KATZLIN'S blog

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山岳気象入門(山と渓谷社 ヤマケイ・テクニカルブック)2007-06-20 20:28

昨年、「明日の天気がわかる本」を読んで、もっと山に特化した天気の本を読みたいと思っていたところで見つけた本。こういう本が欲しかった。
「明日の天気がわかる本」はモノクロ写真の雲がよくわからなかったが、こちらはカラーなので分類もわかりやすい。雲だけじゃなく、山の写真も多くて、それを見るのも楽しかった(ひとつトムラウシの写真が間違っていたのが残念)。


構成は次のとおり。
第1章・天気の基礎知識、第2章・山の天気の基礎知識、第3章・山の局地気象、第4章・山岳気象遭難、第5章・気象データ。
1章→4章にかけて大局的な見方から実際的な見方へと、対象が細かくなっていく。第4章は実際の遭難事例の判断ポイントについての具体的な解説で、第5章は各地の夏山の平均気温や天気出現率、天気に関する言い伝えなどの雑多なデータ集となっている。
章建てもそうだが、話の進みかたも理路整然としていて、「こういう天気はこのような条件のときに現れる」ということが論理的に説明されているのでよく理解できた。これは覚えやすさにもつながると思う。

第1章はチト退屈だったが、2章、3章は得るところが大きかった。地上の風向からジェット気流の流れを読むなど、計画段階や山中でも実際に使えるテクニックがたくさんあるのがいい。特に天気図の書き方のツボは衝撃だった。等圧線を書かなくてもいいなんて! こういうことは学校の山岳部や山岳会などでは教えてもらえるのかもしれないが、無手勝流の自分には目からウロコなのだった。

読み終えて、過去の自分の山行と照らしあわせたとき、2005年の朝日連峰なんかは、遠雷を甘く見ていてヤバい状況だったと反省した。また、このときの天気予報は晴れだったけれど、前日から続いた蒸し蒸しした感じから、雷を予想できたのではないかと今にして思った。夏山だったら雷があってもおかしくないという覚悟をしてはいるが、「あるかもしれない」と「あるに違いない」ではやはり心構えが違うものだ。

表紙カバーの見返しの著者紹介に顔写真が出ていて、どこかで見たことある人だな、と思ったら、NHKで天気予報をしている人だった(村山貢司氏)。また、もうひとりの岩谷忠幸氏も日テレの気象アドヴァイザーということだが、この人の写真は明らかにどこかの山中で撮ったものだ。山歩きをする人が書いているから、通り一遍の教科書的なものじゃなくて、おもしろく読めたのかもしれないと思った。

(村山貢司、岩谷忠幸著・2005年)(2007年6月19日読了)

日本の漢字(岩波新書)2006-12-30 17:51

漢字の、日本での独特の変容について述べられた本。
文字じたいの変化も興味深いが、内容はそれだけにとどまらず、現代日本人の漢字に対する意識なんかにも触れられていて、トリビア満載のたいへんおもしろい本だった。日ごろ特に関心を払うこともなく使っている漢字の(ウェブサイトなんて作っていると時おり意識的になったりするときもあるけど)、なりたちや意味について改めて意識させられた。

家電製品のスイッチの「切」とか「強」とかを、心の中でどのように読んでいるか? 自分でそれらの字を見たときには、まったく読みを意識せず「ここがスイッチオフの位置」という記号のように感じている。そんなの人それぞれだし、決まった読みなんてないだろうが、それでも人に伝えるときに「きるにしといて」で充分通じると思う。そんなふうに、漢字は、発音記号であり、そのうえ意味を持ち、さらには単なる記号としても機能する。漢字って凄い、漢字をそんな風に使う日本語・日本人も凄い、と思った。


