KATZLIN'S blog

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知らなかった! 驚いた! 日本全国「県境」の謎(実業之日本社)2008-05-24 17:24

通勤電車の車内広告で見て興味を持った本。「じっぴコンパクト」という新書よりわずかに大きいサイズのシリーズだが、本屋では新書ではなく実用書のコーナーに置いてあったのでなかなか見つけ出せなかった。
題名からもわかるとおり、いわゆるトリビア本だ。自分は雑学を詰め込んだだけの本はあまり好きではないのだが、地理好きの心をくすぐられて我慢できず、そのことは納得のうえで買って読んだ。


内容は予想どおりの完璧なトリビア本で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
Iの『「廃藩置県」から「四十七都道府県」の成立へ』とIIの「県境に秘められた歴史」が県の統廃合に関するウンチク、III「なぜそこに県境がある?」は、いっぷう変わった県境に関するウンチク、IVの「ニッポン縦断 県境をめぐる争い」は領土争いに関するウンチク、Vの「県境未定地の謎」は文字どおり県境未定地に関するウンチク、という章立て。
ただ、IとIIなんかはなぜ別の章なのか分からないし、いっぷう変わった県境は領土争いの結果生まれたものであったりするのでIIIとIVも同じ章でも不都合なさそう、という具合に区分がとてもむずかしい。だから読み進んでも全部同じような気がして、外国語の単語帳を読み進んでいるのと同じ気分になってしまうのだ。トリビア本のどこが嫌いかっていうと、そういうメリハリのない雑駁なところなわけだが、この本の場合は自分の中の地理好きの方が勝ってさらさらと読んでしまった。

せめて行政区分の通史みたいな章でもあればなあとか、統廃合年表みたいなのがあれば資料になるのになあとか不満はあるが、そんなことよりも、知らなかった面白話が結構あったので楽しく読めた。

(浅井健爾著・2007年)(2008年5月22日読了)

神社の系譜 なぜそこにあるのか(光文社新書)2007-12-09 17:44

新たに新書を買って読むのは半年ぶりくらいだ。
本屋でふと気になってぱらぱらとめくってみたら、神社の配置の見取図みたいなのがいっぱい載っていたので思わず買ってしまったのだ。城の縄張りなんかが好きな自分は、一も二もなく飛びついてしまった。


この本は、自然暦の視点から神社の系譜について考える、という本だ。「自然暦」といってもピンと来ないが、自然の動きによって季節の変化を感じとる暦というところか。
「まえがき」には、古代人が、こうした太陽の動きを、神の宿る「神社」の配置に応用したのがいわゆる「自然暦」であるとある(4頁)。つまり、この本では太陽の動きと方角に限定した暦になっている。・・・ん? つうか、これって「こよみ」とは違うんじゃないの?

と、のっけから疑問が吹き出すのだったが、神社が方位や日の出・日没の方向によって配置されている例が日本全国に見られるという見方じたいはおもしろい。
中でも、出雲大社や豊国神社の項はおもしろく読めた。鹿島神宮から日御碕を通って韓国の慶州に連なる線は壮大で、歴史上の解釈にも符合するというのは興味深い。読んでいて、それほど長大な線を測量する技術が古代にあったのかと疑問を持ったので、Google Earth で飛んでみたら、さすがにずれてはいたものの結構いい線いってたので感心した。まあ、こじつけにすぎない、という穿った見方もできるのだが。
また、豊臣氏の滅亡後、家康が豊国神社の東西線を分断するために智積院を配置したというのもおもしろかった。

ただ、最初のうちはいちいち「おおー」と感心しながら読んでいたが、だんだん食傷気味になってきて「だからなんなの」と思うようになってしまった。
それは、社寺の配置と方角の関連が、豊国神社のようにはっきりと示されている例が少ないからだろう。ただ単に、○○神社から見て夏至の日の出の方向に△△神社があります、という事柄の報告になってしまっているのだ。で、だからなんなの、となってしまうのである。
このへんは佐々木昇さんの「読書日記」と同じ感想を持った。不完全燃焼だ。着想がユニークなだけに、残念に思った。

あと、文中で、平将門だけ「公」付けなのが気になってしょうがなかった。作者は将門を尊敬しているのか、あるいは祟りでも恐れているのだろうか?

