説ではないが「人麻呂の暗号」とか「ミカドの肖像」みたいな歴史系のドキュメンタリーも好きだ。これは、対象は歴史ではあるが、謎を解明するという点がミステリーに共通するからだと思う。
で、「ダ・ヴィンチ・コード」は、「冒険的ミステリー」と「歴史謎解き」という2つの要素がほどよくミックスされた、自分にとってまさしくツボの小説だったのだ。

中世趣味が横溢しており、読み進むうちに青池保子のマンガ「エロイカより愛をこめて」をつい思い出してしまった。歴史アドヴェンチャーとしてはインディ・ジョーンズも連想した(作品中にもそんな記述があった)。エロイカも、広い意味では歴史アドヴェンチャーに属すると思・・・わないか。
そんなこともあって、映画のラングドン役はトム・ハンクスだが、ハリソン・フォードだったらどうだったろうと考えながら読んだりもした。一方、The Internet Movie Database のトリビアによると、最初はビル・パクストンという役者が考えられていたとか(ヴァーティカル・リミットに出演している人だが、思い出せない・・・)。しかし、読み進むにつれて、もうトム以外考えられなくなってきた。ハマリ役だと思う。
ジャン・レノのファーシュ警部もどんぴしゃ。と思ったら、件のトリビアによれば、作者はジャンを想定しながら書いたとか(とは言っても「ジャン・レノ談」なわけだが)。ロード・オブ・ザ・リングのガンダルフがサー・リー・ティービングってのも良さそうだ。って、この役者、自身もホントにサーなのか。え、ティービングって名前もアナグラムなの。ふうん。

これはちょっと、と思ったのは、銀行の支店長を最後までひっぱりすぎたんじゃないかということ。ふたりを逃したところで表舞台から引いてもよかったように思う。しかもこいつが登場人物一覧でソニエールの次に載っているもんだから、自分はかなりマークして読んでいた。くっそう、してやられた。
でもまあそんなこんなを補ってあまりあるくらい面白かった。こういう話は終わらせ方が難しいと思うが、意外にもほんわかした結末なのも良かった。黒幕が去ってから残り50ページもあるから、いったいどうするんだろうと思ったのだ。「ロスリン」にも二重の意味を持たせるとは、凄い徹底ぶりだと思った。

読後感は上々だ。訳文もよくこなれていて読みやすくてよかった。ただ、フランス語の台詞がカタカナになっていたのはちょっと読みにくく感じた。仏文のままでルビをふった方がいいと思った。
活字が大きい薄い本が3冊なので、すぐに読めるのもいい。字を少し小さくして1冊の分量を厚くすれば上下2冊でイケそうな気もするが、3冊にしたのは角川の戦略に違いない。
なお、文庫本の裏表紙の内容紹介は事前には読まない方がよい。自分は読みはじめる前にうっかり上巻のものを読んでしまったのだが、かなり先のことまで書いてあった。もし中・下巻のを見てしまった日には目も当てられない。角川書店の公式サイトのフォトギャラリーもまたしかりだが、この写真で現場の情景がようやくわかった気がしたので、もう一度読みかえそうと思っている。

(ダン・ブラウン著(2003年)、越前敏弥訳(平成18年←3月10日初版で5月5日にもう第7版とは))(2006年5月18日読了)

一杯の紅茶の世界史(文春新書)2005-11-20 00:03

世界史と銘打っているので通史的な話なのかと思って買った。が、話はあちこちに飛ぶし、文献・科学の面での掘り下げも乏しく、これはどう読んでも歴史本ではない。作者が紅茶に関係する土地を訪問したときの話が多く、どちらかというと「紅茶に関する歴史紀行」という感じだ。なんというか、題名と内容がまったくかみ合わない。そもそも、「一杯の紅茶」がどの紅茶を指すのかが不明である。

というわけで、最初歴史を読むつもりだったのを途中から頭を切り替えたのだが、すると俄然興味深くなり、紅茶よりはコーヒー党である自分にもとても楽しく読めた。


日本で紅茶というとおそらくインドの印象が強いと思うが、実は発祥は中国だ。その中国で飲まれているのは緑茶が圧倒的に多く、世界三大紅茶のキーマンでも現地の人たちは緑茶を飲んでいるというのが印象的だった。
また、アッサム紅茶やセイロン紅茶の開発史や、トーマス・リプトンの立身話は実におもしろかった。すべてはイギリスを中心に回っているのだと思った。しかしそのイギリスでも近年は消費が落ち込んでいるのだそうだ。