たとえば、日本で作られた漢字(国字という)があるということは知ってはいたが、じゃぁいつ誰が作ったのか、ということなんて考えもしなかった。
もちろん、そのほとんどは出自がはっきりしないが、たとえば「涙腺」とかいうときの『腺』の字は宇田川玄真という蘭方医が江戸時代に発明した字なんだとか。へぇ。同じ国字でも、「峠」みたいないかにも日本的な字と違って造りが中国古来の漢字っぽいから、日本人の発明だとは思いもよらなかった。「涙腺」「汗腺」のように、からだ(月「にくづき」)から泉のように液体が出てくるのだから、まさにドンピシャの字だ。
これだけ有名な(?)字の発明者なのに、ググってもヒット数がやたら少ないことに再度びっくりしたのだった。Wikiにもこの漢字のことは書かれていない。

また、同じ「にくづき」つながりでびっくりしたのは、人名用漢字を新規追加するときに「腥」「胱」といった字が要望に挙がったということ。筆者の推察では、どうも現代日本人の漢字のとらえかたは、字そのものの持つ意味よりもイメージ中心になりつつあるのではないか、という。なるほど、たしかにどっちの字も「月と星」「月と光」で、そう考えるとプラスのイメージだが・・・しかし、名前にこんな字を使われちゃぁかなわん。「ションベン」とか「きん○ま」とかあだ名つけられていじめられるのがオチだ。まあ漢字だけじゃない、ラブ聖夜イブ一二三ワルツなんて名前もあるんだとか。うぅ、センス悪。

他にもいろんな漢字がある。自分の名前のために勝手に(?)漢字を作ったり、書き間違いが元で広まっちゃったりなどなど。だがそれもすべて「字」なのだ。ことばは、常に変わっていく。何が「正しい」のかなんて、誰にも決められない。「辞書に載ってないから間違い」なんじゃなくて、「世の中に通用している字を載せるのが辞書の役割」なのだ。

中国古代史を専攻し卒論を書いた経験から思ったことは、へんてこな誤字や、すでに廃れてしまった字を活字にして出版することは、筆者・印刷会社ともにたいへんな苦労があったろうということだった。

(笹原宏之著・2006年)(2006年12月27日読了)

東京裁判(上・下)(中公新書)2006-12-02 22:30

ファミリー劇場で再放送中の'84年の大河ドラマ「山河燃ゆ」は終盤にさしかかり、いよいよ東京裁判が始まった。で、思ったのは「自分は東京裁判のことを知らなすぎる」ということだった。清瀬弁護人が裁判長に動議をするも、それにどんな意味があるのか。「これは FBI のやりかただ!」とか言ってても、何が『FBI的』なのか。佐藤慶の演じる田中隆吉がなんだか意味ありげだが、どんな人物なのか。どれもこれもさっぱりわからない。
そんな単純な動機から読みはじめたのだが、なんとか放送終了前に読み終えることができ、予備知識を得たことで、ドラマの今後の展開がますます楽しみになってきた。


著者は「あとがき」で公判記録と書証を主にして、あたかも判事の一人がおこなうのと同じように裁判を見渡す形となったと述べているが、実際にそんな印象を受けた。検事・弁護のどちらの側にも立つことなく出来事を端的に述べている。
奇をてらうことなくきちんと時系列に沿った叙述はオーソドックスな歴史書として非常にわかりやすいし、東京裁判でなにが行われたのか裏工作も含めて記されているのはドキュメンタリーとしてもとても面白いし、巣鴨プリズンでの獄中生活の描写なんかは物語的な興味もあるしで(自殺防止のための毎日の所持品検査が肛門にまで及んでいたとは!!)、自分のような、東京裁判についてまったく知識のない人間の入門としては最適だと思った。終盤、判決から死刑執行に至るあたりでは読んでいてさすがに気分が重苦しくなったが、それでも、ごく控えめに言って、とてもおもしろかった。