(宮元健次著・2006年)(2007年11月29日読了)

八甲田山死の彷徨(新潮文庫)2007-11-23 15:04

実際の事件を元にしたフィクション。映画化されて一気に有名になった。まだ子どもだったが、『天は我々を見放した』という台詞が流行ったのをよく覚えている。
その映画『八甲田山』は大人になってからテレビで見たのだが、雪の中の進軍の描写は小説の方が上だと思った。重たい外套が凍り付いていて、それをまとった兵士がマイケル・ジャクソンのスリラーのようにさまよっている姿が目に浮かぶようだ。ちょうどこれを読んでいる頃から、この冬最初の強い寒気団が下りてきたこともあって、もう寒くて寒くてしかたなかった。


『剱岳 点の記』同様、クライマックスが早めに訪れてしまい、あとはだらだらと書き連ねてあるのがまた奇妙な感じ。とくに終章がわけわからん。
作中の登場人物がすべて仮名なのに、終章の5つめのチャプターでとつぜん本名が混交してくる。この終章5が要らない。終章4の終わりは二人の聯隊長が別れるところでまとまりもいいのだから、ここで終わりならよかったのに。
おかげで読後感はビミョーなものに。内容がおもしろかっただけにちょっぴり残念だ。新田次郎の小説を続けて4作品読んだが、小説らしい終わり方なのは『孤高の人』だけだと感じた。

(新田次郎著・昭和53年)(2007年11月17日読了)

孤高の人(上・下)(新潮文庫)2007-11-23 14:12

山ノボラーには定番の小説だが、初めて読んだ。自分の場合、凄い登山家の事績には興味がない。だってあまりにも自分とかけ離れているんだもの。
でもこの本はおもしろかった。結末を知っているのにこれほど読ませる小説はそうそうないのではないかと思った。というより、結末を知っていて、そこに向かって突き進んでいく過程に引き込まれてしまうのだろう。単独行への終生の誓い(上巻395頁)といった伏線や、幸せそのものの結婚生活も、痛々しく感じながら読んだ。山のシーンと街のシーンが交互に描かれる構成もよかった。


前半の、まだ単独行に対する姿勢が確立していないあたりの心理描写では、頷けるところが多かった。
自分はかつて単独で山を歩いていた。相棒と歩くようになったのは10数年前からだが、それ以後も、彼女以外の人と山歩きをしたことはない。だから単独行と同じようなものだと思う。他の人と歩いたら、おそらく息が詰まることだろう。休みたいところで休めないだろうし、立ち止まって写真を撮りたくなっても歩き続けなければならないかもしれない。そんな可能性を考えるだけでもうんざりしてしまう。
だから、主人公が感じた、他人と歩くことに対する戸惑いがよくわかった。

しかし、最後の山行での宮村とのやりとりには嫌悪感すら覚えた。強引な宮村に対して何も言えない主人公にいらだちを感じた。そもそも、他人の意見に盲目的に従うような人は単独行を続けられないと思う。主人公の登山歴からしてこれはあり得ないと思うのだ。
それに、宮村の豹変ぶりだってちょっとおかしい。まあ、それほど失恋の痛手が大きかったということなのかもしれないが。
こういった点は、ちょっとリアリティに欠けると思った。

主人公に加藤文太郎という本名を使っているので(夫人のたっての希望だとか)、実際のできごとばかりのように思ってしまうのだが、事実を元にしたフィクションと考えるべきだろう。
今の登山者にもなじみのある赤沼とか穂苅といった名前を除いては、だいたいの登場人物は仮名のようだし、なにより、主人公が最後の山行までずっと単独を通していたというところが加藤文太郎本人とは違うようだ。このあたりは本人の書いた『単独行』を見ればわかる(青空文庫で読むことができるのは嬉しい)。

(新田次郎著・昭和48年)(2007年11月8日読了)

劒岳 点の記(文春文庫)2007-10-27 22:04

『富士山頂』を読んでいる数日間に本屋を何軒かまわってようやく買うことができた。
この『劔岳 点の記』が映画化されるという話に興味をもったのは、ロケがほんとうに剱岳周辺で行われている、ということを知ったからだ(ネットでも目撃情報多数)。また、測量官の柴崎芳太郎という人は、BS-iの番組『剱岳 百年目の真実』(剱の再測量は北岳とともに話題になったっけ)で名前と業績は知っていたし、彼が山頂で発見した平安時代の錫杖が重要文化財に指定されていることから、山好き・地図好きな文化財ヲタクの自分にはまさに神のような存在なのだ。