ところで、この本を読んで今までまったく意識しなかった茶の原料を初めて知った。「カメリア・シネンシス」という椿科の木だ。このとき、「茶」とは不思議な飲み物だと思った。「紅茶」「緑茶」はともかく、「ミント茶」「玄米茶」のように、違う植物から出来た飲み物にもやたらと「茶」がつく。その法則でいくと「カメリア・シネンシス茶」か「椿茶」が妥当なところだろうが、そうは呼ばない。「茶」として定着しきっているのだ。そもそも、茶の木の名前なんていったいどれだけの人が知っているのだろう? 試しに「カメリア・シネンシス」で検索をかけてみると558件しかヒットしないのだった。

紅茶のウンチク満載で、なんだかちょっと豊かな気分になれたのだった。

(磯淵猛著、平成17年)(2005年11月17日読了)

ユングでわかる日本神話(文春新書)2005-11-20 00:02

レヴィ=ストロース入門」を読んで神話のなりたちについて興味を持ったところ、たまたまこの本を見つけたので買ってみた。ユングだからもちろん文化人類学ではない。が、世界の神話をタイプ別に分類していて、作業じたいは似ている。分類したうえで心理学的な解釈を加えるのが違うところだ。

大学の講義を本にしたものということで、かみ砕いた説明が非常にわかりやすい。イザナギ・イザナミやスサノオなどの馴染み深い話が出てくるし、西洋絵画を見ているとしょっちゅう出てくるギリシャ神話なんかが比較対象になっていたりする。で、日本神話はかなり特殊な位置付けになるようだ。
心理学はほとんど知らないのだが、作者の論理はちょっと強引かなあと思うところもあった(そういえば「父性の復権」もそうだった)。だがかえってそれがおもしろく、ぐんぐん読み進んでしまった。


レヴィ=ストロースのような、細かく分解して並び替えて「ほーら、同じでしょ」というやり方だと、「だから何なの?」と思ってしまうが、こちらは話のファクターを心理分析して意味付けしていくので、安心感がある。
神話=宗教とは、我々は何者なのか、生まれる前はどうしていたのか、死んだ後はどうなるのか、ということを説明して安心させるものだと思うが、この本じたいがまさしくそんな感じに読めてしまった。

講義ノートのためか脱線もところどころにあって、それも雑学的でおもしろかった。ゴヤの「わが子を喰らうサトゥルヌス」では子どもを食いちぎっているが、神話では食べられた子どもはそのまま出てくるので、呑みこんだのが正解なのではないか、などなど。神話が題材の絵画は今までぼんやりと意味も無く見ていたが、ちょっと見方が変わりそうだ。

(林道義著、平成17年)(2005年11月9日読了)

氷壁(新潮文庫)2005-11-10 23:15

氷壁がドラマで放送されるというので、気になって本棚の奥から引っ張り出して読んでみた。この本を読むのは'97年以来2度目だ。当時は冬山に関する知識がほとんどなかったが、この8年の間にいろいろ覚えたので(インターネットのおかげだ)、理解は少し深まったと思う。

あらすじは覚えていたが、さすがに細部は忘れていた。主人公は魚津だが、意外にも美那子の心理描写がかなり細かい。おかげでずいぶんとイライラさせられた(こういうタイプの人にはイライラしてしまう)。


にしても、ドラマである。魚津が玉木宏ですか。
玉木宏っつうと、自分の中では強烈に優男なイメージができあがっていて、どうにも山男のイメージがわかない。ミスドの看板に座って微笑みながらカフェオレを勧めているあの姿と山が結びつかないのだ。山でこんなきれいな顔したヤツ、見たことない。そこいくと山本太郎はいそうな気がするから不思議だ。そういや山本太郎とはNEC、吹石一恵とはマルイのCMで共演している。

舞台もK2だとか。
するとラストではK2に単独で行くのだろうか? かおるを中国に待たせておいて、魚津はパキスタン側から登るわけだな? 常盤にウソをついてパキスタンに行くのか? 常盤は「まさかネパール行きじゃあるまいね」と言って航空券を見るとパキスタン行きなので、これは山じゃないな、と思うのだろうか? 最初成都あたりで待っていたかおるは、魚津がちっとも来ないから・・・と、くだらない妄想は果てしなく続くのだった。
ロケがニュージーランドで舞台がK2というと、あの荒唐無稽なバーティカル・リミットを思い出してしまう。あのような、山をコケにしたようなドラマにはしてほしくないものだが。

(井上靖著、昭和38年)(2005年11月1日読了)

レヴィ=ストロース入門(ちくま新書)2005-11-06 17:38

昨年の12月に買ったまま、読むのをすっかり忘れていた本を発見した。今となってはどうして買ったのかまったく思い出せない。が、とにかく読んでみた。

レヴィ=ストロースの著作は(もう10数年も前のことだが)「今日のトーテミスム」を読んだことがあって、書いてあること自体はわかったのだが、「だからなんなの?」という感想しか持てなかった。また、構造主義について書かれた解説書も読んだが、難解だったり退屈だったりで読み流してしまい、結局「構造主義ってなに?」という要求に応えてくれるものではなかった。
で、この本がこのふたつの不満を見事に解消してくれたのだった。ごく大雑把に一言でいうと「人類普遍の法則のようなものを探しだす」ということがしたいのですか。ふんふんと思って件の解説書をぱらぱらめくって見ると、ちゃんとそんなようなことが書いてあるじゃない。トホホ・・・