ちゃんと『FBI的』な方法についても書かれていてちょっと感動した。「山河燃ゆ」(二つの祖国)の原作者の山崎豊子もこの本を読んだに違いない。というよりも、取材先が同じなのだろう。
清瀬弁護人の忌避動議も田中隆吉の登場も、この本の(というより東京裁判じたいの)ヤマ場のひとつとなっていて、よく理解できた。

やはりまったく知らなかったのだが、東京裁判は自分の生まれ育った横浜にも縁があった。戦犯として逮捕された人たちは、巣鴨にうつる前は横浜刑務所におり、A級戦犯のうち死刑になった7人は久保山火葬場で荼毘に付された。
久保山は実家のわりと近くだし、興福寺なんてずいぶん懐かしい。子どもの頃はあのへんで遊んだりしたもんだ。・・・と思ったがなんか違和感がある。そうだ、「こうふくじ」って、「興福寺」じゃなくて「洪福寺」じゃん。これは著者の間違いだろう。

とにかく、久々に、おもしろい本を読んだときの喜びを感じた。どっしりとした、読み応えのある本だった。
自分が学生だった20年ほど前は、新書といえば岩波・中公・講談社くらいしかなかった。それが何時の間にやら各出版社から新書が乱発行されるようになり、つまらない本が増殖してきた。新書が対象にするようなネタはもう尽きてしまっているのかもしれない。この本は1971年初刷で、2006年で37刷と長きに渡って読まれている。これだけ読み継がれてきたのはやはり理由があるのだと思った。

(児島襄著・1971年)(2006年12月1日読了)

明日の天気がわかる本(地球丸 OUTDOOR HANDBOOK)2006-11-11 21:27

今朝は雷鳴で目覚めた。天気図を見ると低気圧が増えて二つ玉になっていた。山はおろか、平地も荒れる典型パターンだ。出かける予定だったのを取り止めた。自分にもその程度の知識はある。
しかし、体育の日の3連休の山行では、気圧配置が一時的に冬型になるというので、じゃあ冬型でも晴天率の高い八ヶ岳に、と行ってみたところ予想に反して雲に覆われていた。天気の読みの甘さを痛感し、本屋のアウトドア・コーナーで見付けたこの本でもうちょっと勉強しようと思った。


山歩きの際の天気予測としては、観天望気が一番効果的だと思う。
天気図の知識ももちろん必要だが、いったん山に入ると(北アルプスのような整備された営業小屋ばかりの山域は別として)天気図の入手が難しい。気象通報を聞いて自分で天気図を描くこともするが、正確なのかどうかイマイチ自信が持てないし、放送の始まる16時までにテント場に着けないこともあるし。空を見て、あの雲があるから明日は雨だ、とかわかればそれに勝るものはない。

この本はその観天望気の本だ。温暖前線や寒冷前線の説明など、半分くらいは中学生の頃に学校で習った内容でちょっとがっかりだ。が、雲の分類は苦手な分野なので、しっかりと読んだ。でも残念なことに写真がモノクロなのでちょっとわかりにくい。これはもう実践あるのみだ。

読んでいる途中でいまさらながら気づいたのだが、出版が 1998 年と古く、たとえば台風に関する記述もすでに廃止された「『弱い』台風」などの解説があったりする。「インターネットの有効な利用法」なんていう章も今更感が強い。なによりも、「アウトドア・ハンドブック」だからと思って買ったのだが、「野外で注意したい天気」の章が短いのがちょっと残念だった。
が、雲の基本分類は10種類でいいという記述に、ちょっと勇気付けられた。頑張って覚えなければ。そして次は山岳気象専門の本で勉強してみたい。

(塚本治弘著、1998年)

陸軍中野学校 情報戦士たちの肖像(平凡社新書)2006-11-04 17:47

前に「象徴天皇制の起源」を読んで太平洋戦争における情報戦にちょっと興味をもち、日本ではどうかと思ってこの本を買ったわけだが、『はじめに』を読んで勘違いしていることに気づいた。