登頂に関するちゃんとした記録は残っていないだろうし、エピソードの類はだいたい作り話なのだろうと思いつつ読み進んだが、最後の「越中劒岳を見詰めながら」という後書きとも別稿のエッセイともとれる章を読むと、著者は柴崎本人から裏話を聞いたという人に取材しているらしい。ってことは、実際にあったことなのか。そうと知っていればもっと真剣に読んだのに。とは思っても後の祭り。まあ、先入観を持って小説を読むとつまらなくなる、ということだ。
また、ストーリーの流れと地名から、どこが登頂ルートなのかが事前にわかってしまったのがちょっと残念だった。

読み終えてから冷静に考えてみると、『富士山頂』もそうだったが、クライマックスが結構早めにやってきてあとがだらだらと続き、結末になんだか締まりがないように思った。
また、ずっと柴崎芳太郎の目線で進んできた話の最中に突然作者による登頂日の謎解き(314-316頁)があったりするのは小説としてどうなのかなあとも思ったりもした。これをわざわざこのタイミングで挿入する意図がわからない。これこそ、結末とか後書きにすれば最後がきっちり締まるように思えるのだが。

それでも登頂を果たすシーンには感動した。これは自分が山登りをするということも大きい。長い縦走を経てようやくたどり着いた山頂で感じるあのなんとも言えない満ち足りた感動を、この小説を読んだだけで味わうことができた。剱岳には登ったことがないのに。

なお、冒頭に記したテレビ番組『剱岳 百年目の真実』で、柴崎芳太郎が実際に作成した点の記や、山頂で発見された平安時代の錫杖などを見ることができる。

(新田次郎著・2006年新装版)(2007年10月24日読了)

富士山頂(文春文庫)2007-10-27 16:57

『劔岳 点の記』が映画化されるという話にちょっと興味をもって、原作を読もうと本屋に行くと売り切れだった。で、同じ新田次郎のこの本を代わりに買ってしまったのだった。

どうして剱岳が富士山になってしまったのかというと、NHKのプロジェクトXで見覚えがあったからというただそれだけのことだった。
新田次郎といえば映画『八甲田山』の原作者、という程度の貧困な知識しか持っていなかった。その後プロジェクトXの富士山レーダー建設の話を見て、その総責任者が新田次郎だったということを知り、知識が2倍に増えた(恥)。で、偶然本屋で見かけたこの本は、その富士山レーダー建設の話だったのだ。


気軽に読み始めたが、わりと最初の方から引き込まれて一気に読んでしまった。特にクライマックスのひとつであるヘリコプターによるドームの運搬シーンは興奮もので、通勤電車で読んでいたのだがちょうどいいところで乗換駅が近づいてきてしまい、電車が故障したらいいのにと本気で思ってしまった。

題材は山だが、純粋な山岳小説とは言えない感じだ。作者自身の体験をもとにしていると言っても、私小説とも違う。尾崎秀樹による巻末の解説には企業小説的なおもしろみをもっている(235頁)とあるが、それが一番近いように思った。

読後にビデオでプロジェクトXを見直してみたら、食い違いがあったりしておもしろかった。建設中のホテルがレーダーを操作する電波の障害になるかもしれないというエピソードは、プロジェクトXでは現場に藤原課長(新田次郎)が「怒鳴り込んできた」と言っていたが、小説の葛木課長は足が慄えるほど衝撃を受け、「暗い気持ちで」おそるおそる現場に向かっていた。小説だから脚色があって当たり前で、ストーリー上もこの方がよいのだが、あまりにも真逆なので可笑しかった。

(新田次郎著・1974年)(2007年10月11日読了)

ミカドの肖像 --プリンスホテルの謎--(小学館ライブラリー)2007-10-07 09:12

かつて話題になった本。1985年に週刊ポストに連載され、その翌年単行本化されて、大宅宗一ノンフィクション賞を受賞した。自分の読んだのは、その第1部『プリンスホテルの謎』を独立させて、1991年に「小学館ライブラリー」シリーズの第1号として発刊されたものだ。(あの頃は、岩波が同時代ライブラリーなんてものを出してから、同じく「ライブラリー」と銘打った大型の文庫が乱発されてたっけ。)

当時、話題の本が手軽に読めるというので買ってみたものの、内容が『プリンスホテルの謎』だけだと知ったのは読後、著者による「あとがき」を読んでからだった。奥付のとこにもはっきりそう書いてあるんだけど、その時は気づかなかったわけで。
だが結局この『プリンスホテルの謎』だけでとても面白くて、これで充分だと思った。それは今回14年ぶりに読みかえしてみても同じだった。主役が西武の堤康次郎となって焦点がはっきりするからかもしれない。