一番おもしろかったのは神話研究のくだりだった。さまざまな地域の民族の神話を解体し、共通項を拾い出して整理する。自分はこういったデータベース化作業が大好きなのだ。それに、神話によくある荒唐無稽なあらすじのわけもそれなりに説明がついているので、なんだかさっぱりした気分になった。
また、よく知っている日本の神話で同じ作業をするとどうなるだろうか、という興味がわいてきた。

これまでに読んだ構造主義の本はどれも、基礎的な知識があることを前提にした本だったのかもしれない。またそれらを読み直してみたいと思った。ただ、「あとがき」によればこの本は大方の研究者が承認していない解釈をするという点で通常の入門書から逸脱しているらしいので、ここでまた「通常」の本に戻ると迷宮にハマりそうな予感がしないでもない。
それにしても、「構造」と「体系」の違いがまだわからんとです・・・

(小田亮著、2000年)(2005年10月21日読了)

天平の甍(新潮文庫)2005-09-30 01:12

ここ何ヶ月かは小説ばかり読んでいる。今年の初めに国宝鑑真和上像を見たこともあって、「天平の甍」をチョイスした。
この本を読んだのは3度目だが14年ぶりで、ストーリーは完璧に忘れていた。それでも、鑑真が失明しながらも日本に着くことや、阿倍仲麻呂が日本に帰れないことは史上有名なので、進行をある程度予想しながら読める。本の裏表紙の内容紹介にも普照はただひとり故国の土を踏んだって思いっきり書いてあって、他のみんながどうにかなっちゃうということもわかっちゃうし。


初めて業行が登場してからこの寂しいキャラクターがなんとなく気になったのは、結末のあのなんともいえない喪失感を予感していたのかもしれない。この本の直前に読んだ小説は「平家物語」と「海辺のカフカ」で、いずれもタイプは違うが深い喪失感を覚える作品だった。
生きるということは失うということなのだろうか。人生とはいったい何なんだろう。とかずっと考えていた高校生の頃の気持ちが少しだけ甦ってきたような気がした。

最初取っ付きづらくてなかなか進まなかったが、いよいよ帰国という段になると(ってもう後半じゃん)、かなりのめり込んで読むことができた。読後感はかなり良かった。

(井上靖著、昭和39年)(2005年9月29日読了)

『史記』の人間学(講談社現代新書)2005-06-07 23:44

史記は長く、全てを読むというのはなかなかたいへんだ。この本は登場する人物に焦点をあてているので、手軽にいいトコだけ拾えそうだなと思い、読んでみた。


なんとなくざーっと流し読みしてしまった。「人間学」といいつつも、人物像がなんだかはっきり浮かび上がっていないような気がしたのはそのせいかもしれない。中国古代史は大好きな分野なので、それでもまあまあ楽しめた。が、史学的な考察がなかったのはちょっぴり残念だった。

おそらくこれは筆者が歴史家ではないからだろう。しかし、文学作品の解説だと思えば悪くない。司馬遷の心情を推察したりなんかするあたりはまさしく文芸評論という感じがした。
そういえば、以前読んだ「山の社会学」の著者も報道出身だった。報道の人は題名になんでもかんでも「○○学」とつけるのが好きなのだろうか。

(雑喉潤著、2005年)(2005年6月7日読了 --関係ないけど、著者の名前が「ざこう」で一発変換されたのでびっくりした。思わずググってしまった)

古代中国文明 長江文明と黄河文明の起源を求めて (創元社「知の再発見」双書)2005-05-21 09:59

もともと大学で中国古代史を専攻していたこともあるが、TBSの世界遺産で始皇帝陵を見て自分の中の中国史熱が再燃し、そういえば買ったまま読んでいない古代史の本があるなあと思い出して読んでみた。

この本を買った動機は、写真図版が多かったので。監修者序文と資料編を除く全ての頁に何らかの図版がある。本屋で何気なく手にとってぱらぱらと頁を繰ったとき、今まで名前だけで顔を知らなかった郭沫若や張光直といった考古学のエキスパートの写真も載っていて、おおーと思った。中国考古学の研究史も記述されていそうで、大学で自分が勉強したことのバックボーンを見直すきっかけになるかと思ったのだ。