陸軍中野学校はいわゆるスパイ・アカデミーで、「秘密戦士」と呼ばれた諜報員(ケース・オフィサー)を養成する学校であった。諜報員とは、専門の教育・訓練を受けたプロの 工作員のことで、非合法活動を通じて非公開の情報を入手するスパイである。
"諜報"とは英語で「インテリジェンス」、すなわち非合法な手段や方法でデータを入手する工作を指すのに対し、"情報"は「インフォメーション」と訳され、公開されている生のデータを指すことが多い。

自分の知りたかったのは「インフォメーション」の方だったのであるが、中野学校って、そういうところだったのか(無知でした)。にしてはサブタイトルが『情報戦士たちの肖像』になってるけど、まいっか。


と思って読み進んだが、なんだかとりとめのない本だった。
帯に「謎の商社『昭和通商』とは何か?」とあるが、中野学校の出身者が身分を隠して入社していたというだけで、結局ハッキリとした関係はわからない。そのままこの話は序章-第1章で尻切れトンボ気味に終了し、第2章から唐突に中野学校の歴史に移る。第3章では戦争中の工作活動、第4章で中野学校以前の特務機関の話、第5章では戦後の情報機関の話と話題がころころ変わり、付記なんかは中野学校と全然関係のない、まったくのおまけ。

著者がノンフィクション作家なので、「謎にせまる知的冒険」みたいな内容を期待していた。が、これではまるで取材メモ。冒険はおろか、主題すらまったく見えない。「情報戦士たちの『肖像』」という点では第3章がそれに近いのかもしれないが、だったら昭和通商の話題なんか要らないんじゃないかとも思うし、もう読んだこっちが混乱してきた。

まあそれでも、中野学校での教育内容などが書かれていて、忍術を教えていたとかいう話なんかは興味深かった。
トリビア本としてはおもしろいかもしれないが、それにしても不満が残る内容だった。

(斎藤充功著、2006年)(2006年10月25日読了)

象徴天皇制の起源(平凡社新書)2006-10-18 22:08

1984年の大河ドラマ「山河燃ゆ」が、今年の1月からファミリー劇場で放送されていて、毎週楽しみに見ている。当時高校生だった自分はこのドラマが大好きだった。このドラマで、戦争中にアメリカの日系人が抑留されていたことなどを初めて知って強い衝撃を受けたことを覚えている。
また、この夏に放送されたNHK特集「日本と戦った日系人 GHQ通訳・苦悩の歳月」を見たとき、これってまんま「山河燃ゆ」じゃん、と思った。作者の山崎豊子は執筆にあたり関係者に徹底的にインタビューしたということだが、この人もそのうちの一人だったに違いない。
さらに、9月末、東京ローズ(ドラマでは手塚理美が演じていた)のひとりとして有名なアイヴァ・郁子・戸栗・ダキノ氏が亡くなった。などなど、第二次大戦関連の話が気になっていたころ、ちょうどこの本を書店で見つけたのだった。日系二世の話もちょっとあるみたいだし、ちょうどいい。


しかし読んでみるとずいぶん取っつきにくい本だった。筆者が発見した機密文書の内容の羅列ばかりで、なんだか古墳の発掘報告書を読んだような読後感だった。
参考文献の紹介が多いので、この本を始まりとして大戦中の情報戦をより深く研究したい向きにはいいかもしれない。が、自分のように軽い気持ちで読むと迷宮に入ってしまう。

それにしても感心したのは、アメリカは、よく相手国のことを研究しているなあということ。戦争開始まもない頃に(しかも自国は劣勢だった)、すでに戦後の計画をたてていたというのは非常に現代的な感覚だと思った。天皇を象徴として「利用」する発想は、ミッドウェイ海戦以前にすでに存在していたのだ。

アメリカにはかなり洗練された統一的情報戦略があったことがわかったが、では日本はどうだったのだろう、というのが気になった。というわけで、次は陸軍中野学校の本を読むことにした。