内容を忘れていた部分が結構多かったが、プリンスホテルという名前の由来を知ったときの興奮はまだ覚えていて、期待しながら読んだらやっぱりおもしろかった。
特に興味深く感じたのは第四章の『避暑地軽井沢と八瀬童子』だった。明治維新以降、地名を変えたりして波に乗り発展していった地域と、うまく乗り切れずに没落していった地域の対比がドラマチックだ。平成の大合併で市町村の名前がやたらと変わっていることを連想してしまったが、うまく波に乗れているところはあるのだろうか。
また、内容をすっかり忘れていたのは『天皇裕仁のゴルフコース』の章だった。皇太子時代の昭和天皇は新宿御苑でゴルフに興じていたんだとか。戦前の新宿御苑は皇族専用のゴルフコースとなっていて、昭和天皇に限らず皇族がゴルフに明け暮れていた。昔の皇族の力がそれだけ強かったというエピソードだ。

文中では昭和天皇を「天皇」、当時皇太子だった今上天皇を「皇太子」と記している。小学館ライブラリーとして出版された1991年にはすでに世代交代があったわけだが、「あとがき」によるとあえて初版当時のままにしてあるんだとか。おかげで、ちょっと混乱してしまう。

(猪瀬直樹著・1991年)(2007年10月3日読了)

ダルマの民俗学 --陰陽五行から解く--(岩波新書)2007-09-02 23:13

この本を最初に読んだのは新刊のときの1995年で、目からウロコがぼろぼろと落ちまくって楽しかった。今回が2度め。
ダルマ信仰がメインの題材だが、副題にもあるとおり、陰陽五行の解説本と言っていいと思う。


最初の2章、総ページ数210の1/3を割いての「はじめての陰陽五行」がおもしろい。自分は前から日本の古典文学や城郭建築が好きだったので、干支による時間や空間の表現は基礎知識としては持っていた。が、日常の様々な事象まで陰陽五行で説明してあり、わからなかった問題がとけたときの一種のすがすがしさを感じる。たとえば「青春」という言葉があるが、どうして春が青いのかなんていくら考えてもわからなかったが、これでようやくすっきりできた。
すると他にもいろいろ考えが広がってくる。ひのえうま生まれの女性の差別伝説は、60ある干支のうちでもひのえうまが一番火の気が強いからで、八百屋お七のせいで云々と言われるのは、きっと後世のこじつけなんだろう・・・とか。

でも第3章以降は、同意できない人もいるかもしれない。
鳥なんかは、解釈によって「朱雀」として南のものになったり、「酉」として西のものになったりと、ちょっと都合がいいなあと思ったり。ダルマがなぜ赤いのか、なんてのもこじつけともとれる。辻褄が合ってるというだけで、あくまでも筆者の推測でしかないからだ。まあ、筆者も本文中でそのことをことわっているのだが。
当たり前かもしれないが、合う人には合うし、合わない人にはまったく合わない本だろうと思う。自分は合った方で、非常に面白く読めた。

(吉野裕子著・1995年)(2007年8月30日読了)

山の自然学(岩波新書)2007-08-05 11:51

山歩きの楽しさ・感動を倍増させてくれた本。通読したのは3度めだが、山行き前にはこれから行く山の項だけ読みかえしたりしていた。
で、どう倍増したのかというと、最後の「あとがきにかえて」にあるとおり。

山はみごとな風景を楽しみ、高山植物の美しさを愛でるだけでも十分に楽しい。それだけでいいという人もいるにちがいない。だから、「なぜ」などと考えるのは、めんどうくさくてかなわないという人も少なくないことだろう。これはもう趣味の問題だから、その人なりの楽しみ方でもちろんいいのだが、本書で紹介したような知的な登山のおもしろさもぜひ味わっていただきたいとわたしは思う。

たとえば観光旅行するにしても、名所旧跡をただ見てくるだけよりも、その来歴を事前に知ったりしていると見方がまったく違ったり、感動が増したりすることがある、そういう感じだ。とくに難しいことは書いていないし、山のガイドブックとしても良い本だと思う。ほかに『山の自然学入門』という本が古今書院から出ているが、この方が難しい。