きちんと読んでみると、考古遺物を元にした後漢までの文化史であり、考古学上の画期的な発見が年代順に整理されていて非常にわかりやすかった。何より図版が多いのがいい。本書のシリーズじたいが「絵で読む世界文化史」というのだから当然といえば当然か。
研究史としては第1章「中国近代考古学の誕生」や資料編「中国考古学の展開」の数頁にまとめられている、という程度だった。しかしそれでも、張光直へのインタビューなどもあったりして、この点でも満足できた。

原作者がフランス人ということもあってか、中国考古学におけるフランスの役割がちと持ち上げられすぎているような気もした。しかしこの感想は、学生時代の私が中国寄りの文献ばかり読んでいたせいかもしれない。

(コリンヌ・ドゥベーヌ=フランクフォール著(1998年)、工藤元男監修/南條郁子訳(1999年))(2005年5月17日読了)

話を聞かない男、地図が読めない女(主婦の友社)2005-05-21 09:57

本日は町田の東急百貨店で開催されている「山下清展」に行ってきた。
山下作品を見るのは初めてだったが、かなりよかった。タダだから、ということもあるかもしれない。入場料はひとり500円だが、東急のカード会員だと2名まで無料なのだ。

展示品は総数140点余りで、貼り絵に目覚めた10代頃のものと、ヨーロッパ旅行のものが多かったように思う。貼り絵だけでなく、ペン画や水彩画なんかも多かった。


貼り絵というと、色紙を切って貼るだけの塗り絵のような2次元的なものというイメージを持っていたが、そんなものは吹っ飛んだ。実際、紙の厚みで3次元的な奥行きがあるのだ。
また、ごま粒の半分くらいの大きさに切った色紙の細かい作業にも圧倒させられた。周囲の感想を漏らす声も「こまかいねえ~」というものが多かった。

独特のテクニックもある。たとえば「こより」。単に平べったい紙を貼るだけではなく、こよりにして貼ると立体感が生まれる。油絵で砂や貝殻の粉を混ぜたりすることがあるが、それと同じような効果がある。
こよりは木の枝なんかに多用されていたが、5本を並べて表現した木の幹なんかは、こより同士の境目がまるで木肌のように見えて面白かった。
他に自分が注目したのは「ロンドンのタワーブリッジ」の、タワーブリッジ上部の金網(?)だ。塔の本体とこよりの金網が重なった部分は、塔の手前に金網が浮き上がって見え、見事な3D効果でびっくりしたのだった。

さて、展示品は良かったのだが、普段バーゲンなどが行われる催事場ということもあって、会場の環境は劣悪だった。

  • 照明の位置が悪くて、とても見難かった。壁にかかった絵を見ることを考えていないのだ(催事場なので当然といえるが)。
  • 通路に絵をかけてあるという感じなので、ちょっと引いた場所から見ると、背中側の絵を見ている人とぶつかってしまう。
  • 休憩所がない。展示数からしても、腰を下ろす場所が途中に欲しいところだ。

まあ会場はしかたないとしても、残念だったのは絵はがきだった。
買おうと思って何枚か手にとっては見たものの、なにかおかしい。よぅく見ると、なんとトリミングされているではないか。印刷面に余白を作らないようにするため、上や下をカットしてしまったようだ。こりゃああんまりだ。なんてことしてくれたんだ。もう、これにはガッカリさせられた。
というわけで、絵はがきもカタログも買わずに会場をあとにしたのだった。
(東急まちだ店特設会場・2005年5月8日)

OLたちの<レジスタンス> (中公新書)2004-12-16 00:18

60人の男女からの聞き取りをメインデータに、職場での男女の関係について書かれた本。聞き取り対象の抽出は完全無作為ではないが、それでもいろいろな声があっておもしろかった。

この本のキモは、OLは、単なる事務職であることにともなう自由と、その自由によって可能となるさまざまな「遊び」を楽しんでいるのだから、差別に真っ向から戦いを挑む必要がないということだ(31頁)。OLには企業内での権力も出世の希望もないが、逆にそのことによって、得られる自由は大きい。社内の噂話や、バレンタイン遊びなどなど。


しかし、OLたちはジェンダーを武器に優位を形成しようとすればするほど、ジェンダーの深みにはまってしまう。筆者はこれを「ジェンダーの落とし穴」と呼ぶ(176頁)。自分の弱さを武器にすることが、性差別を正当化する根拠となってしまうというのだ。
この説をいくつもの事例によって証明していく。女性側からだけの視点ではなく、男性の証言もあるのがその説を強化していると思った。女性・男性のどちらにも肩入れしていないところに好感を持った。

読み終えて、自分にはずいぶんとOLっぽいところがあるなあと思った(笑)。あーこういうことしてるよ、と思う事柄がいくつもあった。日本におけるバレンタインの起源の話も興味深かった。

(小笠原祐子著、1998年)(2004年12月2日読了)