(加藤哲郎著、2005年)(2006年10月17日読了)

法隆寺の謎を解く(ちくま新書)2006-09-22 00:20

題名と目次を見て即買い。なんと、法隆寺中門の真ん中の柱をはじめとした数々の謎を解くっていうんだから、これは歴史ファンであり古建築ファンであり奈良ファンでもある自分としては堪らないのである。筆者が建築畑の人だということにも興味をそそられた。


いきなり筆者のインドでの体験から始まるので、物語的に話は進むのかと思ったがそれは導入部だけだった。ここでいきなり核心にちょっと触れているので、中門に開口部が2つあるのは入口と出口だと言いたいのだと分かってしまったのが、ちょっと残念といえば残念だ。でもそこまでこじつけ論理付けていく過程もおもしろく読めたのでよかった。歴史書なんかだとこのような帰納的な方法で書かれることが少ないので新鮮な感じがした。

中門を入ったときに視点が定まらないとかなんとかいう話は、人によって感じかたも違うだろうし、実際にその場で見てみないと同感するまでには至らないと思う。ただ、空間に着目するあたりはさすがに建築家の目線だなあと思った。
また、プラダクシナー・パタ(めぐる作法)については、ただ単にインドと似ているというだけでなく、五重塔初層のジオラマと合わせて考えるとなるほどと思う。感覚的な説だけじゃなくて、ちゃんと説得力もあるところに好感を持った。

この本の謎解きの中で一番おもしろかったのが法隆寺「新創建」という考え方だった。
現在の法隆寺は再建された建物なのだが、これは火事で焼けちゃった若草伽藍を建て直したものだ、と考えられているようだ。だがそれでは木材の伐採年などから辻褄が合わず、どうも焼ける前に今の伽藍が建立されているのではないかという説もある。筆者は後者を支持し、これに説明を与えている(だいぶ推測が多いが)。五重塔の心柱は掘建て棒として祀られていたものを流用したのではないかという説も飛び出して実にユニークだ。

最後の方はなんか冗長に感じた。終章は話が広がりすぎて、なかった方がすっきり終われたような気がする。そういえばエンタシスの話も尻切れとんぼだ。

(武澤秀一著、2006年)(2006年9月21日読了)

女たちの会津戦争(平凡社新書)2006-07-21 00:32

戊辰戦争での会津の女性たちの行動を、自決・籠城・逃避という3つの傾向に大別し、叙述した本。
書店でなんとなく手にとってぱらぱらめくってみたところ、読みやすそうな文章だったのと、若松城の縄張図が目に付いたので(自分は城郭ファンなので)思わず買ってしまった。


会津での戦いというと白虎隊が自刃した戦争、という程度の貧弱なイメージしかなかった。だが、この本を読んでみてそれ以外(籠城戦など)の激しさも知った。本書の「はじめに」によると、女性が戦闘に加わったのは、日本の戦争史でも、そう多くはないのだそうだ。

ただ、読み進むにつれ、会津方に感情移入したような記述が気になってきた。歴史家なら公平であるべきだと思ったのだが、会津人の残した体験記を基本資料にしているようなので、これはある程度はしかたないのかもしれない(そういや薩長方から見た資料がないな)。また、他にも悲しい光景だったとか、鬼気迫る光景だったといったような感情的な表現が目について、なんだか歴史書じゃないみたいだ。
買う前にも裏表紙の著者紹介をチェックはしたのだが、卒業学科(史学科)と著書が羅列してあるだけで経歴が載っていない。どっかの大学の元先生かな、と勝手に思っていたが、読み終えてよくよく奥付を見るとオフィシャルサイトのアドレスが。あんまりセンセイらしくないなあ、と思ってアクセスしてプロフィールを拝見してみたら、なんと歴史家じゃなくて作家さんだったのですか。道理で・・・

というわけで、会津女性の手記がおもな内容の本だった。年表のようなものがあれば全体の流れをもっと理解しやすかったのではないかと思った。

(星亮一著、2006年)(2006年7月20日読了)