「まえがき」にはこうある。

たとえば、北アルプスの白馬岳でコマクサを見たとします。そのとき、「あっ、コマクサだ。きれいだなあ。写真を撮ろう」で終わるのではなく、「どうしてここにコマクサがあるのだろう?」と考えると、<山の自然学>がはじまります。

キツい登りだったりすると「なぜ」とか「どうして」とか、なかなかそんなふうには頭が回らない。それに、砂を見て「この山は○○岩からできてるな」なんて素人にはなかなか判断できない。だからこの本で予備知識をつけていく。そうやって山行を繰り返していくうちに、岩を見ながら「今、モレーンを越えてるんだ」とか、「二重山稜に入ってきた」とかいう実感が湧いてきて感動したりもできちゃう。ただの岩くずにしか見えず、だれも見向きもしないソリフラクション・ローブを、ふむふむこれは周氷河地形だな、と思えるようになったのはこの本のおかげだ。
ただ見るだけ、撮るだけの登山よりも幅が広がったと思う。

ところで、著者はNHKで現在放送中の『日本の名峰』シリーズで取材協力としてクレジットされている人だ。全回じゃないけどかなり多く見かける。番組中で、なんか聞いたことある解説だと思ったときはこの人が元ネタなのかもしれない。

(小泉武栄著・1998年)(2007年8月2日読了)

中国の歴史(上・中・下)(岩波新書)2007-07-12 22:15

自分は学生の頃からの新書好きだが、このところ、おもしろい本に遭遇する確率がめっきり低くなった。新書全体のレベルが下がり、エッセイもどきの本が増えたような気がする。緑や黄色の岩波新書、カバーが紙ではなく透明ビニールだったころの中公新書はとてもおもしろかった。
というわけで、もう新刊にあまり期待できないので、しばらくは昔読んだ本を読み返すことにした。まず手始めに、(最近の大学はどうか知らないが)中国史を専攻するほとんどすべての学生が読むであろう貝塚大先生の「中国の歴史」。


中国研究史に残る名著ではあるが、今読むと(今読んでも)なんとも古くさい。歴史学とは、歴史家が、過去のことがらを客観的資料から分析し、自身の論理を構築する学問であると言っていいと思うが、その歴史家自身の解釈は当然その時の社会や思想の影響を受けるため、あとからは色褪せて見えるというのはよくあることだ。
中でも気になったのは、西洋へのコンプレックスだ。たとえば、次のような記述。

十三世紀の始めごろは製紙・印刷・陶磁・織物などの手工業が未発達でまだ中世的な停滞を示していた西欧をはるかにしのぐものがあり、西洋のルネッサンスに一歩さきだって、近代的な文化をアジアの地で開花させた。(中略)元によって平和的に接収された臨安の都市生活は、ここを十三世紀におとずれたイタリアのヴェネチアからの旅行者マルコ・ポーロを驚嘆させ、「地上の天堂だ」と叫ばせた。その発達した都市はルネッサンス時代のイタリアの代表的都市ヴェネチアとは比較にならない大規模なものであった。(中・166-167頁)
ヴァスコ・ダ・ガマが一四九七年の喜望峰発見にあたって、三隻にわずか六十人の水夫を分乗させたというから、鄭和の大艦隊とは比較にならない。五百人をのせることができる三本マストにジャンク風の縦帆をはった巨大な船を建造しえた造船技術と、羅針盤と航海図に天測をとりいれて方位をはかる中国の遠洋航海の技術は西方世界よりはるかに進歩していた。十五世紀はじめにおける中国の造船技術が停滞し、十八世紀にいたってヨーロッパ諸国に決定的に追い抜かれることになるのは、どんな理由によるものであろう。(下・21-22頁)
ヨーロッパは先進的だが、中国はそのヨーロッパをかつてリードしていたんだぞ、という意識が見える。自分の学生時代はすでに、「アジア=遅れている、ヨーロッパ=進んでいる」という考えは古いものであった。西洋化=進化ではない。アジアはアジアなんだから、ヨーロッパと比較しても意味がないわけで。

解釈が古いということはこの本の価値を下げる要素ではない。40年前の歴史家の中国観を知ることができるわけで、研究史という観点からもよい資料だと思う。それに、中国史を手っ取り早く通読するには今でも最良の本なのだと思う。だからこそ、40年も前の本なのに、まだ店頭に並んでいるのだ。
ただ、もうそろそろ、誰かいいセンセイが、現在の視点でこういう入門的な通史を書いてくれないかなあとも思う。

(貝塚茂樹著・1964-1970年)(2007年7月12日読了)