西洋哲学史 古代から中世へ(岩波新書)2006-07-12 00:05

「まえがき」を見たかぎりでは入門書のようだったので買ってみた。
自分は西洋哲学が大の苦手。中国史専攻なのでマルクスやヘーゲルなら少しなじみがあるのだが、そのほか、特に古代ギリシャあたりがぜんぜんいけない(自慢じゃないがソクラテスとアリストテレスの違いがわからない)。本書の範囲は古代から中世までで、秋には現代までの続編が出て完結するのだそうだ。通史的に学べそうだし、なにより最弱点のギリシャ哲学の説明があるのがよいと思ったのだ。


と、勢いこんで読みはじめたのだが、何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。この本は西洋思想をある程度勉強した人でないとむずかしいのではないだろうか。私のようなずぶの素人にとってはレベルが高すぎる書物のようだ。
たとえば、その時代の話をしているのかと思って読んでいると、突然後代の人物名が出てきて「このように後の思想にも影響を与えている」という例が挙げられたりする。この場合、名前を挙げられたその人物がどういう人なのかを知らないと意味がわからないのだ。そんなことの繰り返しで読解に苦しんだ。

結局、わかった(ような気がした)ことと言えば、哲学と論理学は源が同じだった(ように思える)、ということくらい。ソクラテスとアリストテレスの違いはまだわからないままだ。久々に、まったく歯が立たない本だった(トホホ・・・)。でも、たぶん懲りずに後編も読むと思う。

(熊野純彦著、2006年)(2006年7月11日読了)

江戸語・東京語・標準語(講談社現代新書)2006-06-03 10:24

「標準語」はどのような経緯で生まれたのか、ということの考察。
標準語というと「東京のことば」だとずっと考えてきたが、どうやらそうとも言いきれないらしい。筆者は巻末で、標準語とは、東京語にきわめて近いが、東京語ではないと断言している。そういや、そもそもの東京のことばってどんなことばだ?


本文中では幕末頃からの江戸・東京のことばの変遷が語られている。
全国で通用することばを持たなかった日本は、明治になってその必要に迫られ、官の主導のもとに東京のことばを使うことになった。本来の東京(江戸)で使われていた言葉は下町のべらんめえな言葉だったが、採用されたのは山手のことばだった。これは、参勤交代の関係で各地の武士どうしが互いの意志疎通のために使っていたことばでもあり、当時の士族には通用していたもののようだ。

しかし各地の武士が使っていたということもあって、必ずしも純粋な江戸のことばではなく、さまざまなお国言葉が混じってできあがったものらしい。さらに戊辰戦争の江戸開城や関東大震災などで古くからの江戸住民が少なくなり、ますますいろんな要素が混在することばになっていったようだ。
そのひとつの例として挙げられていて興味深かったのが、「見れる」「着れる」のいわゆる「ラ抜き言葉」だ。明治・大正時代には東京ではまったく使われていなかったのに、関東大震災後に突如山手で使われるようになったのだという。しかも、これ、もとは我が地元の神奈川方言ではないかというからびっくりだった。自分は意識して使わないようにしているのだが、そういや親はどうだったっけ。

そんなこんなでまとまってきた標準語の全国への普及はラジオによるものが大きい。それまでは、地方の学校で標準語の教育をしようとしても先生がしゃべれなかったりでたいへんな苦労があったという。そして戦時の全体主義で決定的に広がっていったのだ。
筆者はこういうことばの押しつけを嘆いている。ただ、今の標準語を否定しているのかというと、そういうわけではない。肯定・否定どちらの立場でもないようだ。

この本を読んでいちばん感心したのは、標準語はひとつだけである必要はない、という考えだった。そんなこと今まで思いもよらなかったので、軽いカルチャーショックを感じた。

(水原明人著、1994年)(2006年5月31日読了)